▼はじめに…

 

今年2018年は戊辰戦争・明治維新より150年の節目。

幕末・明治維新の出来事に関わりの深い地域では、様々な歴史PR事業を展開されておりますが、岐阜県 郡上八幡(旧・美濃国 郡上藩)にも「凌霜隊(りょうそうたい)」という小隊が戊辰戦争の重要局面・会津戦争に深く関わったという歴史物語があります。

その内容は大変壮絶・波乱万丈で、一歴史物語として多くの方に興味関心や感動を与えるストーリーだと断言できるのですが、まだまだ世間一般には知られていないのが現状です。

当プロジェクトでは、この150年の節目の年に、「凌霜隊」に光を照らし、ひとりでも多くの方に彼らの歴史物語を伝えていくことを目指しています。

 

 

【水と踊りの城下町”郡上八幡” のご紹介】

 岐阜県 奥美濃エリアに位置する城下町「郡上八幡」は、日本三大清流の長良川やその支流 吉田川など多くの清流に恵まれ、町のいたるところに美しい用水路が巡り、水を使った生活文化が今にも続く全国屈指の「水の城下町」です。

また、7月中旬~9月初旬にかけて一夏中繰り広げられる伝統文化・郡上おどりの舞台でもある「踊りの城下町」としても知られています。

自然と歴史・伝統文化、そして人の生活感が調和した城下町は、大きな観光地にはない素朴さ・懐かしさに魅かれておとずれる旅人を魅了しています。

 

城下町の起源は、戦国末期に郡上を統一した遠藤氏により城や城下町が築かれたことに始まり、江戸時代には美濃国郡上藩の藩庁が置かれました。江戸時代中期の宝暦年間には、当時の藩主 金森氏の改易だけでなく、老中などの幕府中枢までもが失脚するという一大事件「宝暦騒動(郡上一揆)」が起こりました。以後 百年以上を青山氏が藩主として治め、幕末~明治維新を迎えました。

今回のプロジェクトは、この青山氏が郡上藩を治めていた頃の歴史物語です。

 

 

【郡上藩 凌霜隊 概要】

時を遡ること150年前 慶応四(1868)年。

全国の諸藩が新政府軍と幕府軍の狭間で揺れ動く激動の時代、奥美濃の小国であった郡上藩も例外ではなく、国元と江戸藩邸で「新政府恭順」か?「佐幕(幕府の恩に報いる)」か? 藩論が割れていました。

江戸無血開城の前夜  郡上藩江戸藩邸の藩士により結成され、幕府への「義」を貫くために会津へと向かった隊がありました。 

 

郡上藩 凌霜隊

弱冠17歳の朝比奈茂吉を隊長に、45名の凌霜隊士達は、新政府軍との激しい戦いを繰り返しながら会津西街道を北上。

戊辰戦争の重要局面 鶴ヶ城(会津若松城)の籠城戦では、会津藩士 日向内記(ひなた ないき)が指揮する白虎隊らと共に西出丸の守備に就き、城を取り囲む新政府軍から昼夜間断なく浴びせられる1,000発以上の砲弾といった”地獄の攻め”に苦戦しながらも降伏まで戦い抜きました。

 

敗北後、隊士たちは国元である郡上へ移送されることとなりましたが、途中、嵐の海で船が難破し、命からがら生き延びる…といった困難が待ち受けていました。

追い打ちをかける悲劇は、国元で隊士らに下された処置。「藩命に背き反政府活動に従事した罪」として1年以上の禁固処分でした。

劣悪な環境の揚り屋(牢屋)での禁固、そして長敬寺での謹慎、自宅謹慎が解けたのは明治三年の二月。

その後、隊士たちの多くは郡上を去ることとなったのでした・・・。

 

 

*凌霜隊エピソード①「若き隊士の参加」

凌霜隊の隊長はなんと弱冠17歳の朝比奈茂吉です。

郡上藩の江戸方家老 朝比奈藤兵衛の長子ということで大役を充てられた彼ですが、関山宿の戦いで味方が総崩れとなり、孤立した際「この所で討死より外に思案なし、敵中に切り込み、腕の続くだけ働き、かなわなかったら討死すべし。」…と勇猛な行動をとった逸話から、武士としての誇りを備えた人物だったことがうかがえます。

他にも、山脇金太郎(17歳 戦死)、石井音次郎(20歳 戦死)、山脇鍬橘(20歳)など、凌霜隊には若い藩士も多く所属していました。

 

※隊長 朝比奈茂吉 写真(戊辰戦争後 明治になってからの写真)

 

 

