福岡県八女市の劇団「八女福島文平座」です。

八女福島文平座・座長中村文平です。

遙か30数年前、芝居がしたいとバイクにまたがり、東京練馬の黒テントを目指したのが昨日のようです。

舞台をやりたい、舞台に立ちたい。

そして、黒テントから横浜ボートシアターに入団。

俳優座劇場「敗戦コンサート」から「小栗判官照手姫」「マハーバーラタア・若きビマニュの死」などの舞台に立ちました。

今はなき西部セゾン劇場での公演も、懐かしいひとこまです。

舞台を重ねながら、渋谷にあったシアターオブアーツジャパンの演劇講師をつとめ、事務所に所属し、TV・映画等の仕事もしてきました。

仮面ライダーアギト・相棒3・NHK柳生十兵衛七番勝負・同慶次郎縁側日記。

映画力道山、セカンドチャンス・サラリーマン金太郎等。

中島みゆきさんの「一期一会」MV。

中国中央電視台ドラマ「走向共和」「記憶的証明」などで中国にもいきました。

そして、生まれ育った福岡八女に戻ったのが9年前。

中国での仕事も増え、中国へ行くなら福岡が近いし、故郷で芝居を根付かせたいとの思いからでした。

福岡の若い人たちと芝居がしたい。

その思いで立ち上げたのが八女福島文平座です。

若い人のレッスンをしながら、いくつもの芝居をしている中で出会ったのが、僕のライフワークとなる

戦国武将田中吉政その人でした。

それから6年間、毎年2月と5月、田中吉政を追いかけ、新たな脚本を書き、公演を続けてきたのです。

ここで少しだけ田中吉政と言う武将についてお話しさせてください。

田中吉政は1548年(天文17年)近江、琵琶湖の東側、三川村(現・長浜市)に生まれました。


この芝居の火を消したくない、伝え続けていきたい。

それが僕の願いです。


(写真は、来年再演をしたい芝居「氷輪のごとく」(つきのごとく)秀次切腹の場面です)

2020年は、コロナとの戦いでした。

3月の定期公演を延期せざるを得なくなり、更に6月に再設定した公演も延期。

漸く、10月になって公演することが出来ましたが、コロナ規制で客席は半分以下での公演となりました。

本来なら、定期公演以外にも、他のところからのオファーで、2回から3回の公演依頼があったのです

が、これらもすべて無い状況の中で1年が終わろうとしています。

1年の全ての公演の収益を、次の年の公演資金としてプールしてきましたが、今年は準備金が皆無の状態

です。

6年間続けてきた、主軸となる芝居の公演を断念するわけにはいきません。何としても続けていくことが

僕の使命だと思っています。

甲冑・兜・太刀・衣装など、全て手作りでやってきました。

兜のベースはヘルメット!

筋兜の筋は電線です。

それが……こんな感じになりました。

他にも、色んな形の兜を作りました。

兜は八つに増えました。

武将の甲冑は十二領、足軽胴丸十一領。

太刀や刀も板から切り出し、鞘を彫り、刀身にアルミテープを貼り作ります。

鍔はアルミの厚板を切って形を整えて作りました。

下の写真はその一部です。


必要な物は作る。

芝居に必要なもの、無い物は全て作る。

それが、文平座の信条です。

それでも、来年の上演資金がありません。

初代筑後国主田中吉政 氷輪の如く 再演!

皆さんの支援を必要としています。

劇団を維持し、芝居を続けたい。

この思いが届きますように。


最初は、僕とレッスン生で始めた田中吉政の芝居でした。

上演するたびに、まだ足りない、もっと心に届く芝居にしたいと誰もが思い、悔しくて涙を流す若いレッスン生もいました。共に成長しながらの4年間。後半の2年は、東京から知り合いの俳優を呼んだりして芝居の完成度を高めていきました。

