はじめに・ご挨拶

こんにちは&はじめまして! 今回、このプロジェクトを立ち上げた立山新聞制作委員会と申します。そのメンバーである私は富山県に住む高橋秀子です。2015年に開通した北陸新幹線「かがやき」に乗って、東京から富山県立山町に移住しました。3年間は地域おこし協力隊として、町への移住定住のお手伝いをしてきましたが、任期終了とともに、現在は富山県のNPO法人グリーンツーリズムとやまに所属し、都市と農村の交流事業などを通じて、中山間地域の活性化に微力ながら関わっています。

富山に引っ越してきたばかりの頃、立山町の標高1000m付近に位置する美女平でスノーシュー&チーズフォンデュをしているヒトコマです。



立山町に住んだ3年間は、定住コンシェルジュとして、移住相談のお手伝いをメインに活動してきました。自分と同じように、立山町に移住を希望する人々へ、町の生活、住まいなどの情報を提供したり、立山町の魅力を知ってもらうためのイベントやワークショップ、移住フェアへの出展などを通じ、「立山町」をアピールしてきました。そして、自分自身の移住体験を話す機会がとても増えました。



3年間、ほぼ毎日のように更新していたのが、fbページ「立山暮らし」です。 地元住民だけでなく、県外で暮らす立山町出身の人々からも「立山暮らしのページをいつも楽しみにしている」と声をかけられることが増え、地域の魅力を発信することの大切さを感じた経験でもありました。


こうした協力隊の活動のかたわら、自分のライフワークであり使命とも感じているのが、NPO法人「日本で最も美しい村」の新聞制作です。

NPO法人「日本で最も美しい村」連合は2005年、7つの町村からスタートしました。当時は、平成の大合併が進み、小さくても素晴らしい地域資源や美しい景観を持つ村の存続が難しくなってきた時期でした。そこで、フランスの素朴で美しい村を厳選し紹介する「フランスの最も美しい村」運動に範を取り、失ったら二度と取り戻せない日本の農山漁村の景観・文化を守りつつ、「最も美しい村」として自立を目指したのが、日本でのこの運動の始まりです。



日本中に、この先も残していきたい、景観、文化、伝統、ひとetc様々なお宝があります。この新聞では、そこに暮らす「ひと」にフォーカスし、彼らの言葉を通じて、その町や村の魅力を伝えています。これまで北海道から九州まで、20か所近くの村や地域にお邪魔し、インタビューを続けてきました。記事、写真、レイアウト。どれを取っても、「日本で最も美しい」の名にふさわしく、日本の魅力、地方の魅力を改めて感じていただけるそんな内容です。


立山町には、日本だけでなく世界にも誇れる魅力的な景観、大自然、伝統文化、そして何よりも魅力的な「ひと」がたくさんいます。そんなお宝を持つ立山町の魅力をもっと発信したい、何より、立山町に住む人々のための媒体を作りたい。これまでの「日本で最も美しい村」に関わってきた経験を活かして新聞を作りたい、そう考えました。


いまどきは、webが主流ですが、あえて、そんな時代に新聞という紙媒体で残したい、そう思います。14歳の中学2年生からお年寄りまで、あらゆる層が手に取り、読むことができるもの。紙の感触を楽しみながらページをめくると、自分の住む立山町が紙面から飛び出してくる、そんな媒体を作りたい、そうした思いから今回のプロジェクトを立ち上げました。


紙面の制作にあたるのは、「日本で最も美しい村」新聞を一緒に作っている取材チームです。編集長はこの、「美しい村」新聞を創刊号から自ら立ち上げた、東京のデザイン会社「EXAPIECO」代表のジュリアーノ・ナカニシさん、そのジュリアーノ編集長の右腕として日本中を取材旅行してきたカメラマンの田村寛維(ひろゆき)さんです。田村さんは、秋田でコーヒー屋さん「caffe gita」を営むカメラマンさんでもあります。


ここで、この新聞のジュリアーノ・ナカニシ 編集長より、この「立山新聞」のコンセプト、この新聞の目指す「目的」とこの先の「展開」についてお伝えします。

「ライチョウのように」~Like a Thunderbird~ 

「好天よりも雷天〜嵐を好む」と書くとずいぶん勇猛果敢に響きますが、それには理由があります。
ライチョウは雷鳥と書くのですが、荒天の時に草地へ出てきてその姿を現し、晴天時は天敵である猛禽類の捕食から逃れるため、ハイマツの茂みにいることが多いのです。それが荒天の時こそ動き出します。それはライチョウが氷河期から現代まで生き延びてきた危機管理術です。そして「飛ぶことはあまり得意でない」と言われるライチョウですが、高山の岩場に立つその姿はまるで地球を俯瞰しているように見えます。岩場と同じ配色の羽毛を纏っているのも、日本的なサビが効いてて「美しい」と感じる理由です。
立山新聞はこのライチョウのように、荒天の時にこそ姿を現し立山の民の笑顔をつなぐ、小さくとも愛らしい媒体になることを目指しています。


