【東北復興支援・地域活性化を目指して、宮城大学x秋保ワイナリーx地元のりんご農家がタッグを組む!】シードル新商品開発を通じた魅力発信をきっかけに、観光促進による活性化に挑戦!!

 



▲プロジェクト概要、関係図

◎宮城大学 大嶋ゼミとは

 宮城大学 事業構想学群の大嶋ゼミでは、大嶋淳俊 教授の指導の下、3年のゼミ生9人が「デジタルx経営学」を軸に、地域と連携したプロジェクトで実践力とリーダーシップを磨きつつ、復興支援・地域活性化に役立てることを目指して活動しています。

 これまでのゼミ活動の一つとして、インスタグラムを活用して「仙台空港」「秋保地域」についての効果的な情報発信に挑戦してきました。自分たちで何度も現地に活き、そこで得られた情報や雰囲気を伝え、それぞれの認知拡大を目的とした活動です。このように「リアルとデジタルを融合」させて最大限の効果を生み出せるように、実践の中で学んでいるゼミです。

▲大嶋先生とゼミ生 ~手でつくるのは“りんごのマーク”~

▲普段のゼミの様子

▲宮城大学オープンキャンパスでゼミ紹介をした時の写真

東日本大震災からもうすぐ9年

  2011年3月1日、小学校6年生の私たちを襲った恐怖は私たちの町、私たちの心を深く傷つけました。

大きな津波がまちをのみこみ、日常にある当たり前が奪われたあの瞬間を、今でも鮮明に覚えています。 

 

 ここで少し、当時のことを振り返ってみたいと思います。

 

~地震発生時~

 地震が発生したとき、卒業式の練習を終えて、学校の掃除をしていました。

 突然物凄い地響きがなって、この音が何かを理解する前に、まるで遊園地のアトラクションに固定されないまま乗らされているような激しい揺れに襲われたのです。

 揺れがおさまるとすぐに先生の指示で校庭に避難し、親が迎えに来た人から下校が許されました。

 私はその日は学校の終わりに母と出かける予定があったため、すぐに母が迎えに来てくれて家に帰ることができました。

 

~家に帰ると~

 しかし、家に帰ると家中に物が散乱していて、水道も使えず、電気も使えません。

 母に今日のお出かけは無しと言われ、テレビを見ることもできないので、暖房が使えず寒い部屋で毛布にくるまって本を読むことにしました。

 夜は冷凍庫にあった冷凍食品を常温に戻して食べて、電気が使えず真っ暗な部屋で、明日には電気も水も元通りになるかなと呑気なことを考えながら寝ました。

 次の日起きると、学校は当分の間休みと聞かされ、もちろん電気も水道も使えず、沿岸に住んでいた親戚が私の家に避難してきて、非日常の生活が始まったのです。

 

~体験した非日常~

 親戚との共同生活が始まったことで、最初は人数が増えて心強いという気持ちでしたが、慣れない大人数での生活にだんだんとストレスを感じるようになってしまいました。

 また、ストレスの原因は他にも多くあります。まずは、お風呂に入れないこと。水道が使えず、配給でもらえる水はとても貴重だったため何週間もお風呂に入ることができませんでした。水はとにかく大切に使わなければいけず、手を洗う時も、歯を磨くときも何をするにも気を配って水を使っていました。

 

 また、電気が使えないことがとても大きかったです。特に不便さを感じるのは夜で、ろうそくと懐中電灯が主な灯でした。毎日陽が沈み始めると「ああまた暗くなってしまう」思い、夜はあまりにも真っ暗だったため、それが不気味で夜が来るのが怖かったです。

 

 さらに一番大変だったのは食べ物がないこと。地域に食べ物が配られていたのですが、一日菓子パン一つ、お菓子だけという日も普通にありました。基本常にお腹がすいている状態で、温かいご飯をお腹いっぱい食べたいと母に駄々をこねてしまったこともあります。

 

 しかし、今思うとその配られていた食べ物も日本各地から支援してもらったもので、少しでも食料をもらうことができていたことに感謝をするべきでした。他にも、毛布や日用品など様々なものを支援物資としてもらい、それらがあったからこそ何とか生活することができていたのですが、当時の私はそのありがたさに気づけないでいました。

 

~いただいた沢山の支援、そして感謝~

 震災発生後の生活で、近所の方々にもたくさん助けていただきました。

 

 私の家がある地域は農家さんが多い地域だったので、震災で食べ物がない時は農家さんが自分達の野菜や果物などを分けてくだいました。斜め前の家のおばあさんは、「困った時はお互い様だよ」といって漬物といちごをくださいました。

 