けれど、レッスン生の卒業を機に大きな転換期を迎えたのです。

これからは、更に完成度の高い芝居を届けたい。

福岡で活動する役者探しが始まりました。

そして、ひとり、またひとりと、役者が集まってくれました。いずれもベテランの役者です。

彼らが、知り合いの若手を紹介してくれました。みんな、福岡市で劇団を支える若いメンバーでした。

それから2年。

僕の東京での教え子や東京の役者も含め、やっと今年は納得のいく芝居を創れるところまできたのです。

勿論、これで満足している訳では決してありません。やっと舞台に乗せられる芝居の形が出来上がったと言う段階です。

しかし、コロナが立ち塞がりました。

文平座の芝居は勿論、ベテラン、若手メンバーも公演の場所を失いました。

特に若手は仕事もなく、「食えない」状況の中、動画配信などで表現の場を広げましたが、収入にはなりません。少しでも収入になれば、そう思い映画制作を決断しました。6月から夏の暑い盛り、8月の初旬に撮影を行い、田中吉政の若き日の物語「田兵Denpei」を創り、DVDと言う形あるものにしました。このDVDは、現在販売中です。

それでも舞台をやりたい。この思いは燃え上がるばかりです。そしてどうにか、今年の10月に初代筑後国主田中吉政「氷輪のごとく」を上演することが出来ました。

「この芝居を来年もやりましょう!」

「もう一度やりたい」

「もう一度見たい」

みなさんから、力強い声を戴きました。

今のメンバーは、若手もベテランも立ち回りが出来ます。芝居の中の関ヶ原の殺陣も好評でした。

僕にとって、この芝居を続けていくことが、来年のひとつの大きな目標となっています。

若手メンバーの伸びしろのあるエネルギーを、このまましぼませたくない。来年もコロナで閉塞した息苦しい日々が続く中、みんなで道を切り開いていきたい。見てくれた人に、少しでも楽しんで貰い、心を晴れやかにして貰いたい。

それが、八女福島文平座の願いです。


文平座の最初はこの場所から。

八女市の古民家の二階が、稽古場であり芝居小屋でした。

(レッスン生たちとの芝居「ねこのクリスマス」)

チラシ、チケット、ポスターも手作りです!


昔は踊りの稽古場だった板張りが舞台。

手前の畳10畳ほどが観客席。

奥に積み上げた平台や箱馬も手作りでした。

公演を重ね、柳川の田中吉政菩提寺・真勝寺や田中吉政次男・田中吉信菩提寺・西方寺でも公演が実現しました。

      (動画は、田中吉政次男久留米城主吉信の菩提寺・西方寺での公演予告動画です)

今も稽古場は古民家の2階。

稽古ともなれば、福岡市内や浮羽、筑紫野など遠いところから、みんな稽古に集まってきます。

(最初の田中吉政の芝居のポスター)

滋賀県・近江八幡の今に残る町並みと城を造り、柳川の町と城を造った田中吉政の姿を伝えようと、このタイトルになりました。近江八幡では、吉政は豊臣秀次の筆頭家老を務めていました。

(田中吉政菩提寺・真勝寺ご宝前での公演)

6年前から田中吉政の足跡を辿り、脚本は第六部まで書き上げ、上演してきました。

そして、田中吉政の人となりを知って芝居にしてから、文平座にはもうひとつ、大切な目標が生まれました。

それが、この田中吉政とその時代展なのです。

芝居をするには、調べなければなりません。

調べるうちに、田中吉政が残した仕事が僕らの心を掴みました。

近江八幡の掘り割りはそのまま琵琶湖に結ばれ、今も船巡りの観光名所となっています。

戦国時代初の下水道も、吉政が造ったものです。

近江商人の三方良しの精神もここで生まれました。

近江八幡のしっとりとした町並みも、吉政の精神性の表れでしょうか。

吉政は、近江八幡は勿論、家康が関東移封となった後の岡崎城主となり、十万石の大名となりますが、両国経営の第一歩は、領内をくまなく自分の足で歩き、農民や僧侶、職人、商人など全ての人と語り、時にはあぜ道に座って百姓と握り飯を頬張りながら時を忘れ話し込んだそうです。

岡崎では、十三代にわたる松平家の父祖伝来の土地と言う家康ゆかりの難しい領地を、見事に治めています。家康が江戸に移った後、領民は秀吉の重臣である吉政の統治に大きな不安を感じ、民心は荒れていました。民の心を映すように、盗賊が横行しましたが、吉政は捕らえた者達を罰せず、土地と家を与え、共に岡崎を育て守っていこうと諭し共に汗を流したと言うのです。

関ヶ原で石田三成を捕らえ、筑後国32万五千石の大名となりますが、ここでも当然の如く領内を踏破しています。柳川の城は、現在はありませんが、今も柳川は、堀を行き交う船巡りが観光の目玉になっています。八女から大川まで26キロの運河「花宗川」「山ノ井川」「太田川」「二ツ川」などは、吉政が運河として開鑿したものです。

