【 ペット殺処分ゼロに向けて 】

 保健所という言葉を聞いたのは、小学3年生くらいだったと思う。

1995年。連絡手段は手紙、家電(イエデン!)の全盛期。学校の近くに映画の割引券を持ったおじさんが出没していた。その人からもらった割引券でゴジラを見に行くのが唯一の楽しみ。少年ジャンプは、孫悟空が魔人ブウを倒すあたりで、スラムダンクでは、湘北と豊玉の熱戦が繰り広げられ、こち亀、ラッキーマン、るろうに剣心、ダイの大冒険など、いまや名作揃いの漫画が人気だった。

 

私は滋賀県の山のふもとに住んでいた。普通に野犬に出くわす。野良猫も勢力を拡大していて、夜な夜な猫同士の縄張り争いを繰り広げ、野犬に噛まれた!なんて話はよく聞いた。

 

ある日、学校の帰り道、ぼーっと歩いていると、ふっと、後ろに一匹の犬が付いてきていた。どれくらい、ついてきていたのかはわからない。感覚的にしばらく長い間、付いてきていたと思う。なぜなら、道幅1mの狭い一本道の路地を200mくらい続く道。人に追いかけられたら、逃げ道のないところ。それを半分以上来ていたから。

当時から野犬に対しては怖いイメージがあったので、正直、犬は嫌いだった。いや、当時を振り返って欲しい。吠えるなんて当たり前、威嚇する犬も多いし、なんせ野犬。飼育されてる犬も人と見るなり、飛びかかっていて、首輪で抑えなければ、それなりに怪我したかもしれない。

 

でも、この子は違った。人に飼われてたのは首輪を見ればわかった。

 

それでも、さーっと冷たい感覚がカラダを走り、そーっと歩くわたし。こっちがそーっと歩くものだから、その犬もそーっと歩いてくれた。小学3年生だから、本当に進むのは遅かったと思う。思うが、その犬も一緒に歩調を合わせてくれていた。もう少し想像して欲しい。当時の私の身長、おそらく120cmくらい?と目線があまり変わらない犬と向かい合うのである。叫んでも人がいないような路地で直線でしか逃げられない道に一人歩いている状態。

 

それでも、恐る恐る歩いた。

犬も、とぼとぼついてくる。

それでも歩く。怖い。

 

普段よりも倍以上時間がかかったかもしれない。私の場合は不幸なことに、近所に幸せそうに飼育されている犬は全くいなかった。だから余計に怖かった。

 

どれくらい時間がかかったのか。あまりに遅かったので母親が玄関先にいたような気もする。

じーっとゆっくり、一言も吠えることなく、この犬はついてきて、我が家の玄関にどっと座り込んで居座った。ようやく慣れてきたわたしはエサをあげてみたり水を用意してみたり。ただ、不思議なことにあまり食べなかったように記憶している。今思うと、なぜわたしについてきて、なぜ我が家に居座ったのか。全くわからない。ただ、さっきまで怖がっていた自分が恥ずかしいくらい、穏やかに静かに、じっと座り込んでいた。

 

この後、母親が「保健所に連絡する」といった。

 

初めて聞いた言葉である。なんとなく、保健室的なところを想像した。はっきり覚えていないが、かなりくってかかって、保健所について聞いた気がする。ちゃんと飼育しようっと言った気がする。感覚的に保健所に連絡されたら、どこかに連れていかれると察してひどく抵抗した

 

「どうせ、あんたに面倒はみれない」「途中で投げ出すはずだ」
「犬にとってもこっちのほうがいい」

 

ペットの飼育を懇願して断られたことがある人なら、この手の言い回しをされた経験はあると思う。うちも一緒だった。ただ、今思えば、当時の両親の判断を両手放しに非難はできない。生まれたての1歳児がいる我が家。わたし小学生、裕福ではない環境で、大家族。いきなり飛び込んできた犬を一つ返事で飼育するなんて、無理だろう。今なら納得。

 

ただ、その後の犬の状況をわたしは知らない。

 

近所のおっちゃんに託したような気がする。犬がいなくなってから、もう言葉に言い表せない感情になる。泣くわけでもなく、叫ぶわけでもなく、なんか嫌な感じ。感覚。

 

