はじめに・ご挨拶

マンボミュージシャンの余語丈範です。私はマンボの王様と言われる「ペレス・プラード楽団」にメンバー参加いたしました。この度は私のオリジナルキャラクターの「マンボくん」のキグルミ製作のためプロジェクトを立ち上げました。よろしくお願いいたします。

このプロジェクトで実現したいこと

このプロジェクトでは「マンボくん」の頭部、手、靴のキグルミ製作の資金にします。


プロジェクトをやろうと思った理由

私はペレス・プラードのマンボが大好きで、夢であったメンバーになることが出来ました。

戦後世界的大流行したペレス・プラードのマンボを再度ブームを起こしたいと真剣に思っております。

その活動の一環にオリジナルキャラクターである「マンボくん」の運営があります。

現在マンボくんはSNSで活動しておりますが、実際に動き、イベントなどにも参加しながらラテンパーカッションである「コンガ」や「ボンゴ」をたくさんの方に披露できることが出来たらと思っておりました。

マンボくんをたくさんの方に可愛がっていただき、マンボ音楽の魅力をたくさんの方に広めていきたいです。

マンボくんの動きのスタイルは憧れのドアラさんのように、紙とペンで人と会話します。



ペレス・プラード楽団のマンボとは?

みなさん「マンボ」を知っていますか。

アァ〜うっ!のあの「マンボ」と言われれば、ご存知の方も多いかと思います。

今は、小学校の音楽教科書にも「マンボ」が載っているんですよ。

では、あの「マンボ」を作ったのがペレス・プラードだということはご存知でしょうか。

 「マンボ」を知っていても「ペレス・プラード」の名前を知っている人は少ないかもしれません。



         私がペレス・プラード楽団メンバー時の動画です。

           ペレス・プラードの代表曲「マンボNO.5」

             (2016年三重県公演ボンゴ担当)


 ペレス・プラードは1916年、キューバの港町マタンサスに生まれました。幼少の頃からクラシックピアノの手ほどきを受けましたが、少年時代に夢中になった音楽はルンバでした。

 

 16歳の時にはピアニスト兼楽団リーダーとして放送やダンスホールに出演。1940年ごろ、キューバの首都ハバナに移り、カシーノ・デ・ラ・プラージャという有名な賭博場でピアニストとして活動します。この頃に、ペレス・プラードは彼独自のマンボのアイディアを思いついたと言われています。

 

 そして、ペレス・プラードはラテン音楽業界の中心地メキシコに音楽活動の拠点を移します。

 

 ペレス・プラードはメキシコシティーで新たに自身の楽団を結成。彼が1940年代後半に作曲した「ケ・リコ・エル・マンボ 」(マンボ・ジャンボ)、「マンボNo.5」がメキシコを始め、アメリカやヨーロッパ、中南米そして日本で大流行しました。

 

「黒馬のマンボ」や「マンボNo.8」など、数々の傑作を精力的にレコーディングしたペレス・プラードは、「マンボの王様」として世界で活躍するようになり、1950年代の中頃からはアメリカに音楽活動の拠点を移します。

 

 ペレス・プラードのマンボは更にヒットを連発しますが、中でも1955年の映画「海底の黄金」のテーマ曲に使われた「セレソ・ローサ」は、派手なトランペットをフィーチャーしたスローテンポなマンボ(マンボスビーといいます)にアレンジして大ヒット。もともと「バラ色の桜んぼの木と白いリンゴの木」というシャンソンが原曲で、ペレス・プラード楽団のコンサートでも大変な人気のあるマンボの一つです。

 

        私がペレス・プラード楽団メンバー時の動画です

                セレソ・ローサ

            (2016年三重県公演ボンゴ担当)



 そして1958年、ペレス・プラード作曲で彼の電子オルガンをフィーチャーした「パトリシア」が大ヒットし、全米No,1に輝きました。この曲には、ペレス・プラードが作った「ロカンボ」というリズム(マンボとロックを組み合わせたもの)が使われており、その後もペレス・プラードはたくさんのリズムを作り出します。