まだ多くの残された功績がありますが、これくらいにしておきましょう。

芝居を上演して初めて、ほとんどの人が田中吉政を知らないことを知りました。

芝居だけでは、田中吉政を伝えきれないと思ったのです。

そして始めたのが、吉政が生きた時代を知って貰うための時代展でした。

時代展も今年で6年目になりました。

これに合わせ、資料集や小説を作り形あるものにしました。


(文芸社から出版された小説)


資料を調べ、編纂し資料集にしてくれたのは、文平座の女優でもあり、創立からのメンバーのひとりです。彼女が全ての資料を集め、時系列に沿って田中吉政を体系づけてくれました。こんな試みをしているのは、日本全国で彼女しかいないと、自信を持っていえます。

集まってくる資料や業績、エピソードを重ねるごとに、田中吉政を皆に知って貰わねばならないと言う気持ちになるのです。

芝居を上演すること以上に、田中吉政を発掘し知って貰うことが、大切な目標ともなっています。

何故ここまでのめり込んだのか?

出発点に、田中吉政次男・田中吉信の子孫である田中さんとの出会いがあったからなのです。

「32万石の大名なのに、秀吉のすぐそばにいて働いていたのに、誰も知らない」

この言葉から、田中吉政の芝居は始まりました。

6年の間、調べれば調べるほど、芝居の台本に吉政を書き起こすたびに、このままで埋もれさせてはいけないと言う思いが湧き上がり、強いものになっていったのです。


支援して下さって集まったお金は、来年2月の定期公演に使わせて戴きます。

初代筑後国主田中吉政・氷輪の如く

今年よりはもっと、見て下さる方の心に届く芝居となるよう、ベテラン、若手一同、芝居に打ち込んでいきます。

この支援があれば、みんなにより多くの出演料が払えます。甲冑が兜が作れます。より多くの出演者を募ることが出来ます。より多く公演を行うことが出来ます。より多くの人に、歴史に消えた武将・田中吉政を知って貰うことが出来ます。

今までは、子孫の田中さんに多大の負担をかけてきました。けれど、芝居そのものが大きくなり、出演者も増え、ダイナミックな舞台となっています。田中さんだけの資金援助だけに頼ってはいられません。今までも、チケットの代金と併せてなんとかやってきましたが、コロナの影響で上演が厳しいのです。

どうぞ、みなさんの力で助けて下さい。

会場費、出演料、舞台装置、甲冑や兜の材料費、衣装などに使わせて戴きます。


リターンとしてお礼に差し上げるのは、田中吉政に関するものや、芝居に関係するグッズなどです。

詳しくは以下をご参照下さい。


1 10,000円 田中吉政小説「田兵」第一巻未萌の湖と「でんぺいくん」缶バッチ


小説「田兵」第一部は、吉政の父親・田中重政の若い頃から書き始められています。

後に鳥取城主となり大名になった宮部善祥坊継潤や国友城主・国友与一郎衛門、その嫡男・輿左衛門との交流の中で、台頭する織田信長や浅井、六角の圧力野中で、近江国の土豪、小土豪が時代に翻弄されつつ、一族や郎党、領民を守るためにどのように戦い、時代の流れを掴もうとしたかが描かれています。第一部の最後は、羽柴秀吉が宮部や田中、国友、石田などの浅井方の土着勢力を調略する場面で終わります。



 田兵(でんぺい)と言う呼び名ですが、これは田中吉政のニックネームです。

親しい人々が、親しみをこめてでんぺいと呼んでいたようです。

でんぺいをマスコットにして、缶バッジを作りました。


2 15,000円 資料集「田中吉政公お慕い申し上げそうろう」江崎久美子著とでんぺいくん」缶バッチ

こちらは資料集です。

全ての場所に実際に取材に出向き、編纂されたものです。

筑後編に始まり、京都、滋賀、岐阜、愛知など、田中吉政所縁の場所が網羅されています。

資料集と言うだけでなく、タイトルの「お慕い申し上げそうろうゆえ」からも察せられる通り、女性の目線で書かれた部分もあります。柔らかく、読みやすい内容の資料集です。


3 20,000円 DVD映画「田兵Denpei」VOL1と缶バッチ

映画「田兵Denpei」は、若き日の田中吉政のエピソードを描いたものです。

土木の神様の視点から調べていた田中吉政でしたが、或る日「はて?」と疑問が湧きました。

城造りでは、近江八幡、最初の佐和山城、聚楽第、伏見城など多くの城造りに関わっていますし、岡崎では東海道を大胆に城のすぐそばに作り直し、今も観光名所となっている「二十七曲り」の街道を造っています。

