大津市にゆかりのある人物が、大河ドラマの主人公に!明智光秀のシンボルとして大津市内に700個のききょうのプランターを設置したい!

滋賀県の南西部、琵琶湖沿いに南北に広がる大津市。古くから琵琶湖の水上交通の要衝として栄えてきました。

 

京都市と隣接していることもあって歴史上に登場する人物と関わりが深く、天智天皇が遷都した大津京跡、世界文化遺産である比叡山延暦寺、幾多の苦難を乗り越えてきた不死鳥の寺、三井寺、紫式部が『源氏物語』を執筆したと伝えられる石山寺など、多くの名所が残されています。実は、大津市は市町村単位での国指定文化財保有件数が京都市、奈良市に続き、全国で3番目に多い街です。

 

その中でも特に大津市坂本にゆかりのある歴史上の人物が、なんと2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公に選ばれました。これまでスポットライトがあまり当たってこなかった武将の抜擢は、大津市民にとっても大きなサプライズとして注目を集めています。

 

ご挨拶

 

はじめまして!2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』大津市観光振興協議会の事務局を担当している、びわ湖大津観光協会です。左から、山川裕史、井上敏、田中眞一の3人が中心になって、大河ドラマの舞台となる大津市を盛り上げる活動に取り組んでいます。

 

2020年の主人公に選ばれたのは、明智光秀。主君であった織田信長を本能寺の変で討ち取ってからまもなく羽柴秀吉(豊臣秀吉)に破れ、戦国の世に散っていたことはあまりにもよく知られています。そんな光秀は、本能寺の変に至るまでの約10年にわたって大津市内の坂本地区を拠点としていました。

 

大津市に関わりの深い明智光秀の大河ドラマに合わせて、私たちは光秀の生涯に触れる「光秀大博覧会」を企画したり、ゆかりの深い他の地域と連携したりして、『麒麟がくる』を一緒に盛り上げるために準備を進めています。

 

大津市でもあまりなじみのない存在だった明智光秀

明智光秀、と聞くとどんなイメージを抱くでしょうか。歴史は勝者の視点から語られやすいものですから、ほとんどの人が「信長に反旗を翻した謀反人」と記憶されてるかもしれません。

 

かくいう私たちも、実は大津市で仕事をしていながら明智光秀のことをそこまで深く知らず、これまではあまり思い入れもありませんでした。光秀が築いた坂本城のあったエリアは別として、大津市内で生まれ育っても、光秀のことをじっくり調べたりエピソードを聞く機会は少なかったのです。

 

だから正直、大河ドラマ史上初めて明智光秀が主人公に選ばれたと聞いて驚きました。戦国時代といえば織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三武将が定番ですし、全国的に「反逆者」と思われている光秀が選ばれるとは、私たちにとっても「まさか」だったんです。

 

でも、これまで選ばれてきた主人公は尊敬される物語を持った人物ばかり。明智光秀にもきっと人々に慕われる面がたくさんあったのだろうと思い、光秀の生涯を知ろうと調べ始めてみました。

 

知れば知るほど地元の誇りに思える知将・明智光秀

調べていく中で痛感したのは、もともと持っていた光秀に対するイメージと実際の人物像との大きなギャップです。

 

もちろん本当のところはわかりませんし、三武将と違ってあまり文献が残っていません。しかし大津市内に残されている史料や史跡、そして受け継がれてきた物語からは、これまで光が当たってこなかった光秀の意外な側面をいくつも知ることができました。

 

例えば軍略や政策にも深い知見を持ちながら武術にも優れ、多彩な才能を持った人物だったこと。織田信長と室町幕府との仲介に入っていたことから敏腕な政治家としての一面がうかがえますし、和歌や茶の湯を好んだ文化人らしい記録も残っています。

 

光秀が信長に築城を命じられた坂本城は、琵琶湖の水を城内に引き入れた水城形式。現在はその遺構のほとんどが湖中に沈んでいますが、外国人宣教師が著書の中で“安土城に次ぐ名城”と讃えるほどに豪壮な城だったと言われています。築城や建築に関する知識も持ち合わせていたのでしょう。

 

さらに、光秀は人情家だったとも伝えられています。1571年、信長の命令によって光秀は羽柴秀吉とともに、大津市坂本地区にある比叡山延暦寺を焼き討ちしました。坂本城を築いて光秀が大津市内に拠点を置いたのは、この焼き討ち直後のこと。比叡山の監視を命じられた光秀は、すぐさま坂本地区の復興に動き出したのです。

 

