バスケットが大好きな子供たちのために、僕の地元・豊川で、誰もが自由に使えるストリートコート、『グレープパークコート』をつくりたい!




『グレープパークコート』が生まれるきっかけ



一昨年、10月に父親を心臓発作で突然亡くし、その後、浮上した相続の話。


実家は代々続く農家で、畑があったんです。


父親名義なんですが、実状としては、母親がずーっと葡萄を作ってた大きな畑。


その葡萄の栽培も、今から5年ほど前に辞めてしまい、家で食べる用の野菜くらいしか作ってませんでした。


ちょっと目を離すと草がぼうぼうに生えてしまったりと、手入れだけでも大変。


「あの畑、やっぱり売ろうと思って・・」


母親からそう電話があったのは父親の四十九日の1週間ほど前。


「お母さんがそれで良いなら、良いんじゃ無い?」


としか言えませんでした。


しかし、そう言いながらも、昔からぼんやり考えていた「自分の夢」が頭をよぎりました。


”誰もが、特に子供たちが、自由に使えるストリートバスケットコートを作りたい”


という夢です。


どうしよう、売ってしまったら2度とあんな広い土地(200平米)は手に入らないし、今から10年後にやっぱり作りたいってなっても、もう遅い。


「お母さん、やっぱりあの畑の土地、俺にちょうだい。」


電話したのは四十九日の前日の夜でした。


ストリートバスケットコートを作りたいという、僕の夢を語りました。


しばらく考えた様子の母親でしたが、


「やっぱり思い出がいっぱい詰まってるあの土地を手放さなくて良いって思ったら嬉しくて。私も応援するから、やろう!」


父親との別れからずっと辛い想いをしていた母親に少し笑顔が戻った瞬間でした。



ストリートバスケットコートを作るアイデアが降臨すると同時に、名前は決めていました。


『Grape Park Court (グレープ・パーク・コート)』


父親が残してくれた土地、母親が僕らのために汗水流して葡萄を大切に育ててくれた土地。


この名前以外、考えられなかったです。




ジャパニーズ・フィールド・オブ・ドリームス



トウモロコシ畑を野球場にして、かつて野球の名手だった選手たちがそのフィールドに夜な夜な集まってくるというあの名作『フィールド・オブ・ドリームス』。


そして、最後には亡くなった父がそこに現れキャッチボールをする・・


もちろん映画のようなことは起きないでしょうが、それでも、この手掛けようとしているプロジェクト自体が、まさにこの映画のようだなということで、今回、映画のジャケをオマージュした写真も撮ってまいりました(笑)


そもそもこの『フィールド・オブ・ドリームス・プロジェクト』ですが、最初は自分と家族、そして、バスケットへの想いに賛同してくれた元バスケ部の同級生の友達(現、このコートの共同経営者)と、葡萄畑の棚を作るために埋めてあった石柱を抜く作業から始まりました。


1本抜くのに2時間かかり、畑の周囲を見渡すとその数200本以上・・!


はっきり言って途方にくれましたが、やると決めた以上はやるしかない。


何年かかってもやろうと決意していたので、そこはぶれなかったですが、ただ、この過程はストーリーとして残していったほうがいいかもしれないということで、作業している動画をSNSにアップしたんです。


すると、「手伝うよ」という声が色んなところからあがったんです!


半信半疑で、次回の予定をfacebookで告知すると、バスケ好きの仲間や、バスケのことはよくわらかないけれど楽しそうだからと7人、知り合いが集まってくれました。


その時の動画はYouTubeにまとめてあるので、こちらをご覧ください。



そして、この動画を見た違う仲間たちが、また「手伝うよ」と連絡をくれたんです。


「自分もこういう場所を創りたかった」


「自分も肉親を亡くし、このお父さんへの想いに共感しました」


「地元、豊川で面白い場所ができるとならば、協力します」


などなど、本当に嬉しい言葉をたくさんいただきました。


なんと今度は30人以上が集まってくれて、200本以上あった石柱もあっという間に片付いてしまったんです!


(ただ、真冬でべらぼうに寒かった・・・!)


30人&重機で作業している動画はこちらからご覧ください。




僕と同級生とその家族から始まり、7人、そして、30人以上が集まってくれた。


どんどん仲間が増えていく。


夢は膨らみ、必ずやこのプロジェクトは成功する、そう思わせてくれたんです。






何故ここまでバスケットボールに熱心な想いを寄せているのか?



