<津和野生活>(パンフレット)作り

▲真ん中右のメガネが私です はじめまして、東京の大学を退学し、津和野町に移り住んで地域活性の取り組みをしています、福井と申します。 元気な津和野町をつくるために奔走する毎日です。 かつては観光の町として栄えた津和野町も、近年では認知度は低くなりつつあり、過疎化が進み人口が急激に減少しています。もっと多くの人に津和野の良さを知ってもらい、津和野に来てくれる人が増えるようにと、どの観光案内にも、定住促進パンフレットにも載っていない、地元に住むわたしだから紹介できるパンフレットを作りたいと考えました。

「なんで津和野におるんや?」

▲津和野で地元民と仲良く暮らしています(右が私です) 大阪でおぎゃあと生まれた私は父、母、妹に負けないくらい自由奔放に育ち、中学校卒業と同時にふと「一人で冒険したい」と思い立ち、タイにバックパックだけ背負って一人旅。全く身寄りの無い所で、”自分一人で逞しく生きる生活”に憧れ、高校時代には一年間スウェーデンに留学したりもしました。スウェーデンで出逢ったのは、「受験」や「就活」といった決められたレールを歩むのではなく、”自立して、逞しく生きる”人々の姿。「こういった生活がしたい」と日本に帰り、東京の大学に入学しました。 でも、そんなに苦労して入った大学をあっさり一年で辞めました。端的に言うと、大学に満足できなかったからです。世の中には至る所に「おかしい」と感じることや、「困っている」人たちがいるのに、それらとは離れた教室で、もっともらしい言葉で議論される知の中身の無さを感じてしまいました。「自分は、なんで大学に入ったのだろう。」 かつて親父が語った「志と、大義と、誠実さがあれば、男が生きる理由としては十分やろ。要は、公のため、人のために、自らの才能を活かせ。それだけや。まあ、俺はまだまだできてへんけどな」という言葉が、頭の片隅に染み付いていたのです。 自分が理想とする生き方って、なんだろう。そう考えながら、その答えを求めて津和野に移住しました。

津和野町のこと

津和野町は島根県と山口県の境目にある人口約 8300人の小さな町。清流日本一の高津川の水の恵みが育むわさびや、鮎、日本酒などが特産品として有名です。大きな酒蔵や、石畳の古い町並みが残り「山陰の小京都」として、かつては1年間に120万人以上観光客が訪れる観光の町でした。 しかし、最近では過疎化と少子高齢化が進み、人口減少率は県内ワースト1位、高齢化率も30%を超えており、このままでは津和野町がなくなってしまうという危機に瀕しています。このまま行くと、2030 年には津和野町の人口は半減してしまい、いつかは日本地図から消えてしまいます。 津和野町で私に与えられたミッションは、この状況を打破する解決策を提案し、小さいながらも実行して行くこと。その中で、人の想いや言葉に動かされてきた私だからこそ、伝えたい、津和野の良さを見つけて、たくさんの人に伝えたいと考えました。

いつのまにか、日本からなくなりつつある、生きる知恵

観光の町としてのイメージが強い津和野ですが、津和野の魅力はこういった自然や建物などの観光資源だけではありません。 都会のように、便利な交通機関や、ワクワクする遊び場はありませんが、地元の人たちはこうした、「ない」中から、「ここにしかないもの」を見つけ出して、自分たちで楽しい生活を手作りしています。 ▲酒蔵ディスコ 例えば、津和野のシンボルの一つである酒蔵。地元のおっちゃんたちが「素敵な音楽が聴けて、気軽に飲めて、あわよくば男女が楽しく交流できる場所が欲しい!」と考えて、酒蔵の杜氏さんと、お坊さんをしながらDJをしている人、その他大勢の地元民が集まり、 酒蔵を素敵な「ディスコ」に変えちゃったりしています。 言い出しっぺのおじさんは「酒蔵といえば、観光客にとっては歴史的な”建物”だけど、自分たちにとっては、”生活の場”。だから、時代に合わせて、地元の人間が楽しみのために使っていいじゃない」と言い、「ない」中から、津和野にあるものを活かして、津和野でしかできない日々の楽しみかたの知恵を絞っています。 ▲雲海カフェを開く町の人たち また、秋の朝晩の気温差がある日には、「仲間と気分良くコーヒーが飲みたいね、でもスタバはないし」と、ちょっとしゃれたことを考え、国道沿いの空き地に車を走らせます。「なにをするんだろう?」と半信半疑でついて行ってみると、そこにあったのは、すっぽり雲に覆われた町と、ぽこっと顔を出した津和野城の姿。典型的な盆地地形の津和野では秋の一時期だけ雲海が見れます。「ここはのう、地元の人だけが知っちょる雲海スポットなんじゃ。ここで、いつかコーヒーが飲みたいと想っとってな。今日は、雲海カフェの日。」そう言いながら、続々と地元の人たちが集まり、サンドイッチ、コーヒー、テーブル、アウトドアチェアーを並べて、カフェのできあがり。 「すげえ。こんなん東京やったら考えられへん。」 町の人たちが自分の町のことをよく知っていて、知恵を絞って、この町を楽しむ姿。その姿にとても感動しました。きっと、これは町の人たちが真摯に自分たちの町、生活、生き方、人生をみつめて、能動的に、積極的に生きているからこそ生まれた知恵であり、日々の生活だと思います。 こういった地元民の生活、都会じゃできない生活をもっとたくさんの人に味わって欲しい!と強く思うようになりました。

