皆さん、はじめまして。
数あるプロジェクトの中から私たちの竹灯籠プロジェクトをご覧くださいまして
誠にありがとうございます!
川棚町 片島竹灯籠まつり実行委員長の三好史朗(みよし しろう)です!
【写真:川棚 片島竹灯籠まつり実行委員長 三好】
1973年生まれの43歳。お世話になっている地域に微力ながら恩返しが出来ればと思い、活動している2男1女の父親です。
川棚ってどんな町?
私が暮らす川棚町(かわたなちょう)は人口1万4000人。
目の前には波静かな海が広がり、
町の中央には大きな川、
そして背後には山がそびえる自然豊かな町です。
【写真:空から見た川棚町】
海は蒼く、水は清らか。
山から吹き下ろす清々しい風が、この地に住む町民の暮らしを見守ってくれています。
戦争遺構がある片島ってどんな場所?
竹灯籠の会場である片島は町の南部にある半島で、その名の通り、昔は小さな島でした。
その島を陸続きにし、地元の住人にはビール工場と言いつつも極秘の軍事施設を作った背景には、当時の時代が大きく影響しています。
少し川棚町の歴史をさかのぼる事にしましょう。
【写真:片島の全景】
川棚町は戦前、人口約7500人の小さな村でした。
ところが大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり状況が一変しました。
町に海軍工廠(兵器の製造工場)が建てられると同時に人口が激増し、最大約5万人が暮らしていたと記録が残っています。まさに戦争で大きくなった町ということになります。
【写真:魚雷発射試験場本部跡】
1918年に開設された片島魚雷発射試験場では、佐世保海軍工廠で製造された魚雷の発射試験が行われていました。ここで合格となった魚雷が再び佐世保に送られていたのです。
戦後71年が経過した今でも、当時使われていた建物は時間とともに朽ち果てつつも残っていて、この場所だけ時が止まったかのように感じていました。
姪っ子との話で気づいた「継承する大切さ」
長崎は人類最後に原爆を落とされた地です。そして、最後であって欲しいと心から願っています。
夏休み中の8月9日。この日は県内全ての小中学校は登校日となり、平和集会を開いて平和の尊さ、戦争の悲惨さを学ぶ1日になっています。
昨年の春、小学3年生の姪っ子と何気なく話をしていたとき。
戦後70年ということもあり、話題は戦争の話になりました。
姪っ子は
「戦争って聞いただけで恐かとさ。あんまり聞きたくなか。」
と私に言いました。
確かに戦争は多くの人の命を奪います。
同時に幸せな普通の生活を奪ってく恐ろしいものです。
しかし、今、私たちが平和に暮らせるのは
「戦争の悲惨さを二度と繰り返してはいけない」
「将来の子孫のためにも平和への道を歩もう!」と取り組まれて来られた先人達の思いが
受け継がれてきたからこそなんだと、その時、気づかされました。
70年という長い月日の間、私たちが笑って幸せに暮らして来られたのも、多くの先達の方々の優しさに包まれていたからなのです。
「草刈り」から生まれたアイデア
定期的に近隣住民の方々が集まってゴミ拾いや草刈りなどの環境整備を行っておられます。子供達も参加して、地域全体でこの場所を守る活動をされています。私も気がつけば手に鎌を持ち、無心で草刈りをするようになっていました。
【写真:片島での草刈り】
広い敷地内の作業は1日かけて行います。大人も子供もみんな一緒です。
みんなで同じ汗をかき、終わった後の爽快感は何とも言えない清々しさがあります。
環境整備は草刈りやゴミ拾いだけでなく、周辺に自生する竹の伐採も行います。
真っ直ぐに伸びた竹を伐採しながら、ある方から「竹を勝手に切られても怒る人はいない」という言葉を聞き、竹が厄介者として扱われているのを知りました。
その話を聞きながら「あれ?竹って思っていたイメージとは違ったんだ」と違和感を感じました。
私の頭の中にある竹のイメージは、あの昔話でした。
そうです「竹取物語」です。
物語に出てくるかぐや姫は黄金に輝く竹の中にいて、優しいおじいさんに見つけられ、大切に育てられ、最後は別れを惜しみながら月へと帰っていく。。。
【写真:竹灯籠のロゴ】
物語の中で、竹はかぐや姫を優しく包み守ってくれた存在です。
平和への道を進み、使われず朽ち果てていく戦争遺構。
切り倒したら、逆に喜んでもらえる嫌われ者の竹。
優しく守られ、優しく大切に育てられたかぐや姫...
「これだ!!」
その瞬間、この3つのパズルがつながったのです!