自ら先頭を切って攻め込んだ比叡山の凄惨な焼き討ちを目の当たりにし、焼き討ちの影響を受けた坂本の復興に尽力した光秀。その心模様を私たちは知る由もありませんが、内政手腕に優れていた光秀の統治によって、坂本は次第に復興していきました。

 

西教寺の動画

 

菩提寺である西教寺にある供養塔が今でも大切に守られている光秀が、その命尽きるまで坂本でどのような時間を過ごし、どう領民に接していたのか、想いを馳せることができます。

(西教寺 宗祖大師殿唐門)

 

(西教寺から望む琵琶湖) 

 

自身の家臣が戦死した際には戦死者の家族に寄進をし、妻・煕子と寄り添った愛妻家としての一面も語り継がれてきました。家臣への心遣いをしたり正室の存命中は側室を持たなかったりする武将は、当時としては珍しい存在です。

 

このように、大河ドラマをきっかけに明智光秀を見つめ直すことで、もともと近くにありながら身近な存在ではなかった大津市内の史跡や出来事などの固有名詞がつながり、光秀が同じ大津市で生きていた実感を持てるようになっていきました。

 

私たちが新しい明智光秀像を頭の中で描き始めたように、大河ドラマでは光秀の新しい側面が描かれたらいいなと思っています。それによって市外の人には大津市に遊びに来るきっかけに、地元の人にとっては光秀を誇りに思うチャンスになったら、これ以上嬉しいことはありません。

 

桔梗の花を大津市内に植えて、観光客にも市民にも楽しんでもらいたい

 

そのために私たちが注目したのは、桔梗(ききょう)の花です。明智光秀の家紋として用いられていたこの花は、観光客が大津での時間を楽しみ、地元の人が光秀を心に留める拠り所になるのではないかと考えました。というのも、桔梗は光秀が後世のために遺してくれたのではないかと思うほど、大津で光秀を知ってもらうのにぴったりの花なんです。

 

桔梗は日本の在来種で、古くから茶花として飾られてきたなじみ深い花。この花言葉は「永遠の愛」「誠実」「従順」で、まさに光秀を表したような花だと言えます。さらに、最もポピュラーな色である紫と白は琵琶湖の色とも近しく、琵琶湖に沿って広がる大津にぴったりな景観を生み出すことでしょう。

 

(プランターイメージ)

 

この桔梗の花を700プランター分用意し、明智光秀のシンボルとして大津市内に配置しようと準備中です。桔梗の花が咲くのは6〜9月、ちょうど大河ドラマ『麒麟がくる』で大津市内が舞台となる時期と重なります。観光客と地元の人両方の目に留まる場所に桔梗を植えることで、光秀や大津に思いを馳せるきっかけとなれば嬉しいです。

 

プランター設置予定場所

・街並みに沿った主要公共施設

 


・駅等のターミナル 

 

・民間事業所

 

設置場所場所は1月から協議をする予定です。決まり次第皆様に報告をさせて頂きます。

 

 来年4月 あなたも一緒にききょう咲かせませんか?

「ききょうプロジェクト」と名付けたこの活動が目指すのは、桔梗によって大津全体をつなぎ、大河ドラマが終わった後もずっと「オール大津」で地元を盛り上げていくこと。桔梗は宿根草なので毎年植え替える必要がなく、管理が比較的簡単なので、今後も長く人々の目を楽しませてくれることでしょう。

 

大津市内外どちらの人にとっても、そしてこれから大津で生まれ育つ子どもたちにとっても、明智光秀と出会い直して思いを寄せるよすがになったら。そんな願いを込めて準備を進めている「ききょうプロジェクト」を実現するために、応援どうぞよろしくお願いします!!

 

支援金の使い道

 ・ききょう 9cmポット苗 1500:346,500円


・プランタ 700 12ℓ・個:152,460円


・培養土  700個×12ℓ 肥料一式:99,000円


・クラウドファンディング手数料・諸経費:232,040円

 

スケジュール

2020年1月:プロジェクト終了

2020年1月:資材発注・ボランティア調整

2020年1月~3月 :プランター設置場所調整


2020年3月:植付作業

2020年4月~5月:ききょう配置

 

クラウドファンディングにより材料を調達し、各協力団体で植栽作業を行います。

 

関係団体:

大津市公園緑地協会

日本造園修景協会滋賀県支部

滋賀県造園協会西地区

日本造園建設業協会滋賀県支部 等

 

お問い合わせ先

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」大津市観光振興協議会
事務局・びわ湖大津観光協会

077-528-2772 担当:井上