誤解を恐れずいうと、わたしの半生、この年になるまで、この手の経験をしたような人に見られない生き方をしているような気がする。見た目に現れない、現さないようにしているところもある。これはある種、少年ジャンプ的男子の行動かもしれないが、可愛い存在をみて、可愛いとあやすのを避けているところもある。あくまで、ヒーローでいたいのかもしれない。それは俺の役目じゃないとでも言わんとする様では、犬に感情を寄せるような人とは、よもや想像させない。

 

ただ、この時の私はなにか、言葉に表せない嫌な感情になったのは事実だ。この手の感情は表に出さない、出せない、出してはいけない男子的感覚のまま、部屋の隅っこをずっとみて、メシも食わなかったような気がする。

 

時は流れて2004年。水泳選手が「ちょー気持ちいいー!」と叫び、人気歌手が「瞳を閉じて」いた時代。動く城でハウルがいろいろ悩んでいた。ちょうど、最後のサムライがなくなった時でもある。

 

わたしは激安!!月額1万3000円で、一軒家の一部屋を借りて大学生。一軒家の持ち主、家主さんとほぼ一緒に住んでいたような状態である。ここに住むにあたり、いくつかの問題をクリアーしなければいけなかった。

二階は二部屋。お隣さんは中国からの留学生、女性。いろいろ気難しいところはあった。大家さんはおよそ50代。もともと教師をしていたが、やめて運送業で起業していた。そのお母さん、一見すると90代。ちょっと痴呆症っぽかった。さらに、一番びっくりしたのが、この大家さん、日中ほぼ家にいないにも関わらず、ざっと40匹ほど、猫を多頭飼い飼育をしている。

最初は数匹だったのが、子を産み、近所の野良猫も混ざってきたようだ。なにより驚きなのは「崩壊」はしていないように思えたことだ。一応、猫のご飯はちゃんと市販されているキャットフード。家に目立った汚れもない。ケージがないあたり、少々びっくりしていたが、大家さん的にはギリギリ管理できているようだった。

1階の玄関をあまり使うことなく、2階に直接あがれる外階段がある。日常で過ごす限りこの猫たちともあまり接触はしなかった。

猫にアレルギーとか嫌悪感はなかったが、猫の毛だとか、部屋を荒らされるのは勘弁だったので、適度な距離をとっていた。そんなある日、この地域は、全国的には知られていないが、夏の落雷とゲリラ豪雨が、当時から活発だった。いや、正直、半端なかった。落雷、雹(ひょう)、豪雨、これが夏の夕方、大騒ぎしていやがる。

そんなある日、大家さんが「でかい仕事が決まったから3週間帰らないけど、うまいことやってて」とのこと。すでにこの一軒家での生活にもなれ、自分で風呂をわかし、メシは適当に済ませ、おばあさんが具合が悪い時の連絡先なども知っていた。特に問題なく過ごせると思っていた矢先、大家さんが家を空けたその日の晩、えげつない豪雨。急いで帰宅し二階に続く外階段を上がったその時、聞いてはいけないものを聞いてしまった。

 

「みゃー」

 

明らかに子猫である。か細い声が豪雨の中聞こえる。確実にどこかにいるが、一見すると見えない。豪雨なわけだからすぐにでも風呂に入りたい。なんせシャワーはない。湯船に湯を張るのもタイマーなどない。蛇口を監視しておかないと溢れ出す。

ただ、また

 
 「みゃー」

 

 

明らかにいる。この豪雨の中どこかにいる。言い表せない感情になり、どうせ濡れたカラダ。風呂に入る前にこの子を見つけ出せたら、ちょうどいい感じ。そう思って効率的にやりこなすぜ!と息巻いて、20分ほど探し回ったが見当たらない。壁の裏側か屋根裏にでもいるのかなぁ。大家さんのうわさによると、一世帯、屋根裏で家族でワイワイやっていると聞いていた。

探してもさすがに見つからないので、諦めて風呂に入った。

豪雨なのでさすがに、不用意なことはできない。屋根は滑るし視界も悪い。はっきり言うが、雨という感じでもない。水滴が弾道に感じるほど痛い。雨というよりは、でかい樽(たる)に貯めた水を天国からひっくり返したような雨である。