*凌霜隊エピソード②「塩原宿駐留 人情厚い凌霜隊」

凌霜隊は5月11日から約3カ月の間、塩原宿(現・栃木県 塩原温泉郷)の守備の為に駐留した。

この期間は戦も無く平和な時間を過ごしましたが、8月になると、会津若松の戦況が不利との情報が入り、横川宿の守備へ向かうこととなりました。

その際、「敵方に塩原宿が使われないよう、1軒残らず焼き払うように」との命令を受けたのですが、「3カ月もの間お世話になった地を焼き払うのは忍びない…」「また、地の利を考慮しても敵方が塩原を利用することは考えにくい。。」との心情から、隊の宿舎・持ち場としてお世話になった、丸屋・和泉屋・妙雲寺は焼き払わず、後で組み直せるよう解体することで焼失を免れたのでした。凌霜隊士たちの人情が表れたエピソードです。

※凌霜隊士たちにより焼失を免れた和泉屋・妙雲寺は現在も残っています。

 

*凌霜隊エピソード③「隊士による生の記録 『心苦雑記』」

歴史の表舞台には登場しない凌霜隊の行動が、比較的詳しく知ることが出来るのは『心苦雑記(しんくざっき)』という戦記が残っている為です。

凌霜隊隊士  矢野原与七が、隊の江戸出立から国元での禁固迄の行動を書き留めた手記を元に、余生に戦記としてまとめたものです。

生死が隣り合わせの状況で書き留められた生々しい記録、そして彼らの率直な心情等がリアルに記されており、戊辰戦争の史料としても価値が高いものです。

この戦記の発見により、会津藩士 日向内記(白虎隊隊長)の再評価にも繋がったといわれています。

※隊士 矢野原与七 写真 (戊辰戦争後 明治になってからの写真)

 

 

*凌霜隊エピソード④「精鋭部隊であった凌霜隊」

戊辰戦争の際、各藩より幕府軍に味方するために脱走(脱藩)して参加した隊は多くありましたが、資金や装備が十分でない場合が多かったようです。その中で、凌霜隊は郡上藩の江戸藩邸からの正規派遣として結成された隊であった為、45名という小人数ながらも、十分な資金と最新鋭の装備を備えた精鋭部隊でした。

当時、最新鋭の銃であったスナイドル銃やスペンサー銃(元込め連発銃)も標準装備しており、大河ドラマ等で脚光を浴びた山本八重が鶴ヶ城の籠城戦の際に、凌霜隊から弾の補充を受けた可能性もあるのでは!?と言われています。

 

 

▼このプロジェクトで実現したいこと

【凌霜隊の歴史を紹介する< 書籍の再版 >を目指しています!】

今回「凌霜150プロジェクト」の中で目指していることは、凌霜隊についての書籍『歴史探訪~郡上 凌霜隊~』の再版です。

この本は、郡上八幡の地域史家 高橋教雄先生が2015年9月に自費出版された文庫本です。

凌霜隊の歴史物語が分かりやすくまとめられている「凌霜隊の入門書」であると同時に、幕末・明治維新の激動の時代に藩の生き残りを模索した郡上藩国元の動きも記載されている、郡上の歴史を学び・伝えていく為には欠かせない「後世に残すべき一冊」です!

残念ながら、自費出版で制作されたこの本は、現在 一冊も残っておらず、このままでは絶版となってしまう可能性もあります。 せっかく原稿が残っているこの本を途絶えさせてしまうことは無念という他ありません。

戊辰戦争・明治維新から150年のこの機に、ぜひとも再版を実現し、凌霜隊の歴史に光を照らしていきたいと願っております!

皆様の温かいご支援 何卒よろしくお願い申し上げます!

 

※文庫サイズの歴史書。凌霜隊の歴史が詳しく・わかりやすくまとめられてる「凌霜隊の入門書」です!

※文字だけでなく、資料・史料もたっぷりと掲載されており、たいへん読みやすい歴史書です!

『歴史探訪~郡上 凌霜隊~』

・文庫本サイズ

・カラーグラビア(資料、史料)ページ:約20ページ

・本編:約190ページ

・著者:高橋教雄

郡上八幡在住の地域史家・大乗寺住職。元岐阜県高等学校教諭。郡上市文化財保護協会会長 他。

著書の一例として『新八幡城ものがたり』『美濃馬場における白山信仰』『郡上宝暦騒動の研究』や『歴史探訪 郡上八幡』『歴史探訪 郡上宝暦騒動』『歴史探訪 郡上踊り』といった「歴史探訪シリーズ」等。 その他、著書・論文多数

 

 

【目標:本の再版(加筆・史料追加含む)資金「800,000円」を募っております!】

今回は単なる再版ではなく、新たに発見された新史料の追加や、加筆も予定しております

150年の節目に発見されたのは、年長者として隊を支えた「副隊長 坂田林左衛門の軍服姿の写真」と、孫が同家に伝わる史実を記録として残した手記。(「郡上史談」156号に記載)

隊士の「活動当時の写真」が発見されたのは初めてであり、凌霜隊の軍服姿も史料としては大変貴重です!

※副隊長 坂田林左衛門の写真(凌霜隊出立直前と思われる)

 

【資金の使い道について】

ご支援いただいた資金の使い道は、クラウドファンディングの手数料(17%)・本や返礼品の発送料金を除いて、本の出版料(追加の編集・校正費、印刷製本費等)および、当プロジェクトの宣伝チラシの印刷費として使用させていただきます。

 

 

【支援内容】

協力費:

①通常協力…3,000円

②特別協力…10,000円

※特別協力は企業・団体様向けですが、一般の方でも大歓迎です!