「けど、若い頃から戦場に出て、戦ってきたんだよね……」

秀吉の家臣となったのが23才。その後すぐに浅井・小谷城攻め。長篠の戦い。摂津・播磨、因幡、三木城の戦、鳥取、秀吉中国大返しの頃は、吉政は秀吉の側にいたはず。秀吉と一緒に山陽から駆け戻り、山崎の合戦。賤ヶ岳、小牧長久手、四国攻め、小田原攻めと歴史の中で取り上げられる合戦には全て参陣しています。なのに生き残っている。田中吉政の資料の中で、あまり戦に関するものは出てきませんが、強かったんじゃないの?そんな疑問が湧き上がり、調べてみるといくつものエピソードが出てきました。

これはちゃんと描きたい。

それが今回の映画「田兵Denpei」なのです。

秀吉が因幡攻めをしているとき、どうしても家臣にしたかった武将・垣屋光成。秀吉の思いを察した吉政は、矢を2本も受けながら真っ先を駆け、垣屋光成と戦い説得したのです。このエピソードを軸に撮った映画が田兵VOL1です。

若手が見せてくれるダイナミックな殺陣の場面が好評でした。

スペシャル1 舞台映像を支援してくださった皆さんに、WEB配信します。

ご支援1,000円から2,000円の方には、お礼のお手紙と舞台写真をお送りします。

3,000円以上の方には「でんぺいくん」缶バッチとお礼のお手紙をお送りします。

スペシャル2 30,000円以上の支援をしてくださった皆さんには、映画田兵DVDと資料集、小説田兵と缶バッチをお送りします。
スペシャル3 100,000円以上の支援を戴いた方にも、映画DVD,小説田兵、資料集、缶バッチをお送りします。その中で、もしも欲しいとおっしゃる方には、舞台で使ったと同じ甲冑と兜のセットをお送りします。

※ただ、甲冑、兜は中村文平の手作りですので、専門職人の方が作った物に比べ、完成度はご希望に添えないかもしれません。舞台上での立ち回りと演技の邪魔にならないことを優先して、材質はポリプロピレンの板を切り出し、組み立て、接着、塗装、縅しを行っています。兜は軽量化を優先し、ベースはヘルメットです。そのことを考慮に入れて戴いた上で決断して頂けると、有り難いと思います。実物をみて、がっかりしないで下さいね。


初代筑後国主田中吉政 氷輪の如く 再演予定。

2021年2月6日(土)

2021年2月7日(日)

田中吉政の祥月命日である2月に新たな一歩を刻みます。


来年令和3年2021年は、八女福島文平座創立10年でもあります。

じわりと増え続けるコロナの影響は計り知れません。

それでも、10年目の一歩を踏み出していきます。

心に届く芝居、面白いと感動し、笑い、涙する、舞台と客席がひとつになれる舞台。

出演者も熱い思いをたぎらせています。

   石田三成 徳永潤

   島左近 野田敢

    井伊直政 岩瀬巧

   徳川家康 米里隆弘

   豊臣秀次 宇井晴雄

   田中吉次 高橋来人

  辻勘兵衛 テシマケント

   饗庭局 横尾彩奈

   北政所 江崎久美子

   宮川才兵衛 山辺隆人

   田中吉政 中村文平


本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

何故なら、お金が集まらなかったから、支援が足りなかったから出来ない、と言うものではないからです。

やり続けたい!田中吉政を発信し続けたい!演じ続けたい!

舞台と言う表現の場に立つ為の力を、皆さんの支援で与えて下さい。

皆さんの支援が、僕らの背中を押してくれます。

皆さんの熱い応援の心と共に、舞台に立ちます!

映画「田兵Denpei」より

  • 2020/11/20 16:28

    今までの公演の一部を動画でご紹介します。これは田中吉政が筑後国主となって、筑後の国造りに励んだ時の物語です。文平座の活動を知って貰うだけでなく、田中吉政も知って貰いたいのです。短い動画で、ご覧になりやすいよう作っています。

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