 また、近所の集会所では、農家さんが持ち寄ったお米で炊き出しがされるようになりました。塩むすびと漬物というシンプルなご飯だったけど、近所の人が同じ場所に集まってわいわいとしていて、久しぶりに食べる温かいご飯がとても美味しかったのを今でも覚えています。大変な状況だからこそ、周りと協力して一緒に頑張るという、とても基本的なことを改めて学ばせていただきました。

 

 震災が発生してから、本当に多くのものを支援していただきました。中学校に入学すると、たくさんの筆記用具や洋服、部活の用具などが学校に送られてきました。また、一番嬉しかったのは手書きのメッセージカードです。寄せ書きに込められた沢山の温かい応援メッセージは、不便なことが多い生活でめげずに頑張る力をくれました。

 

 日本中だけでなく、世界中からの沢山の支援があったからこそ、自分はここまで成長することができているのだと感じます。当時の自分はまだまだ子供で、自分のことで精いっぱいで、そのありがたさをしっかりと理解することができていませんでした。今では、あの時に自分を支えてくれた沢山の支援に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

  

 そして今、私たちは大学生になりました。

 多くの方の支えがあったからこそ、めげずにこうして前を向いていられるのだと感じています。

 そして、当時はなにかをしてもらうことしかできなかった私たちですが、今度は地域や困っている人のために行動していくことが自分達に与えられた使命であると考えるようになりました。

 

 また、当時支援していただいた方々に震災から立ち直った今の現状を伝えていかなければならないという責任もあると思っています。

 

 今回はその活動の第一歩として、「秋保ワイナリー×地元のりんご農家×宮城大学の学生」が連携して、シードル開発プロジェクトに取り組んでいます。

 

 このプロジェクトを成功に収めることで、宮城県から日本へ、世界へ、「今の私たち」を発信していきたいです。
 

食の応援団との出会い

 宮城大学の食産業学群のサークル「みやぎ 食の応援団」、このプロジェクトを一緒に進めていく学内パートナーです。

▲食の応援団のメンバー

 

 食の応援団は、学生ならではの視点や感性を生かして宮城県の食材の魅力をPRし、食の生産者と地域を盛り上げていきたいという想いから2013年に結成されました。

   このプロジェクトでは、今回つくるシードルのコンセプトを考えたり、シードルと合う食べ合わせ「マリアージュ」の研究もしています。

▲シードルに合う料理の試作品

 

 同じ宮城大学でもキャンパスが異なるため、情報共有はSNSに加えて、定期的に仙台市内のカフェや会議室を借りて合同ミーティングを行っています。直接会う機会を設けることで、親睦を深め、お互いがパートナーとして同じ目標に向かって活動していることを再確認できています。

▲仙台駅近くの会議室での合同ミーティングの様子

 

~食の応援団がこのプロジェクトにかける想い・期待~

 宮城県のりんごは生産量はあまり多くはありませんが、非常に質が高く、加工した際にも独特の風味を持ちます。秋保ワイナリー、結城果樹園と共同で取り組んでいるこのシードルプロジェクトでは、宮城のりんご生産の技術力と、生産者のりんごにかける想いを消費者に知っていただきたいと考えて活動を進めています。

▲食の応援団 顧問の小林先生とメンバーが結城果樹園に行った時の写真

 

 同じ年代の私たちが訴えかけることで、私たちの想いに共感してくれる人が増えると期待しています。具体的には、県産食材を利用したシードルとの食べ合わせのレシピをSNSなどで発信することで、若年層のシードルへの関心を高め、ひいては、秋保ワイナリーの新規サポーター獲得、宮城県のりんご農家の支援にもつなげていきたいと考えています。


毛利さんとの出会い

 毛利親房さん、このプロジェクトを一緒に進めていくパートナーの一人です。

 

 宮城県の秋保にある秋保ワイナリーの代表取締役を務めている方で、宮城県の震災復興に熱い想いを持っている方です。

 東日本大震災後、復興の力になりたいと、 「ひと・地域・文化・産業をつなぎ、はぐくむワイナリーづくり」を目的として、宮城県の秋保町で秋保ワイナリーをオープン。

 地元宮城で生産されたワインが人、地域、文化、産業をつなぎ、育み、にぎわいや産業振興に寄与することが創業の想いとなっています。

 

 「被災地だから」ではなく、自力で発展していこうという考えのもと、業種や地域を超えて連携し、宮城の魅力をPRするような活動に多く関わっています。

 

 毛利さんとは2019年6月に初めてお会いし、ゼミ生で秋保を盛り上げるためのプロジェクトでお世話になっていました。

▲2019年6月、秋保でお話を聞かせて頂いたときの記念写真

 

