ご挨拶
初めまして。私たちは番場(ばんば)の「歴史を知り明日を考える会」です。
私たちが住む滋賀県米原市番場は、江戸時代中山道の宿場町として賑わった「番場宿」です。
訪れる方も年々増え、皆さんが休息でき、番場の歴史を知ってもらえる資料館として、彫刻家・泉亮之翁の生家を改装し作ろうと考えました。
米原市番場、どんなところ?
米原市番場は江戸時代「中山道・番場宿」として栄えました。歌川広重の「木曾海道六十九次」の一つとして番場宿が今に伝えられています。まだ多くの方に知られていませんが、歴史的名称が数々あります。
(広重作:番場宿)
(番場宿石碑)
(現在の番場)
浄土宗本山・蓮華寺
そのひとつとして、聖徳太子が建立した(当時は法隆寺と称された)浄土宗本山の蓮華寺があります。
1333年、南北朝時代、足利尊氏に攻められた六波羅探題の北条仲時らは東国に落ち延びる際、佐々木道誉に塞がれ、ここ蓮華寺で自刃しました。その後歴史は室町時代に向かうこととなります。蓮華寺は貴重な歴史的舞台となります。
(蓮華寺本堂)
(花園天皇から菊の御紋を頂いた勅使門)
(仲時以下430余人が奉られた石塔)
蓮華寺に忠太郎地蔵尊があります。
1930年、長谷川伸先生の戯曲「瞼の母」は全国で一世風靡しました。その主人公「番場の忠太郎」の地蔵尊が蓮華寺にあります。
(忠太郎地蔵尊)
近くには鎌刃城跡があります。
(主郭虎口)
(大櫓跡からの眺望)
鎌刃城は江北と江南をつなぐ要所として、戦国時代には北近江の京極氏・浅井氏と南近江の六角氏が領有をめぐって争った城です。
鎌刃城跡は続日本100名城に指定され、訪れる方も年々増えていますが、いまだ一部の城跡愛好家に限られています。多くの方に関心を持ってもらう為に番場の歴史を知ってもらえる資料館を作ろうと思いました。
続日本100名城スタンプ置き場は、番場1844番地の喫茶源右衛門にあります。
そして番場では彫刻家の泉亮之(すけゆき)が明治から大正にかけ創作活動をしていました。
泉亮之翁の生家を改装し、資料館にします。
予算のない中で改装工事を始めました。
泉亮之の項目
資料館の一室には番場が生んだ彫刻家・泉亮之作品のパネル展示をする予定です。
明治から大正時代に活躍し当時ロシア皇太子が来日された時に作品を上納、また大隈重信は亮之が送った杖を愛用し、その礼状が残っています。
(泉亮之)
(泉亮之の作品)
(伊吹山に奉納した日本武尊)
番場宿を活気ある町に!
蓮華寺、番場の忠太郎、鎌刃城、中山道、歴史を魅力ある形で深く掘り下げ後世にお伝えしたいと考えます。
皆様のご支援、ご協力をお願い致します。
支援金の使い道
今回皆様にご支援いただいた資金はすべて資料館の改修費用に充てさせていただきます。
(クラウドファンディング手数料、返礼品費用、雑費含む。)