中学校に上がるまで、漫画家になりたいという夢はあったけれど、いまひとつ、何に対しても自信を持てなかった僕。


運動音痴で、外で遊ぶのも億劫な子で、小学校卒業する頃は、結構ブクブクと太っていました。


痩せたい気持ちと、当時は、『スラムダンク』も連載が始まったばっかりの頃で、なんとなくかっこいいイメージがあったので、バスケ部に入部しました。


最初は全く本気でやっていなくて、だって、運動音痴なんだから、何をやったって上手くいかないから、ちょっとやっただけで上手くやれる友達とかを見て、「なんだよ」なんて拗ねてました。


2つ上の先輩でスリーポイントシュートが得意なかっこいい先輩がいて、しかもかわいい彼女がいて、「あんな先輩みたくかっこよくなって、楽しそうな中学生活を送ってみたいな」と、憧れを抱いていました。


夏に先輩も部活を引退し、9月に迎える1年生だけの新人大会に向けた練習試合がありました。


そこで、当たり前といえば当たり前なんですが、僕は選手に選ばれませんでした。


スタメンどころか、ユニフォームももらえず、試合にも出られませんでした。


なんか、異様に悔しくて悔しくて。


運動音痴の自分が、スポーツの分野であんなにも悔しい気持ちになったのは初めてでした。


練習試合の終わったその日から、自分の中で何かが変わり始めました。


「憧れを抱いてるだけじゃ先輩みたいになれるわけがない」


”努力”というか、目標に向かって必死になって打ち込んでみるということを(特にスポーツの分野で)意識的にしたことがなかった自分が、親に頼んで、まずはバスケットボールを買ってもらいました。


ドリブル練習、壁に向かってパス練習、ゴールは無かったから空中に向かってシュート練習。


お風呂に入るときは、お湯の中で手首を動かしてシュート時のスナップを効かせるトレーニングをしたり、


寝るときもボールを抱いて、少しでもボールの感触を手に馴染ませようとしたり。


部活で一生懸命練習するのはもちろんのこと、家に帰ってからも練習を重ね、寝るギリギリの時間までずっとバスケットのことを考えていました。


すると、運動音痴で何もできなかったはずの僕が、少しずつ、他の同級生よりもドリブルがスムーズになってきたり、シュートの成功率も高くなってきたんです。


努力は裏切らない。


シンプルだけど、そんなことを改めて感じたんです。


「もっと、もっと上手くなりたい」



バスケットだけに全てを捧げられてる毎日が楽しくて仕方なかったです。


2年生になる頃には、スタメンのユニフォームをもらえるようになりました。


今でもはっきり覚えてる「7番」のユニフォーム、嬉しかった。。。


バスケットを通じて、努力することで結果が生まれることを教えてもらい、今度はそれが自信になることも教わりました。



勉強もその後、「勉強の仕方」がわかるようになり、成績も上がっていきました。


いつかは本場アメリカでバスケがしたい、留学したいという新たな目標も生まれました。


僕は留学したことで、今でも大好きな地、オレゴン州と出会い、そして、そこで「ラジオ」と出会い、それが今の仕事となっている。



僕の今の人生、全て、全てのきっかけをくれたのが、バスケットボールでした。


だから、『Grape Park Court (グレープパークコート)』は、僕のバスケへの恩返しなんです。


『グレープパークコート』で、楽しそうにプレーする子供たちの姿を応援したいです。


これからの人生をかけて、バスケットボールへ少しずつ、丁寧に、恩返しをしていきたいと思います。


私有地で、私費を投じて創る場所だけど「パーク(公園)」と名付けた理由。



(グレープパークコート完成予想図)


「パーク」と名前に入れた理由としては、「パーク=公園」のように、誰もが気軽に自由に使える場所をイメージしております。


ただ、本当の「公園」とは違って、市が管轄したりと、いわゆる”公共の施設”ではなく、あくまでも、私有地で私費で建設したものを”公(パプリック)”に提供したいという想いです。


「あくまでも私有地で私費で」と書きましたが、ここももう少し噛み砕いて言うならば、”旗振り役”はしていくので、「皆んなに支えてもらうパーク」を目指しております。



「皆んなに支えられるコート」、であり、「みんなで創り上げていくコート」、であり、「誰でも自由に使えるコート」である。


僕の中では、これが「パブリックなもの」、つまり、「パーク」なんです。


そして、『グレープパークコート』でバスケットボールに恩返しをしたいという想いに加えて、もう一つの想いがあります。


自分という人間を育ててくれたこの「豊川」の地にもしっかり恩返しをしたいという想いです。


今までも、「とよかわ観光大使」をやらせてもらってますが、どうしても豊川市や観光協会からお願いされるイベントにMCとして出演したりすることくらいの貢献しかできていませんでした。