その豪雨は止む気配もなく、この猫は泣き止む気配もなく、雨音とみゃーにうなされる感じ。あー、もうどうしよう。意を決してみた。

1回やってみて救出できなかったら、あきらめよう。これで足元をすべらせれば、大怪我をするかもしれない。一軒家の二階部分から聞こえているのだから。ただ、ここで、少年ジャンプ的には、動かざるをえなかったのかもしれない。風呂で温めたカラダは、ためらうことなく、動き始めた。

どうやら、雨樋(あまどい)の角のところから聞こえているようだ。確実に、ここにいるぞっ!とわかったあたりで、気がつく。屋根から壁を沿っている雨樋は当然ながら、角のところからは、救出できない。

 

救出できない。救出できない。救出できない。救出できない。救出できない。救出できない。

そんな時、あの漫画のヒーローだったらどうするか。

 

孫悟空ならどうするか?(これがいけなかった。一番想像してはいけないタイプ)

当時は豪雨の中での判断だった為か、彼しか出てこなった。ので、破壊した。

 

すると、まぁ小さな子猫ちゃん。手のひらにのっかるくらい。もうしっかり毛は生えていて歩いていたので、一見すると猫だが、小さい。

決して傷つけてはいけないような気にさせるフォルムと鳴き声で、明らかに、かわいい。

翌日、壊れたところを確認し、簡単に修復しておいた。割れたパーツはあったので、接着剤でくっつけただけ。

 

後々、大家さんにも報告してえらく褒められた。

 

ただ、話はここから。

この猫、なついてしまって二階部分のわたしの部屋から出ていかない。無理に出しても戻ってくる。大家さんはあと3週間戻ってこない。40匹ほどの見知らぬ猫の中に戻すのも、、親猫がどれかわからないし、たぶん屋根裏から降りてきていない。

判断にも迷ったが、ここはいっちょ3週間だけ飼育してみっか!ってことで、ねこの気持ちを買った。大学の猫派女子たちにも相談した。そして名前は” トロ ”とした。トロトロ歩くから。

初めてだったかもしれない。可愛いと思う存在を愛おしく大切に思ったのは。弱い存在を守ろうと思った。

もちろん、当時でも、人から「かわいいよね」と言われれば、おうむ返しのごとくカワイイとは回答していたが、心に強く、揺るぎない信念でそう思ったのは初めてかもしれない。

大学とバイトの往復の中、なるべく早く帰った。一緒に布団でも寝た。夜な夜な、外に出て5分で戻ってくるお散歩にも付き合った。普通の家なので、窓の開け閉めは都度、わたしの担当。せがまれた。だが、当の本人は、気ままに好きな定位置でこちらを見ているのみ。報われない。

思い通りにならなくて、ツンデレな猫と暮らすうちに、わたしの人との付き合い方も少し変わった気がする。当時付き合ってた彼女にも、優しくなれた気がする(異論は認める)。

猫はただ、自分に忠実に生きているだけで、なにか悪いかな?ってそぶり。わたしは、人の気持ちを奥ゆかしくも、察して、おせっかいな部分がある。どうも波長の合わない存在。

そんな日々の中で、適度な距離でもって付き合う事を覚えた。いってみれば、トロにいろいろ教わったのかもしれない。トイレの処理やご飯の準備といった類の作業を今まで、自分の意思からやり始めたことはない。そういった作業をしなさいと、人に押し付けられたことは人並みにあっても、自分で進んでここまで意思をもってやったことはなかった。

 

「好き勝手にやっていても、いいんじゃね?」と言われているような気がした。 

 

当時の私からすればこの感覚は新しかった。というか、もはや救いのようでもあった。世話をしているのはこちらなのに、トロは勝手気ままに日々プラプラしている。

 

人付き合いはこうすべき、男子同士こんな感じに友情を育むべき、男女のお付き合いってこうなんだろう、とか、わりと浅い人生経験の中で決めつけるような傾向が強かったわたし。この決めつけが、人と摩擦を生み、どうにも人間関係が下手だった思う。事実、友達は少ない。孤独にも慣れた。現に今はひとりでプログラミングをしている。快適である。そんな人間性を今も形成しているが、このトロとの出会いや日々が、ゆっくり雪解けをさせてくれたように思う。