 

返礼(リターン): 以下4つの特典にて御礼とさせていただきます!

●本『歴史探訪~郡上 凌霜隊~』1冊  ※特別協力の場合は5冊

●凌霜150記念!「美濃和紙製しおり」1枚 ※特別協力の場合は5枚

●「郡上八幡城特製クリアファイル」1枚 ※特別協力の場合は5枚

●「協力者の皆様」として 郡上八幡城の公式Web Site等にてお名前をご紹介!

返礼品の本、美濃和紙しおり、郡上八幡城クリアファイル  ※デザイン等は変更となる場合がございます。

 

岐阜県の伝統工芸品である「美濃和紙」を使用! 和紙の里・美濃市の和紙職人さんによる手漉きの和紙を使用した特製のしおりです。

「凌霜」の文字 と郡上藩青山氏の家紋「葉菊紋」が、郡上の産業スクリーン印刷にて刷り込まれている手作りの特製しおりです!(非売品)

 

&郡上八幡城の公式Web Site等にてご協力いただいた皆様のお名前をご紹介させていただきます!

※申し込みの際 WEB掲載をご希望されるお名前(ニックネームも可)をお伝えください。

※WEB掲載をご希望されない場合は、その旨をお伝えください。

 

 

 

募集期間:2018年7月11日~2018年9月28日

 

問い合わせ先:☎0575-67-1819

※郡上八幡産業振興公社 郡上八幡城担当まで お気軽にお問い合わせください!

※当プロジェクトへの支援受付は、クラウドファンディングの他、郡上八幡現地にて[直接受付(現金)]もおこなっております。

⇒直接受付場所:郡上八幡旧庁舎記念館 カウンター 9時~17時 (岐阜県郡上市八幡町島谷520-1)

 

 

【最後に】

~葉菊と凌霜~

 郡上藩の最後の藩主は「青山氏」。

関ヶ原以前より徳川に仕えていた譜代大名であることから、徳川幕府への信義は強いものでした。

※ちなみに、東京都 港区の「青山」の地名は、青山氏の江戸屋敷があったことに由来しています。

その江戸屋敷で結成された「凌霜隊」の名は、「霜を凌いで花を咲かせる菊のような強固な操の精神・不撓不屈の精神」を意味し、青山氏の家紋「葉菊紋」に由来していると言われています。

青山氏が菊の花(=朝廷のシンボル)を葉が護る姿を表した葉菊紋を家紋としたのは、南北朝時代に皇室から菊の御紋章を下賜されたことに始まっており、青山氏の「勤王」の象徴にして、家中の政治行動規範の象徴でもありました。

凌霜隊の行動は表面的には、新政府軍(勤王)と敵対した佐幕の行動ではありますが、決して朝廷に刃向った訳ではなく、幕府への義を貫き、朝廷を利用した薩長を打倒することこそが「真の勤王」という信念からの行動なのです。

 

~真の武士を貫いた凌霜隊士の精神を伝える~

今年が戊辰戦争・明治維新より150年の節目ということで企画された「凌霜150プロジェクト」ですが、今年だけの事業で終わらせる目的ではございません。

今回の書籍再版は、「凌霜隊を知る為のコンテンツ(本)を作る」という、あくまでスタート地点です。

今後も、引き続き、凌霜隊を学び・伝える企画を展開していきたいと考えております。

また、凌霜隊の歴史物語 の表面的な側面だけを学ぶのではなく、信念を貫き通した「真の武士の精神」を学び誇りに変えていきたいと思います。

 

郡上八幡や郡上おどりのファンの皆様、歴史やお城ファンの皆様

そして、少しでも凌霜隊に興味関心を持っていただいた皆様の暖かいご支援をお待ちしております!

 

長文 ご一読いただきまして誠にありがとうございました!

 

郡上八幡産業振興公社 郡上八幡城「凌霜150プロジェクト」

☎0575-67-1819

 

※本ページに掲載している写真・資料等は許可を得て掲載しております。

※当プロジェクトは本の権利者(著者である高橋教雄先生)と合同に行っております。

※このプロジェクトは「ALL in」方式での募集となっております。

※本の再版は1,000部。再版時期は平成30年度の冬に実行を予定しております。

※再版後は1冊1,000円~1,200円程での販売を予定しております。今回のご支援は本の価格以上の設定となっておりますが、本以外の各種返礼(美濃和紙しおり、クリアファイル、郡上八幡城公WEBサイトでのお名前ご紹介)にて御礼とさせていただくことをご了承ください。

※目標を上回るご支援を頂いた場合は、内容の充実(史料・史料の追加・加筆)、発行部数の増加、その他「凌霜150事業」への活用など、凌霜隊PRに使用させていただきます。

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