【目的】世界中で猛威をふるう新型コロナウィルスは空間的な移動の制限をもたらし、経済的に深刻な影響を日本の隅々にまで及ぼしています。人と人が会えなくなるなんて。いったい誰が想像したでしょう? こんな時だからこそ、お話しした人の顔の見える新聞で町の中の世間話を共有する、そんな媒体を作ろうと思いました。そしてそんな「超」ローカルな話題こそがクリエイティブに最も近い領域であると確信しています。怒られるかもしれませんが最先端はもう「東京ではない」のです。厳しく美しい自然が残る場所にこそ価値があります。それは幸せの可能性でもあると思います。


【展開】ライチョウに代表される立山の自然保護。人の創造性は無限大ですが自然環境には限界があります。限りある美しい立山の景観を次世代へ引き継ぐために、立山町の理解者を増やしていくメッセージを発信していくことを約束したします。具体的には今回の「立山新聞」を継続的な媒体にすること。リターン品では現在移動不可能な地域にお住いの方に向けたライチョウグッズ、Tシャツ、トートバッグ、便箋、シールなどのアイテム。また私が編集に関わっている「日本で最も美しい村」新聞との連携も楽しみです。

                「日本で最も美しい村」新聞編集長 ジュリアーノ・ナカニシ



「よそ者だからこそ、その土地の良さ、魅力に気づける」と言われるように、日本の各地の魅力を知っている制作メンバーだからこそ、富山県、そして立山町の魅力をどうとらえ、写真やデザインに落とし込んでいくのか、それもまた私自身、とても興味深いチャレンジだと感じています。何より、新聞制作における編集すべてにおいて私が全幅の信頼を置いているメンバーです。


このプロジェクトで実現したいこと

私たちが作る立山新聞は、立山町民をはじめ、富山県民の目線に寄り添った媒体で、移住者向けのツールではありません。なぜなら、この新聞の目指すところは、紙面を通じて、立山町に住む人たちが、改めて自分たちの住む地域への誇りや故郷愛などを再確認し、ますます立山町が好きになる、そんな内容を目指しているからです。もちろん、結果的に、新聞を読んでくれた県外の人が「とやま」そして「立山町」に関心を持ってくれる、そうした流れになるのも必然だと思います。


私たちの地域のご紹介

富山県立山町は人口2万6千人ほどの町です。


霊峰・立山に抱かれたこの町には、古くから立山信仰が根付き、江戸時代、立山には「地獄と極楽」があると信じられてきました。富山県に災害や地震がないのも、この立山が全て守ってくれているから、と信じられており、「立山」は町民だけでなく富山県民の心の拠り所でもあります。

また、登山好きな人には立山連峰と言えば、一度は登りたい山であり、お酒好きな人には日本酒「立山」の名で馴染みがあるかもしれません。町には、ダイナミックな立山の大自然をはじめ、430年以上の歴史を持つ越中瀬戸焼、昔ながらの手法で作られる手漉き和紙などの伝統工芸まで、多くの地域資源があり、何よりそこに住む「ひと」も町の魅力の一つです。


プロジェクトを立ち上げた背景

「なんもないちゃ~」が富山県民の口グセで、日本中のどの地方に行っても、多くの人が「うちの地域には何も誇れるものがない」と口をそろえて言います。しかし、それは私のように東京から来た人間にしたらそれは「大いなる謙遜」であることは十分に承知しています。口ではそう言っても、その胸の内には、あふれるほどの「ふるさと愛」を持っていて、実はひと一倍、地元愛が強いのが、富山県民(立山町民)だと感じています。



ただ、「素晴らしいもの」を「素晴らしい」と感じられるには、それを口に、言葉に出して伝えることも大切です。私のように移住してその地域の魅力に気づいた人間が発信し、伝えていく、それも一つ自分の役割なのではないか、と感じています。また、立山町だけでなく、富山県全体に感じるのは、「情報を発信する媒体が少ない」こと。情報が欲しいのに、提供できる媒体が少ない。だったらそうした媒体を作るのも、ひとつ、「元地域おこし協力隊」だった自分ができることの一つではないかと感じています。



3年間、お世話になった立山町に「地域おこし」として活動らしいことが何も出来なかったという思いもあります。本来ならば協力隊の任期中にやるべきだったことかもしれませんが、色々なタイミングもあって、いまこの時期にこのようなプロジェクトを立ち上げることになりました。