 

 マンボをベースにボンゴソン、チュンガ、コシコシ、デンゲなどペレス・プラードはイノベーターとしての才能も更に発揮していきました。

 

 1970年代、ペレス・プラードは再びメキシコに音楽活動の拠点を移します。

 

 日本には1956年に初来日し、浅草にあった国際劇場のステージで熱演を繰り広げました。ちなみに、戦後日本の来日海外アーティストの第1号がペレス・プラードです。

 

ペレス・プラードは、その後も17回の日本公演を果たしました。(最後の来日公演は1987年)

 ペレス・プラードは、1989年9月14日にメキシコで死亡。享年72歳でした。

 

今でも引き継がれるペレス・プラードサウンド

   その後、「ペレス・プラード楽団」は2代目リーダーの、へスース・ガルニカ・マルティネスが率いて活動し、現在は3代目リーダー、へスース・ガルニカ・ジュニア(イスラエル・ガルニカ)がペレス・プラードの伝統と歴史のサウンドを引き継いで活動しています。

(来日公演はペレス・プラード存命中も含め、30回以上開催しています)

 

 
          私がペレス・プラード楽団メンバー時の写真です。

             (2016年三重県公演ボンゴ担当)

 


マンボくんのプロフィール


 ●名前:マンボくん
●性別:男    
●年齢:20歳
●生年月日:9月14日
●血液型:A型っぽい感じ
●国籍:日本   
●住所:名古屋市 
●出身地:名古屋市
●種族:クマっぽいフォルムです
ヒトっぽいニュアンスもあります
●人称:ぼく
●言語:日本語

    スペイン語を話せるようになりたいと思っている
    前世では話せていたはずだと信じている
    いつかは話せるようになるはずだと信じて疑わない
    弟の「ルンバくん」は、お利口さんなので話せるようになれそう

●口癖:うぴうぴ  
     語尾に「マンボ」⇨「おはようございマンボ」など

●外観的特徴:唇がデカイ
       顔がデカイ
       クマみたいだけどクマじゃない
       人間でもないし、宇宙人でもない
       何なのか自分でもわかってない

●服装:基本はマンボの衣装であるワラチェーラ(水色)
    オレンジ色のパンツ

●身長:175センチ    
●体重:70kgぐらいが理想
●体格:標準      
●視力:1,5
●利き手:右    
●健康:良好
●社会的地位:ニート

   ・マンボのお兄さんに養ってもらっている
    養ってもらう代わりに家事を引き受けているのかと思えば、そういう訳でもない
    ゴロゴロとテレビを見るのが大好き
    気が向けばたまーに家事もするが、得意なわけではない
   ・マンボを世に広めるための存在
   ・引きこもりがちなため、社会との関わりは薄い



これまでの活動

私は、マンボを世界に広めたペレス・プラード楽団のメンバーとしてメキシコ公演、三重県公演に参加いたしました。


資金の使い道

頭部、スリット入り手袋、靴 製作費用 税込み¥371,800-

撮影機材(デジタル一眼カメラ) ¥116,000-

CAMPFIRE手数料(掲載手数料12%、決済手数料5%+税) ¥112,200-(プロジェクト達成金額金額¥600,000-の場合)


リターンについて

3,000円ご支援の方に、マンボくんからのお礼のお手紙をお送りいたします。

10,000円ご支援の方に、マンボくんからのお礼のお手紙と「マンボくん」オリジナルTシャツ1枚をお送りいたします。

20,000円ご支援の方に、マンボくんからのお礼のお手紙と「マンボくん」オリジナルTシャツ2枚をお送りいたします。

実施スケジュール

キグルミ資金がこのプロジェクトで集まった場合は、入金後キグルミ制作会社へ発注。プロジェクトでお金が足りなかった場合、11月ごろキグルミ制作会社へ発注予定です。


最後に

真剣にマンボくんをたくさんに人に知ってもらい、マンボブームを起こしたいです。

何卒よろしくお願いいたします。





本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


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