九谷焼業界は店舗販売が中心となりますが、 コロナの影響で壊滅的な状況です。 九谷焼の販売を200年近く行ってきた弊舗も厳しい状況ですが、 同様に窯元、絵付師、轆轤師、そういった九谷焼の歴史を支えてきた職人の方々も大変苦しい状況です。 皆さまにご支援いただき、九谷焼の難局を乗り越えたいです。

プロジェクト本文

はじめに・ご挨拶

鏑木商舗八代目当主の鏑木基由と申します。
当舗は文政五年(1822)、徳川11代将軍の治世に九谷焼最初の商家として金沢で開業し、以来約200年に渡り暖簾を守っております。

現在は古都金沢の長町武家屋敷にて商舗を営んでおります。


このプロジェクトを立ち上げた背景

新型コロナウィルスの影響で、金沢の観光客も激減し、
当舗が店舗を構える武家屋敷も3月から客足が遠のき、開店休業状態が続くようになりました。
その後、緊急事態宣言などが重なり、先行きが見通せない状況になっています。

当舗だけではなく、店頭での販売が大半をしめる九谷焼業界にとっては、あまりにも深刻な状況です。

このままでは九谷焼をつくる工程に携わる多くの職人の方々が培ってきた歴史と技術が途絶えてしまいます。

約200年に渡り代々九谷焼を扱ってきた鏑木として、
九谷焼の歴史と誇りを途絶えさせないために立ち上がろうと思いました。


九谷焼とは

九谷焼の起源は1655年頃(明暦元年)まで遡ります。
大聖寺藩九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのを機に、
初代藩主前田利治が藩士後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶の技能を習得させ、
帰藩後に殖産政策として窯を興させたのが始まりと言われています。

この時期に九谷の窯で製作された磁器は「古九谷(こくたに)」と呼ばれ、
青(緑)、黄、赤、紫、紺青からなる九谷五彩によって描かれた華麗かつ豪胆な上絵付け※1が特徴です。

  ※1呉須(黒)による線描(骨描)の後、その上に五彩の絵具を盛り、彩色を施す。


資金の使い道

今回支援いただいた資金で、職人の方々に九谷焼の制作を発注することで、職人の方々の仕事を創出致します。
また、職人の方々と、今後世の中に必要とされる新しい九谷焼作品作りの資金として、大切に使わせていただきます。


リターンのご紹介

伝統的な九谷焼と最適な形状のワイングラスを組み合わせた九谷焼グラス、
疫病退散のご利益があるアマビエマグカップ、
人間国宝による逸品など、
皆様の生活が少しでも豊かな時間となりますように、様々な商品をご用意いたしました。

また、全商品にアマビエ箸置きマグネットがついてきます!
さらに一部商品には九谷焼絵付け体験ペアチケットもございますので、大切な方との思い出づくりに是非ご利用ください☆


スケジュール

 5月12日~6月30日 クラウドファンディング実施期間
 7月 1日~7月31日 制作期間
 7月15日~     順次発送

期間終了の6月30日以降にお客様の情報が分かりますので、その後に九谷焼の制作に入らせていただきます。
商品の制作に約2週間~1ヶ月ほどいただくため、お客様のお手元に届くのは7/15日以降、順次配送となります。
お時間をいただき申し訳ございませんが、手作りのため何卒ご了承ください。


九谷焼の歴史・伝統技法・画風

◆古九谷明暦元年(1655年頃)
 古九谷は17世紀以降、日本で作られた色絵磁器の中でも品位風格があり豪放華麗な作風として、有田の柿右衛門、古伊万里、色鍋島や京都の仁清などと共に高く評価されています。また、この時代は世に言う「百万石美術工芸の華」が咲き誇った時代で、その中心地・金沢には加賀藩前田家の文化政策と豊かな財力で全国から著名な職人、画家、学者、茶人たちが招かれ、多くの優れた美術工芸品が制作されました。九谷焼は、その中でも最も代表的な工芸品だったのです。こうして華やかな展開を見せた古九谷も、元禄(1700年)の前半頃、約40年で廃絶したとされています
伝統技法・画風
 古九谷:日本画狩野派の名匠・久隈守景の指導によったといわれるもので、青(緑)・黄・赤・紫・紺青の五彩を用いている。

◆再興九谷文化年間(1800年頃)
 古九谷が廃窯となって110余年後、九谷焼は加賀藩によって再興することになります。文化年間(1800年頃)、産業奨励・失業者救済の目的で加賀藩は京都の文人画家青木木米(あおき・もくべい)を招き、金沢市春日山に築窯させます。これを契機に若杉窯・小野窯・吉田屋窯・永楽窯など、新しい窯が次々に興り九谷焼は再興されました。これらの窯では日常品なども作られるようになり、九谷焼は産業的な発展をなすこととなります。また、各々の窯が特徴ある画風を有し、九谷焼の持つ多彩な美の源流となりました。
伝統技法・画風
 木米:京都より招かれた文人画家・青木木米の指導で、全面に赤を施し五彩で中国風の人物などを描写した様式。
 吉田屋:青手古九谷の塗埋様式を再興さたもので、赤を使わず青(緑)・黄・紫・紺青の四彩を用いた画風。
 飯田屋:赤で綿密に人物などを描き、まわりを小紋で埋め尽くし、金彩を加えた赤絵細密画である。
 永楽:永楽和全による京焼金襴手手法で全面を赤で下塗りし、その上に金のみで彩色した豪華絢爛な作風が特徴である。