もっとたくさんの仲間を!

でも、雲海カフェを楽しむ地元のおじちゃんは言います。「んー。そうじゃのう。もっとたくさんの人に知って欲しいって気持ちはあるんじゃけど、どうしたらええかのう。それに、このままじゃ、こんな遊びをする、こんな生活をする人もどんどん少なくなるんじゃ。」 津和野の人口はどんどん減っています。津和野で育った若者も、通学範囲内に大学が無いから、働き口が無いから、という理由で18歳になったら町外に出てしまいます。せっかく、こんなに素敵な人生が送れる場所があるのに、人生を楽しむための知恵があるのに、それが継承されずに、いつかはなくなってしまうなんて、もったいない! きっと、この素敵な知恵って、もっとたくさんの人に伝えることで、共感されたり、もしかしたら、「こんな生活してみたい!」っていう人もいるんじゃないかな、そう考えて、こうした魅力をまとめたパンフレット作り、たくさんの人に津和野を知ってもらい、津和野に来てもらう人を増やそうと考えました。 今の津和野に必要なのは、津和野らしい生活に共感する人を増やすこと。この生活に憧れて、町を訪れる人を増やすこと。素敵な仲間たちと、楽しい毎日を過ごす人を増やすこと! 「このままだと、津和野がなくなっちゃいますよ!」と、町のみんなに協力をお願いして、パンフレットを作るチームを作りました。酒蔵ディスコも、雲海カフェも手作りするように、町のパンフレットも町のみんなで手作りすることにしたのです!

豪雨で目が覚めた

▲災害復旧のボランティアをする大学生 こうして、みんながまとまったきっかけの一つに、2013 年7月の集中豪雨がありました。 津和野の一部地域は甚大な被害を受けたのですが、「津和野は豪雨を受けた地域だ、被災地域だ」というイメージは拭いきれず、観光客は減る一方。「このままだと、いけん!」 と町のいろんな人が立ち上がり、元気な津和野をアピールするキャンペーンを行ったり、 観光客を誘致するキャンペーンを行ったりして、災害前のレベルまで観光客数はなんとか戻りつつあります。 この豪雨がきっかけになって、町の人が「改めて、津和野の良さを見詰め直して、もっとたくさんの人に来てもらおうよ」という気持ちを抱き始め、今回のパンフレット作成チー ムが結成されました。お寺の受付嬢、農家さん、和菓子屋の社長、米屋の店主、福岡からの I ターン、町を想う いろんなひとが集まって、津和野らしい生活や、素敵な知恵を集めています。「会議できる場所がないんですけど・・・」と言うと、米屋の店主さんが「もう、うちを使いんさい!」と、パンフレットチームのミーティング場所は米屋の軒先。「オフィスなんてないけど、いいじゃない!あるものを使えば」

