『崇徳院御製集(仮題)』を電子出版します‼︎
・なぜ今、崇徳院(ストクイン、シュトクノイン)なのか?
▲崇徳院像『 天子摂関御影』より ▲
宮内庁三の丸尚蔵館蔵
崇徳院(第75代崇徳天皇)は、元永元年(1119年)5月28日、鳥羽天皇の第一皇子として出生されました。つまり今年2019年は 、崇徳院御生誕900年目に当たる記念すべき年です。
また、今を去ること151年前、明治天皇は明治改元直前に、四国讃岐の白峰山陵に鎮座する崇徳院の霊を、京都御所のすぐ近くの地に招霊、分祀されました。
それは保元の乱(1156年)によって悲惨な運命を辿られた崇徳院の御霊を慰めると共に、幕末から維新に向けての大転換期に当たって御加護を祈ろうとされた、父帝孝明天皇の御遺志を継がれたためです。それが、京都市上京区の白峯神宮です。
日本の歴史の大きな節目に登場された崇徳院に、令和の初年に再び光を当てることは意義のあることではないかと思われます。
● なぜ和歌なのか?
▲八重桜に寄せた、年老いた近臣への深い思いやり▲
「あかほしの会」の目的の一つは、崇徳院という歴史上の人物について、いろいろな角度から迫ろうとすることです。まずその第一に、院が生涯深く関わった和歌から、院を探ることにしました。
和歌、特に短歌は、五、七、五、七、七のわずか三十一音から成っています。しかしわずかな音数と言えども、その一首々々(イッシュイッシュ)には深い重みがあり、詠んだその人の全人格が表れると言っても過言ではありません。
そのような意味から、院を探るための最もふさわしい近道として、和歌を取り上げます。
崇徳院は、その生涯の中で膨大な数の歌を詠まれたはずです。しかし、その苦難の生涯と、歴史の転変を超えて現代にまで伝わっている歌は、限られた数しかありません。どんなに探索しても、信頼出来る出典から探ることの出来る御製は、現時点でわずか180首足らずです。
しかし180首足らずの歌数でも、院の和歌集(御製集)としてまとめあげることは、院の人となりを探るための大きなよすがとなり、さらには院の御生誕九百年の祝賀ともなり、令和改元の記念ともなると確信しています。
● 現代まで、崇徳院の和歌集はなかったのか?
▲ 国立国会図書館蔵 『崇徳院御製集』▲ 画像転載許諾済み
大正11年10月 崇徳天皇聖蹟敬仰會発行 165首収載
天皇等、皇族の和歌集(御製集)として、『後鳥羽院御集』、『順徳院御集』等がありますが、崇徳院の場合は自撰によるものも他撰によるものも、近代までは存在しなかったと見て良いようです。「おんうた あまた しるしおかれた」という記述が古典籍に残されていることから、崇徳院自らが御集と想定されるものを自撰しようとした形跡があったことは類推されますが、やがてそれらは歴史の動乱の中に散逸、埋没してしまったものと思われます。
時を経て、近代になってからようやく、崇徳院の御製集が数種類刊行されてきました。
それは、例えば大正の改元事業として、あるいは昭和10年頃という国民精神発揚のため、あるいは崇徳院崩御八百年御忌など、独自の目的をもってなされたものがほとんどであり、その発行者も特別な機関であったり、崇徳院を尊崇する会であったりしたことがほとんどでした。
これら御製集の編纂の歩みから伺われることは、院の御製がどれくらい伝存しているのか、近代になってから地道な探索の作業が続けられてきたことです。
それは、全160首、164首、165首、166首と、時代を追ってわずかずつながら増加してきました。遅々とした歩みではありますが、そこには編纂者の熱意のようなものも伺われるところです。
これまでに最も歌数が多く収載されていたものは、『崇徳天皇御製集』(白峯聖蹟護持会、昭和50年1月発行)の166首で、それが御製集として直近のものです。
▲ 『崇徳天皇御製集』昭和50年1月 白峯聖蹟護持会発行 ▲
166首収載
あかほしの会では、諸氏の先行研究や各御製に付された詞書、そして諸典籍の解釈を元に、さらに12首を加えて、178首を御製として確認することが出来ました。
これまでの御製集の末席を汚すことになるかも知れないことを恐れつつ、この178首を、令和元年の今年中にぜひ出版したいと決意しています。
・どんな和歌集にするのか?