◆産業九谷幕末時代(1850年頃)
幕末から明治初期にかけて活躍した名工・九谷庄三(くたにしょうざ)(1816年-1883年)。彼はこの頃輸入された洋絵の具をいちはやく取り入れて中間色を出すことに成功し、多彩な色を駆使した彩色金欄手という絵付を確立しています。この画風は産業九谷の主流となり、全国に普及していきます。明治政府によって殖産興業・輸出振興策が推進されていた当時、国内外で開催される博覧会に大量に出品されたものの多くが、この庄三風といわれる作品でした。それらの作品は欧米人の趣向と一致して好評を博し、九谷焼は「ジャパン・クタニ」の名で一躍世界的に知られるようになります。この時代、九谷焼業界が輸出に力を入れていたことは、九谷焼が輸出陶磁器の第1位になったことや、九谷焼生産額の80%が輸出品であったこと(明治20年代)などが物語っています。九谷焼が産業的に確立したのもこの時代です。
伝統技法・画風
 庄三:古九谷・吉田屋・飯田屋・金襴手の全ての手法を融合し名工九谷庄三が確率した彩色金襴手。明治以降は「ジャパンクタニ」として産業九谷の主流となった作風。

◆現代~
 明治期以降、創作意欲盛んな名工たちは、さらなる到達点を目指し、独自の画法を模索。圧倒的な描写力、秘法ともいわれる釉薬技術、立体的な表現方法を用いた現代の画法は、九谷焼の新たな可能性を拓きました。とりわけ三代徳田八十吉氏の彩釉(さいゆう)ならびに𠮷田美統氏の釉裏金彩(ゆうりきんさい)は重要無形文化財(人間国宝)として認められ、日本の陶芸史における重要な貢献を果たしました。
伝統技法・画風
 花詰:牡凡や菊など四季折々の花々を、金彩・銀彩・五彩の上絵付で器を埋め尽くすように描き、絢爛豪華な魅力にあふれる。
 青粒:地色の上に青く盛り上がった細点を均一に並べる手法で、凡精で上品な趣きが薫る。他に白粒、金粒がある。
 彩釉:五彩の上絵具を塗り分け、塗り重ねながら器全体を覆っていく。優美な色彩と濃淡の変化に特徴があり、幻想的な雰囲気を醸し出す。
 釉裏金彩:金粉や金箔の上に、透明な釉薬をかけて焼き上げる手法。深みある金色の輝きが美しい。銀を用いた釉裏銀彩もある。


鏑木商舗の取組

◆世界とのかかわり

当舗は文政五年(1822)、徳川11代将軍の治世に九谷焼最初の商家として金沢の地で開業しました。
創業当時は、古九谷の廃窯から110年余り絶えていた九谷焼を再興しようとの気運が高まっていた時代です。
当舗では加賀藩の意向を受け、各窯から仕入れた製品を販売するだけでなく自家工房に名工を集めて絵付けを行い、九谷焼の藩内普及の一翼を担いました。
明治・大正時代に入ると、国内での展覧会に加えて海外の万国博覧会にも出品し、数多くの賞を獲得しました。

◆地域社会とのかかわり

過去には、石川県民を中心に、金沢のまちの魅力とその文化・歴史を再発見して頂くための「まち博」の一環として、「親子絵付け体験」を毎年開催したり、金沢市の子育て支援策「夢ギフト」として、市内に誕生した子供達へ九谷焼五月人形などの贈り物を担当させていただきました。現在も、全国の幼稚園・保育園のために、子供達にとって安全で使い易い食器を製造・納入し、かげながら食育をサポートする活動も行っております。

◆九谷焼の伝統を次世代へ

NPO法人 金沢九谷倶楽部は2006年1月に金沢九谷の保存・研究・職人の育成を目的に設立されました。
現在、鏑木商舗内にて、明治・大正期の九谷焼の展示やプロ養成の色絵教室を開催するなどの活動を行っています。また、金沢市のイベントに参加し、親子絵付け体験を行うなど九谷焼の広報にも力を注いできました。自社工房では、若手の女性職人たちが作陶・絵付け技術を習得すべく、制作に励んでおります。


最後に

今回のプロジェクトをご支援いただくことで、九谷焼をより多くの方にしっていただくとともに、販売、職人、様々な九谷焼に携わる人々の仕事の創出につながります。

悠久の時を紡いできた九谷焼の歴史と誇りをここで終わらなせないためにも
何卒、皆様のご支援をよろしくお願い致します。



※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします

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