竹灯籠!!
「この竹を再活用して、先人達の平和を願う優しさを未来に語り継ぎ、片島が語るメッセージを発信するにはコレしかない!!」
そして昨年11月28日。一夜限りの「片島 竹灯籠まつり」を開催しました。
【写真:灯籠に浮かぶ遺構】
【写真:七色に光る壁】
【写真:光を紡ぐ】
第一回川棚 片島竹灯籠まつりの様子です。
想いが集まった「第一回川棚片島竹灯籠まつり」
昨年の初夏。
いつも一緒に活動している多くの仲間に私の想いを語り呼びかけました。でも最初はあまり受け入れられず、それでも必死に説得して10名の理解を得る事が出来ました。
2015年11月28日と開催日を決めたものの、作業当日、知識も経験もなく、あるのは根拠のない熱い想いだけでした。それからは毎週のように集まり、試行錯誤を繰り返し、1つずつ1つずつを形にしていきました。
【写真:竹加工の様子】
夏から準備をはじめ、竹を150本ほど伐採し、約600本を小切りに。
切り出した竹は山のように積み上がり、先の見えない作業が続きました。
【写真:灯籠への色つけ】
必死に準備を進めていくうちに、想いを理解してくれた商工会や行政、観光協会、大学生など町内外の方々等の協力者が次第に増えていきました。それでも、この時ですら誰一人、自分がやっている作業がどのような事になるのかを知る人はいませんでした。
笑顔。感動。そして感謝。
それでも、ただただ必死に、ただただがむしゃらに準備を行い、そして開催の当日。
陽が暮れ始めた夕方。私たちの目の前には約3,000個の竹灯籠の明かりが広がっていました。
【写真:第一回川棚片島竹灯籠まつり】
ご来場頂いた方は1,000名を超え、
「こんな素晴らしい場所が川棚町にもあったとね」
「是非来年も続けてね」
など、中には涙を流して感謝してお帰りになった方もいらっしゃいました。
【写真:来場者の様子】
私たち主催者も、この灯りに感動し「繋ぐ」大切さを強く実感しました。
【写真:開催日の集合写真】
気がつけば協力者は50名を超え、開催当日は80名の仲間が片島に集まっていました。
来場者目標5,000人!「第二回川棚片島竹灯篭まつり」
昨年は主催した私たちが一番に感動しました。
今年はより多くの皆様に戦争遺構で開催する川棚 片島竹灯籠まつりを通して平和の願いや感動を体感して頂きたいと思っています。
そのために敢えて目標を高すぎるくらい高く持つようにしました。
開催日を2日間、目標来場者数を5,000人とし、2016年10月29日(土)、30日(日)に開催します。
【写真:竹灯籠 五連アーチ・ロゴ】
昨年の余韻に浸る事は感動アンテナを鈍らせ、些細な気づきも見逃し、無意識に目的を誤魔化してしまうと感じたからです。これはメンバー総意でした。
【写真:2016片島竹灯籠まつりポスター】
私たちは竹灯籠の数には興味がありません。
求めているのは「1つ1つにどれだけ想いを込める事が出来るか」
そうです。私たちの先人の方々が、私たちに繋いでもらった平和への想い、優しさを未来に伝えるため「何が出来るか?」に力を注ぎたいと思っています。
今年の新たな取り組みとして
・ご来場の皆様と一緒に灯籠への点火
・地元の吹奏楽部による野外音楽演奏
・川棚の歴史についての映像を会場にて放映
・竹灯籠の思い出として撮影スポットの設置
・近隣の自治会・子供会と一緒に灯籠作り。世代間交流の場作り。
・ローソクキャンドルとのコラボレーション
集まった支援の用途とその内訳
制作費(工具) ¥20,000
材料費(ローソクなど) \120,000
リターン品 \100,000
FAAVOへの手数料 \60,000
さいごに
時が止まったままの場所が川棚町にはあります。
この片島の地で、子供達に歴史や平和の尊さを竹の柔らかで暖かい光を通して、継承していきたいと考えています。
過去、現在、そして未来へとつなぐためにも是非、力を貸してください。
そして可能であれば是非、直接足を運んでくださる事を心から願っています。
宜しくお願いいたします!
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第二回川棚片島竹灯籠まつり
2016年10月29日(土)、30日(日)
17:00~21:00
場所:長崎県東彼杵郡川棚町三越郷151-1
JR川棚駅よりシャトルバスを運行します(川棚駅から車で約10分)
駐車場:あり(2箇所・約400台)
※雨天時:2016年11月19日(土)、20日(日)に延期
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