▲ 御 辞 世 ▲
今までの御製集と異なり、これら178首を出来るだけ年代順に配列することを企てています。5歳から18歳までの天皇期、18歳から37歳までの上皇(新院)期、そして保元の乱に敗れて四国讃岐に流され、そこで崩御する46歳までの3期間に分けて並べます。
遠流地讃岐では「詠歌を断じた」と辞世の長歌の中で院自ら述べられていますが、それでも例外的に詠まれた御製二十数首を確認することが出来ました。
年代順の配列により、幼少年期から青年期にわたる天皇期と、上皇期、さらに後半生の遠流期に至るまで、一貫して変わらない院の人間性、心象と言うものをつかんでいただけるかも知れません。崩御後は怨霊となって日本国中に災いをもたらしたという伝説や物語等との記述とはほど遠いものがあることも、感じていただけるかも知れません。
院政期という、時代の転換期に生きた崇徳院の人間としての魅力や、特に讃岐遠流期では、歌の贈答を通しての内面の変化と言ったものも伺われるかも知れません。
一首々々の現代語訳は、歌の意味等を限定しかねないので付けません。
ただ、それぞれ出典だけを付記します。
用語や用字は出典によってまちまちなものが多いですが、これは現代人に読みやすいものにして表記する予定です。
ただし、旧仮名遣いのままの表記にします
崇徳院の年譜も付けます。
平安時代から令和に至るまで、多くの人達から敬愛され、崇められ、尊ばれてきた崇徳院にふさわしい、品位のある装丁にしたいと思います。
・どんな人達のための出版なのか?
▲ヤマブキの歌に見える、里人達への温かな眼差し▲
どんな人達のための出版か?
数年前にNHKの大河ドラマ「平清盛」が放映されて以来、「新院様」として登場してきた崇徳院に関心を持つ人達が急激に増えたように思われます。そして、今では実に様々な分野の方達から関心を持たれていると思います。
はじめはそのような、崇徳院を思い、慕い、学ぼうとする人々のための出版のつもりでした。
しかし、事を進めて行くうち、それはちょっと違うな〜と思うようになりました。
この上なく和歌を愛し、幼少の頃から崩御直前まで歌を詠まれ、悲惨な一生ではあったけれど、讃岐では歌によって、あの世へ旅立つことへの覚悟をつけられたと言っても過言ではなかったようです。
しかし、苦難の一生の後に付されたのは、怨霊、しかも日本の三大怨霊というレッテルです。
悲惨な一生の後に冠せられた呼称が怨霊とは、そしてそのレッテルが現代に至るまで連綿として貼られ続けているということは、それこそが悲惨そのもの、現し身の頃の悲惨さを何倍も上回るものではないでしょうか。
事を進めて行くうち、この出版は、崇徳院のためのもの、崇徳院の本当の心を現代の人達に知ってもらうためのもの、崇徳院に捧げるためのものだと思うようになりました。
前項にも記したように、大正や昭和時代の御製集は、それなりの機関や会が出版したものでした。あかほしの会は、まだスタートしたばかりの、海のものとも山のものとも分からない段階の会です。
それでも、お一人でも多くのご支援をいただければ、きっと崇徳院は喜ばれると確信致します。
御出生されたのが900年前、ご崩御から850年を過ぎました。それほどの長い間、貼られ続けてきたレッテルは、この出版を通して解消されれば幸いです。
● このプロジェクトの後に続くもの
この電子書籍の表紙は、大体こんな感じになる予定です。
もちろん、縦書きになります。
または、こちらのタイトルになる可能性もあります。 ↓
さて、このプロジェクトが成功し、無事に出版を遂げられたとしても、この御製集の目的としているところは、これで終わるわけではありません。
この電子書籍の内容は、上に記したように崇徳院が詠まれたと断定出来る180首近くの歌を、出来るだけ詠歌年代順に配列させるものとなります。しかしそれだけでは、実際に崇徳院の心情などを汲み取るためには、ちょっと難しいところもあるだろうことは否めません。
それで、この御製集に続く第二作として、この御製集の中から数首をピックアップし、それらを通して伺われる崇徳院の人物像、心象と言ったものをまとめます。
また、崇徳院の和歌への取り組み方や、今まであまり世間には言われて来なかった和歌文学上の功績にも、光を当てさせてもらおうと思っています。
つまり、この2冊が一対となって、あかほしの会の最初のプロジェクトは完結ということになります。
この第二作の仮題は『人間崇徳院』で、2020年中に完成させる予定です。
● 「あかほしの会」について