これまでの活動

私が富山県に移住した2015年は、地方創生、地域おこし協力隊の制度が動き始めた頃で、「地域おこし活動」がこれほどまでに盛り上がるとは思ってもいませんでした。私自身、東京時代、新聞社で原稿を書いていた時に、偶然この「日本で最も美しい村」新聞に出会い、日本の辺境の村や村人を紹介している紙面にすっかり魅了されてしまった一人です。


それまでは、日本の中心、経済の中心は東京であると思っていましたが、日本企業の99%を占めるのが中小企業で、誰もが知っている大企業は「わずか1%」であるように、「日本の土台を支えるのは、大都市圏でない地方ではないか?」と思うようになりました。

日本には、過酷な自然と向き合いながら、自分の故郷を守り、この先も子どもたち、その子孫に受け継いでいくために日々、切磋琢磨し、額に汗をかいている人がこんなにたくさんいることを知りました。


私が地域おこし協力隊として富山、そして立山町に来ることができたのも、こうしたご縁、興味が引き寄せてくれたのかと思います。

縁あって住むことになった富山県と立山町。そして新聞制作という自分のキャリア。これらを活かして、読んだあと、人々の胸がほんのりとあたたかくなるような、そんな心のこもった新聞を作って参ります。


資金の使い道・実施スケジュール

集めた資金の使い道 
新聞制作費(一式、取材費、印刷費、発想費)500,000円
web制作費 100,000円
CAMPFIRE手数料 100,000円

・本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


実施スケジュール
9月末  クラウドファンディング終了
10月~11月 立山町取材
11月  編集作業
12月下旬 新聞完成、リターン発送

リターンのご紹介 
※すべてにお礼のお手紙(直筆)が付きます

1,000円 (新聞1部)
3,000円 (新聞3部)
5,000円 (郷土料理「芦峅御膳」、新聞1部)
5,000円 (新聞5部 )
6,000円 (新聞1部、立山新聞オリジナルTシャツ)
6,000円 (新聞1部、立山サンダーバード謹製ライチョウモチーフのトートバッグ )
1万円  (新聞5部、立山町レストラン「糧」お食事券3,000円相当 )
1万円   (新聞5部、立山新聞オリジナルTシャツ&立山町グッズ福袋 )
2万円  (新聞5部、ゲストハウス「白雪」季節の農産物詰め合わせ )
2万円  (新聞5部、ゲストハウス「白雪」宿泊券)
3万円  (新聞5部、エコロの森主催「立山散策ツアー」ペア参加チケット )
10万円 (新聞10部、立山新聞取材同行券【現地集合&解散着地型2泊3日ツアー】 )



最後に

地域の盛り上がり、活性化という意味で、滞在型リゾート施設のオープン、酒蔵の建設など、いま熱い機運が高まる立山町。この新聞の第一号を通して、立山町の町民の皆さんの「誇り」「郷土愛」を確かな紙面として残すことで、次なる展開、新しい扉が開く第一歩になるような気もしています。続く立山新聞、第二号ができるのか、はたまた、立山町以外でも富山県内で同じような新聞が生まれるのか、この先が楽しみでもあります。


「革命は辺境の地で起こる」と言われるように、いつの時代も、地方の、辺境の地こそが日本を支える土台なのだと思います。そして、そんな日本の片隅を照らす人々の記録をこの先も、どんな形であれ残していきたいと思います。


どうぞ皆さま、立山新聞制作に向けてお力添えのほどよろしくお願いいたします。



★現金にてご支援いただける方へ★

ネットからではなく、お振込みでのご支援も承ります。その際は、下記連絡先までご相談ください。なお、現金でのご支援には、ご支援金額+220円(決済手数料)がかかりますので、ご了承くださいますようよろしくお願いいたします。 

 

連絡先

「立山新聞制作委員会」 高橋秀子 
電話:080-4736-8546
メールアドレス:tateyamalover@gmail.com


  • 2021/06/15 09:55

    立山新聞プロジェクトに支援くださった皆さまへ早くも6月に入り、新聞の発行につきましては長らくお待たせしており申し訳ありません。新型コロナウイルスその他、色々な事情が重なりリターンの送付が予定を大幅に過ぎてしまいました。緊急事態宣言もあり、東京方面から立山町に伺って取材できるタイミングを見計らっ...

  • 2020/09/06 08:37

    このプロジェクトを支援してくださった皆さま、ありがとうございます。ひとつご報告とお詫びがあります。5,000円のコースで芦峅寺御膳のリターンをご用意していますが、これは現地でのお食事券となります。食材をお送りするものではない旨をご承知いただければと思います。説明に不足があったことをお詫びいたし...

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