この『グレープパークコート』は、豊川市内はもちろんのこと、市外、県外からもたくさん人が訪れてくれるような新たな観光スポットとしてもしっかり盛り上げていきたいと思っております。






グレープパークコートの今後のスケジュールと利用方法と「夢」



先日、3月20日(春分の日)に、ストリートバスケットコートに併設されるカフェ『グレープパークコーヒー(仮)』の棟上げを行いました。



今後は4月に外装、5月に内装を手掛けていきます。


6月から本格的にストリートバスケットコートのための舗装と、フェンス(高さ4m)の設置もしてまいります。


皆さまからご支援いただいたお金は、このバスケットコートの整備とフェンスの設置に使用させていただきます。


そして、今一度、何故カフェを併設するのかをご説明致します。


ストリートバスケットーコートを作るだけでは、管理人もおらずで、劣化もしてしまいます。


また、夜遅くなどの使用があった場合、近隣の方へ騒音の問題なども出てきます。


今、全国の公園からバスケットゴールが撤去されている多くの理由が、夜遅くの騒音問題にあると聞きました。


なので、グレープパークコートでは、誰もが自由に”無料”でバスケットボールを楽しめる環境を整えますが、カフェのオープン時のみの利用とさせていただきます。


夜中などは、騒音問題なども出てきてしまうので、誰もが自由に使えるとは言いながらも、近隣の方のご迷惑にならないよう、カフェのオープン時間内(夜19時まで)のみの利用を考えております。


はい、コートの利用は”無料”です。


なのでタイトルにも入っていますが、「誰もが自由に使えるストリートコート」と謳わせていただいております。


これもまた本場アメリカのストリートバスケットの文化でもありますが、たくさん人が集まったのならば、たとえ見ず知らず同士でもチームを組んで、5対5のゲームをする。


いつまでも同じメンバーがずっと独占しないように、例えばですけど、11点先取のチームが勝ち、そして、勝ったチームは連続で試合ができるなど、プレーする人たちがその場でルールを作っていき、遊んでもらいたいと思っております。


と、何度も重ねて伝えておりますが、とにかくここを利用する「皆んなで創り上げるストリートコート」であり、「皆んなで支え合うストリートコート」であって欲しいと願っております。


カフェでは大人たちがゆっくりお茶をしながら、ストリートコートでプレーする少年少女たちを見守る。


そんな素敵な光景を想い描いております。


そして、これは本当に「夢」なんですが、いつの日か、このコートがきっかけでバスケットを始めた少年少女が、海外のリーグで活躍する日が来たら・・・


そしたら応援ツアーを組んで、応援に行きましょう!


僕の中の「夢」の定義ですが、決して一人では実現できないもの、つまり、ここを創る人間がいて、ここを支える人間がいて、ここを利用する人間がいて、そして、ここから飛び立つ人間がいる・・こうやってたくさんの想いが集まって実現するものこそ「夢」だと思っております。


『グレープパークコート』には、そんな「夢」が詰まっていると信じております。





・・といことで、皆さんに支えてもらわないと、持続運営が無理なんです(泣)


ここからはかなり切実なお話しになるんですが・・


ぶっちゃけ、今から僕は、今までの人生でしたことのないようなとんでもない借金を背負います。


家も建てたことないのに、ウン千万円という、とんでもない借金を背負います。


もうバカです。


でも、バカじゃなきゃ、こんなことしなかったろうし、バカになんなきゃ、出来ないなって。


僕は、これからの残りの人生かけて、バスケットボールに恩返しをしていきたい。


『グレープパークコート』が生まれれば、今の子供たちにとって、未来のバスケット界において、一つの大きな場所となると、確信しております。


ということで、皆様、お一人お一人のご協力が必要です!


どうか、どうか、僕らが大好きなバスケットボールの未来のために、皆様、クラウドファンディングへのご協力、何卒お願い申し上げます!!!




『グレープパークコート』


オープン予定日


8月23日


(僕の誕生日であり、コービー・ブライアントの誕生日、このコートは、コービーへも捧げます)


場所


愛知県豊川市土筒町河原2番地2




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