「 あかほし」という名前は崇徳院の次の歌から採りました。
闇のうちに にぎてをかけし 神あそび
あかほしよりや 明けはじめけん
言葉を補って通釈すると、「夜の暗いうちから、庭に焚き火を焚き、神楽歌を歌い、幣(ぬさ)を掛けながら舞い続けてきたが、今まさに明けの明星が現れ、夜が明け始めようとしている。」となるでしょうか。
終夜行われてきた神楽が、明けの明星の出現と共に終わろうとする時間の流れと、天空の悠久な動きが感じられる歌です。
「 夜が明けて明るい朝になる」というモチーフは、辞世の「朝(あした)」にも通じるものであり、残されている崇徳院の歌の中の、一つのキーワードのようにも思われます。
そのような意味から、会の名前を「あかほし」としました。
崇徳院については、いろいろな分野の方々が、それぞれの思いで探求していると思います。そしてそれぞれが、素 晴らしい成果も上げていると思われます。
しかし、それぞれの分野の中でのみ固執していることは、もったいないことだとも思われます。
お互いが緩く結び合い、分野を超えて交流していく場があれば、互いにさらに良い結果も得られやすくなるのではないか、そのような思いから、この会を立ち上げることにしました。
会として今後予定・計画している内容は、ニュースレターのネット配信(年3回)、ニュースレターへの投稿権利、会発行の下に書籍を出版する権利等です。さらに今後、会員同士の意向の下に、会の運営を充実させて行きます。
会の創設者は、早川一子です。早川一子は崇徳院の真の人物像を和歌から探ろうとして、2012年から日本古典文学を学び、この度の和歌集出版の計画に至りました。この書籍は「あかほしの会」の下に刊行されますが、編集者は早川一子となります。
「あかほしの会」は、分野を超えて緩やかに繋がり合い、楽しく、かつ真面目に、崇徳院について語り合い、学び合う集まりです。会員それぞれが主役となって、今後発展させて行ければと思っております。
お一人でも多くの方々のご入会を、お待ちしております。
3万円コースをご支援戴いた方は、下記⑥の入会費は不要で、年会費も永年無料になります。
ただし、3万円支援コースの方は自動的に会員となるのではありません。クラウドファンディング終了後に、入会されるかどうか、メールでお伺い致します。
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「あかほしの会」入会条件
① 崇徳院( 崇徳天皇) またはその周辺について、関心を持っている個人、または法人、団体が、ご入会出来ます。
② 特に関心を持つ分野は、どの分野でも構いません。
③ それぞれの分野の、専門、非専門は問いません。
④ 入会前後に、御氏名(法人名、団体名)、在住都道府県名、メールアドレスを確認させて頂きます。
⑤ 入会前後に、崇徳院について主に関心を持たれている分野をお伺いします。
⑥ 入会費は5,000円、入会翌年度から年会費として4,000円納入戴きます。
「あかほしの会ニュースレター (仮称)」について
① 会員の交流、情報交換の場として、ネット配信のニュースレターを用います。
② 主宰者側が一方的に流す内容だけではなく、会員同士に積極的に寄稿して頂きます。
③ 寄稿の内容は、自己紹介、エッセー、小論、近況報告、詩歌等、自由です。
④ 画像をお寄せ下さる場合は、著作権に十分ご注意下さい。
⑤ 寄稿は、本名でもペンネームでも構いません。
⑥ 特定の思想、信仰に関わる内容でも構いませんが、それを他に強要する内容は不可とさせて頂きます。
⑦ 発行は、年3回。3月、7月、11月の予定です。それぞれの号への寄稿締切り日については、メールでお知らせ致します。
⑧ ニュースレターの第1号は、2020年3月発行になります。
● 支援金の使いみち
○ 電子書籍出版代行費用
○ リターン品の購入、発送費用
○ 掲載等、諸費用
○ ご支援の額が目標額を上回った場合は、第二作『人間崇徳院(仮題)』の出版費用に充当させて頂きます。
● 実行スケジュール
○ クラウドファンディング開始 2019年7月27日
○ クラウドファンディング終了 2019年8月29日
○ 電子書籍『崇徳院御製集(仮題)』Amazon Kindle にて発行 2019年10月
○ 支援者全員へ電子書籍『崇徳院御製集(仮題)』5日間限定ダウンロードの案内2019年10月
○ 5000円、1万円、3万円支援コースへのリターン品発送 2019年10〜11月
● お問い合わせ先
shutokunoin@gmail.com