結果的に3週間で終わらずトロは我が部屋に居座り続けた。途中、親らしき猫もわかり、親元と部屋を行き来する感じになった。学生生活も終わり、大家さんが引き取ってくれた。というか、お返ししたという感じかもしれない。

 

人も猫も犬もそうかもしれないが、ある程度、自由にさせてもらえる環境でいて適度に距離をとったところから見ている感じのほうが過ごしやすいのかもしれない。

 

ある種の男子的ヒーローイズムがあって「かっこいいと思う状態=かわいい対象とは距離をとる」という意味不明な方程式の中で生きることを振舞っていた私にとって、この2つの経験は非常に大きな意味を人生にもたらしてくれた。

事実、今でも犬や猫、赤ちゃんさえ、可愛がる行為はしない。している人を見ても咎めない(とがめない)。

気持ちはわかる。そこは、ツンツンしていたいのです。放っておいてほしい。

ただ、この経験を経てわたしは一つ成長したのかもしれない。

 

 

こういった経験を経て、社会に出た。

いわゆる東京のビジネスマンをやった。

スーツを着て、ビジネスを学び、営業やマーケティングリサーチ、WEBシステムの構築、いわゆるトレンドっぽいところを追いかけたように思う。

うまくいくこともあれば失敗もあり、いまだに赤面する嫌な失敗もたくさんある。その中で、あるアイデアで良いと思うサービスや商品を世に生み出す感じと出会った。これならいけるかもしれない。アイデアはある。

 

そんな思いがふつふつと湧いて出て2013年に起業することになる。

 

さ、世の中が描くIT社長になってやる!じゃないけど、実はそんなことは思っていないけど、そんな感じの道を歩んでいたのかもしれない。結果的に5年ほどやってみた。人の採用もした。そこそこ有名な案件にも携わった。

ただ、わたしの場合、営業やマーケティングの経験を経てWEB制作を覚えたものだから、すべてのプログラミングやウェブデザインができるわけでもない。そのため、人に任せることになってしまうのだが、任せた人が苦しんで悩んでうまくできないときに、巻き取ってあげて、わたしがすべての作業をできるわけではない。

 

人任せの投げやり無責任社長 = みんなで仕事をして大きなことを成し遂げる

見え方こそ異なれど、表裏一体。自分ができないことを割り切って人に任せ、他の部分で努力する。また、これを客観的に、二人の従業員を見たときに、一方にとって得意なことをやらせ、苦手なことはもう一方に指示をする。わりと社長業の大切な部分。

ただし!

 

これはわりと悩ましいところで、一瞬の振る舞いで評価が割れる。あの人は、人任せでさぼっていると評価されるときがある。そんなとき、人によっては、モチベーションが上がらず、きちんと納期通りに収められなくなり、敵対的にもなる。まぁ気持ちはわからなくもない。この手のタイプは、頑なに考えを変えられない。仕事を任せあっているわけではなく、自分だけに押し付けられていると感じてしまう。

そして、人生の七味(ななみ)である、うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ から抱き抜け出せなくなってしまう。「システムを作れるし作っているのは俺なのに、そんな上からモノを言う態度で接するな」となってしまう。頭の中で七味がぐるぐる回り始めると、時間だけとられて生産性はゼロである。

 

だから、もう自分ひとりで作れる範囲で勝負してみようと思った。わたしが影響してそんな誰かを生み出したくない。なのに、だれかと一緒に作るといつかこの手の問題にあたる。もう確実にあたる。たくさんの人とこの手の壁にぶち当たった。

 

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わたし「あー、やっぱり、ここは、こんな感じかなぁ」

作り手「(う、いm、いまさら言うか!)あ、はい。」

わたし「うん、これでいこうよ。ところでさ、いまどきnode.jsとかNoSQLで作ってみてはどうかな?」

作り手「(う、おれ作ったことねぇ)あ、う、あmぁあじゃだ、あお、、、まぁよく聞きますよね」

わたし「わりと人気のアプリもnodeだったりするし、話題のこのサービス、いいじゃん」

作り手「(となるとまたイチから勉強になるなぁ。。)まぁまた勉強することはいいんだけど、RDBでphpでAWSで!」

わたし「(うゎー、また自分の得意領域じゃん。作り手の判断じゃなくてアプリを使う人たちにとってどっちを望むか考えてほしいのに。)あ、うん、じゃー、えーっとちょっと本屋でのもいって情報を調べようか。ところでRDBで作る理由ってなに?」