冊子について

「どんなことが津和野の魅力だっけ?」 と、みんなで知恵を絞った結果、出てきたものが、津和野らしい生活とか、津和野での人生を楽しむための知恵。酒蔵ディスコも、雲海カフェもそう。 ▲中村さん 東京から津和野の教育プロジェクトに携わる燃える若者がいる。中村純二さん。彼はJICAの活動で滞在したタスマニアで得た見識や、日本の教育に一矢報いるために津和野に移住してきた。「当たり前に捉われていてはいけない。僕にとっては、津和野は日本で最先端の地域。だって、こうして、どこの地域もやっていない教育プロジェクトをやろうとしている。それだけで、移住するには十分な理由だよ」と語る彼は日々、津和野の未来のために奔走している。 ▲海太郎さん 10年以上前に久留米からIターンして農業を始めた海太郎さんは、自分が理想とする有機農業を行うための地盤作りとして様々な作物を作りながら津和野の奥地で生活している。スケジュールには、びっしりと予定が書き込まれている。 「農業は生活の一部。どういう農業、というのもそうだけど、どういう暮らしがしたいか、それを考えている。」と話す海太郎さんは、仲間とともに「農家バンド」を組み、土だけでなく音楽とも仲良くしながら暮らしている。「娯楽なんて田舎にないだろう」とたかをくくっていた私ははっとさせられた。 みんな、たくましく、楽しんで、生きている。 「そうした、人々の生活や、日々の知恵を知ってもらって、『ようこそ。一緒に津和野で 暮らしませんか?津和野に来てみませんか?』ということを伝えたいね!」 津和野で暮らす人や、その人たちの生活、知恵、人生を知ってもらい、「自分らしい生き方」を探している人たちに届ける。 パンフレットにはそんな町の人の想いが込められています。

冊子詳細

◯インタビュー特集〜つわものたち〜 =農業するために移住/仕事に憧れ移住/U ターン/短期滞在の4種類のつわの暮らしに迫る = ◯つわガール =津和野の女性を取り上げ、彼女たちの仕事、津和野の楽しみ方、子育て事情などを紹介する= 森で逞しく子どもを育てる”もりのようちえん”とっても田舎の津和野でオシャレな花屋さんを経営するお姉さん つわガールが案内するツアー ◯水のめぐりとめぐみ =津和野を水の巡りに沿って紹介= はえ、ゴッパツ、鮎、ツガニ、わさび、鯉、等々の水のめぐみと、そこに垣間みる生活 の知恵を紹介 ◯交流できる場所の紹介 =Tsuwano Screen Project、お寺でDisco、神楽の紹介= 津和野を楽しむ地元民の知恵に触れられる場所を紹介。 どこにいけばいいの?何をもっていけばいいの?これさえあれば、ちょっぴりつわの暮らしを体験できます!

支援金用途

・印刷製本費用 25万円 ・デザイン費用 3万円 ・取材費用 2万円 ・FAAVO手数料 10万円 ・お返し費用 10万円 計 50万円

メッセージ

逞しく津和野で人生を謳歌する人たちをみて、自分のこれまでを恥じました。自由奔放に、能動的に人生を楽しんでいると思っていた自分は、東京にいたときには、用意された娯楽を楽しみ、身の回りのちいさなことに気付き、自分で人生を謳歌できる場所を作るということは全くしてこなかった人生。津和野で、知恵を絞って楽しむ人たちを見て、はっとさせられました。「自分らしい生き方って、こうして、身近な、些細な、でも大事なことに目を向けて、能動的に楽しもうとすることから始まるのかな?」そう思ったのと同時に、きっと、こういう豊かな暮らしって、都会の人にとっても素敵に感じられるんじゃないかなあ、とも感じました。もっと、たくさんの人に知ってもらって、一緒に津和野で楽しんでほしいなあ。 地元民だからこそ作れる、どこにも載っていない、濃い(こゆい)津和野の情報がまとまったパンフレットを作ります。 みなさん、ご支援よろしくお願いします!
  • 2014/03/01 10:40

    ついに、達成しました! みなさま。ほんとうに、ありがとうございます。 たくさんの人の協力を得て、ついにファンディング達成しました!残り、半日ありますが、現時点でサポーターは100人を超え、イイネ!はなんと1315件もいただいております。 ほんとうに、感謝です。 思い返せば、...

  • 2014/02/18 22:58

    こんばんは。 みなさまのご支縁の輪が広がり、当プロジェクトも達成まで残すところ6万円あまりとなりました。 ここからあと一踏ん張り。残り10日間精一杯たくさんの方々に活動をお伝えして、達成したいと思います! 今日は、津和野にある花屋さん、"はじめ"を取材しました! <...

  • 2014/02/14 14:41

    地域活性ってなんだろう こんにちは! 津和野パンフレット制作プロジェクトにご支縁、ご協力頂き、ありがとうございます! 皆様のご支縁のおかげで、残り6万4000円まできました。 残すところ、あと僅かです。 今日は、取材をしながら、僕がぼんやりと考えてきたことなんかを書きたい...