ご挨拶

広島県西部の牡蠣(かき)の一大生産地、廿日市市(はつかいちし)大野瀬戸でかきの養殖・販売をしている島田水産です。私達が牡蠣を育てている漁場は、世界遺産嚴島神社(いつくしまじんじゃ)を擁する宮島とその対岸の宮島口に囲まれた穏やかな海域です。中国山地から栄養豊富な水が流れ込み、かきの養殖に適した環境となっています。

広島かきを多くの方に食べてもらいたくて、これまで様々なチャレンジをしてきました。生産現場で私達が育てたかきを食べることができる「かき小屋」や、かきの水揚げ現場を海上でみることができる「かきの水揚げ体験」、かき入り中華まん「かきグラまん」の開発など、これまで広島に無かったことにチャレンジして、新しいかきのファン作りに取り組んできました。

おかげ様で国内だけでなく、世界中から島田水産のかきを求めて多くのお客様が訪れてくれました。

世界中から観光客が訪れる「かき小屋」

早朝の水揚げ現場を見学する「水揚げ体験」

自家製かきを使ったホワイトソースが入った中華まん「かきグラまん」

元祖かき船木屋を立ち上げる背景(当社の歴史)

当社の歴史は約330年前の江戸時代までさかのぼり、元禄元年(1688年)に生産者が集まり大阪・京都に「かき船」にかきを積んで行商に行ったことから始まります。

明治17年には京都竹屋橋西詰めにて「かき船」営業許可をもらい「かき春」の名前で開業しました。その後大阪でも「かき春」を営業しました。

この京都「かき春」には広島最後の藩主浅野長勲候が訪れ、店頭にいた「かき打ち娘」を宴席に並ばせ、広島弁を所望して『久しぶりに広島に帰ったような気になった』と言い、『牡蛎の詩』の掛け軸を寄贈された曰くのある老舗でした。 

当店の伯父が平成13年までこの「かき春」を経営していましたが後継者問題で閉店し「かき船」の300年以上に及ぶ歴史は一旦幕を閉じました。

 最後の経営者である伯父から「俊介、なんとか復活せよ」とこの看板を託されました。 

現在は島田水産に飾っている元祖かき船の看板

10年前に始めたかき小屋から続く新たなチャレンジの数々で培ったファンの方々に、かねてから復活させたかった「元祖かき船」を知っていただきたくて、2019年より屋形船を購入し、当店の祖 「木屋周蔵」から名前をいただき「元祖かき船 木屋」として復活の準備を始めました。

2019年に遊覧観光からスタートした「元祖かき船 木屋」


新型コロナウィルス感染症による大打撃・・・

当店のかき船のメインターゲットと考えていた「宮島を訪れる観光客」が、コロナウィルス感染症の影響でほぼゼロになる壊滅的な影響を受けました。国内旅行客だけでなく、日本文化や日本食に興味がある外国人もほぼゼロとなってしまいました。

しかし、この大変な状況の中でも当店の330年の長い歴史から考えれば、我慢の時期ととらえ、新しい生活様式の中で「元祖かき船 木屋」を広めることに注力していきたいと考えています。


リターンのご紹介

このプロジェクトに支援していただいた方には、当店まで来れる方には実際にかき船に乗船していただき、遠方の方や純粋な支援をしていただける方にはお礼や当店自慢のかきを送らせていただきます。

元祖かき船木屋で遊覧する穏やかな大野瀬戸の夕景

かき船で提供予定の料理(かき御膳)

かき船で提供予定の料理(かき御飯弁当)

広島に来れない方には当店のかきや加工品を送ります。


プロジェクトで実現したいこと

今回のプロジェクトでは、先代が広島かきを世に広めるきっかけとなり、叔父の夢であったかき船の復活にチャレンジします!


資金の使い道

支援いただいた資金は、リターンに関わる資金とかき船のメンテナンスに使わせていただきます。

<船のメンテナンス>

・ソーシャルディスタンスに配慮して飲食ができるテーブルと椅子を設置

・新生活様式に配慮した備品の導入(室内空間の除菌、パーテーションなど)

・木屋ブランドの広報費

最後に

広島のかきは、1688年に熱い想いを持った生産者が、大阪・京都にかき船で行商したことから全国的に知名度を広めていきました。そのフロンティアスピリットを受け継いだ現在の島田水産は、新型コロナウィルス感染症に負けず、自社で養殖したかきと、広島のかき船文化を日本そして世界に広げていきます!

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元祖かき船 木屋(運営:島田水産)

〒739-0412 広島県廿日市市宮島口西1丁目2-6

電話:0829-56-2004 

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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