 今回のプロジェクトで幅広い世代の方が宮城県産のりんごで造られたシードルにふれ、地元の食とのマリアージュを楽しんで頂くことで、最終的にはシードルの消費も伸びて行くことを期待して、このプロジェクトを一緒に始めることになったのです。


 

▲秋保ワイナリーにシードルの仕込みのボランティアを行ったときの様子


結城さんとの出会い

  宮城大学OBの結城翔太さんは、このプロジェクトを一緒に進めていくもう一人のパートナーです。

 

▲結城さんは亘理町のリンゴ農家の三代目で、震災後は東北のネットワークづくりに精力的に取り組んでいます

 

 シードルに使用するリンゴは色や形が不揃いのもの、多少キズがあるもので「加工用」と呼ばれるりんごです。味は生食用のりんごと全く遜色のない美味しいリンゴで、加工して販売することでより高付加価値になります。

 

 また、宮城県のりんごは高齢化や後継者不足から、この10年で生産量は30%減少しています。

 商品用のりんごは色や形を揃えるためにとても手間暇がかかるのですが、初めから加工用として生産することで、農家の負担を少しでも減らすことができます。

 私たちは実際に結城農園に足を運んでお手伝いをしつつ、結城さんとのお話から「地元のリンゴ農家を活性化させたい」という熱い想いを感じました。


『はじめてのシードル』 x オリジナルラベル

~400人のアンケートをから導き出した商品コンセプト~

 近年、シードルのブームが来ているといわれていますが、400人にアンケートを実施したところ、「若い女性にはシードルがまだまだ知られていない」ことがわかりました。

​ そこで、20~30代の女性に秋保のシードルに親しんでもらいたいと考え、商品コンセプトを次のとおりにしました!

シードルデビューを後押しする

『 はじめてのシードル 』

 シードルを飲んだことがない人でも、手に取りやすい商品の開発に取り組みます。

 

~ラベルデザインも大学生が~

   また、味だけで無く若者らしいラベルデザインにもこだわりたいと、宮城大学でラベルコンペを実施して、学生が考案した3つの新デザインを選定しました。どんなデザインかは、お楽しみに!

▲宮城大学でラベルコンペを実施した時のポスター

 

~私達が最終的に目指すのは、宮城・東北にお越しいただくこと~

 ただ、私たちの目標はシードルを開発することだけではありません。

 これをきっかけに、秋保の “シードル” に関心を持っていただき、

 いずれは秋保・宮城・東北へ「テロワージュの旅」にお越しいただくことです!!


私たちがこの活動をやる意義

  私たちは、今回の「はじめてのシードル」をきっかけに、宮城・東北の活性化に貢献していきたいと考えています。

 震災から9年たち大学生になった今だからこそ、自分たちにできることを全力で取り組み、自分達が地域を支えていきたいと思っています。

   そのためには、皆さんの協力が必要です。少しでも私たちの思いに共感していただけたら、是非ご支援をお願い致します。 

▲大和・太白の合同ミーティング。ご支援頂いている森本先生と庄子先生も一緒に!

 

◆学生からのビデオメッセージです!


 40秒版

 


 2分版 

 

支援していただいたお金の使い道

◆完成したシードルのお届け

 亘理のリンゴ農家さんが大事に育てたリンゴを使用したシードルを皆さんにお届けします! フルーティーな味わいをお楽しみください。

 

◆オリジナルグラスをお届け

 宮城大学学内のラベルコンペで入賞したデザインを使用してオリジナルのグラスを制作します。是非このグラスで「はじめてのシードル」を楽しんでいただきたいです!

▲オリジナルグラスのイメージ

 

 

活動をポスターにまとめると!

▲プロジェクト紹介用のポスター兼チラシ

  • 2020/04/01 05:59

      2月25日から開始したこのクラウドファンディングは、3月31日で無事終了いたしました。 最初はなかなか集まらず、「このままで大丈夫だろうか」と不安な時期もありました。しかし、周囲の方への声がけはもちろん、SNSでの呼びかけや、多くの方に情報の拡散にご協力いただけた結果、144人の方から...

  • 2020/03/31 09:05

    今日3月31日で、このクラウドファンディングの最終日です。   振り返ってみれば、2019年6月1~2日の秋保ゼミ合宿で毛利さんに初めてお会いしてから10ヶ月が経ちました。 復興のための秋保ワイナリー立ち上げの経緯や、観光促進のためのアキウツーリズムファクトリー(ATF)の活動のお話に、...

  • 2020/03/30 08:59

    このプロジェクトへのご支援・応援ありがとうございます。 クラウドファンディングも残すところあと1日となりました。ここまでの40日間、多くの方からの応援コメントを見て勇気を頂いていました。このプロジェクトは私たちプロジェクトメンバーだけではなく、支援して下さった方々の想いも背負って進んでいくの...