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もうこの手の会話は不毛である。システムやウェブ、この辺りの作り手の人たちは長年の積み重なった七味によって嫌気がさしている人もいる。一方で、思い描くシステムやウェブを作ってほしい側は日々悩む。一発でいい答えなんて出せない。悩みたいし迷いたい。より良いものを作るために。

 

このジレンマを脱出するには、もうこの作業をひとりで完結させるしかないと考えたわたしは、全てをひとりで作ってみた。どんな風に作るか決まっていればそんなに大変なこともなく、お寺に向かう長い階段をあがっているような感覚で進めるのでまだマシ。

作り手にお願いした場合は、寺に向かう階段を登れと言っていたのに、富士山に登って見て7号目からエベレストに向かおう!いや、やっぱり、高尾山でよくね?ってな感じの話をされているような感覚なんだと思う。

 

ということで、いったんひとりで悩み、考え、作り、捨ててみて、また作ってみたのが、このアプリです。

 

ペットラバー公式サイト(https://petlover.app) 

 

[ android ]アプリを使ってみる

[ iPhone ] アプリを使ってみる

 

 

ボタンを押すと、この画面にいきます。
 

何気ない日常を画像にして、一言コメントと一緒に投稿してください。その画像はアプリを使っている全ての人に拡散できます。twitterやfacebook、instagramだとフォロワーには届けられますが、フォローをしてもらえないと、たくさんの人に見てもらえません。

petlover で投稿した画像は アプリを持つ人すべての人に表示 します。フォローをしていない人でも表示するので、画像を投稿しても誰も見ていない。そんなことにはなりません。

 

 

petloverの場合、投稿、飼い主さん、そのペットにいいね!を押せるようになっています。いいね!を押した場合、それぞれ「お気に入り登録」します。

「またあの投稿を見たいなぁ〜」

「またあの飼い主さん投稿してないかなぁ〜」

「またあの猫ちゃん見たいなぁ〜」

といったご意見にお答えして、それぞれを保存することができます。

 

 

マイページから「サポート申請」ボタンを押すと、petloverで実施しているサポート内容について紹介するページが表示されます。紹介ページから、メールアドレスの登録やステータス、また活動の詳細を記入いただき、登録していただくと、petloverのサポート対象になります。この登録をすることで、経済的サポートの対象になります。

また、このサポートは保護活動している人に限らず、ペットの飼い主さんも対象です。野生動物の保護や動物園、水族館、保健所からレスキュした動物を保護している方なども対象です。

 

 

やっぱり動物を保健所で殺処分するのって、残念極まりない。でも、わたしの経験にあるように、人が生活をする上で、「仕方ない」という選択をしてきている。

さらに、嫌なのが、その殺処分の作業を行政、もしくは保健所の職員さんに任せてしまっているということ。彼らも無用の殺生を日々求められ、時としていきなり、ものすごい後悔に苛まれる(さいなまれる)かもしれない。そんな人の人生を考えた時に、やはり、なんとも言葉にできない気持ちになるなぁ。

今まさに、起業したものの描いた成果は出せずに、くすぶっていて、それでいて、自分の思う道をひとりで最速で歩んでみようと思った今、この問題に一石を投じる行動を起こせないものだろうか。そもそも起業なんかしておきながら、自ら信じた道をしっかり歩んでいなかったのかもしれない。

と思ってこのアプリを作りました。

 

このアプリは

・まずは飼い主さんとペットの生活をより豊かにする

・日々の記録用に画像を投稿してもらい膨大なサーバーストレージにて記録できる

・ペットを飼えない人がアプリを通じて飼育した気になれる。近所の犬を可愛がる感覚が体験できる

・保健所にいくペットが減るように迷子犬を探しやすい飼い主ネットワークをつくる

・企業広告を受注してアプリに表示して得た収益の一部を飼い主に還元する

・飼い主さん用のベーシックインカムがあれば飼育をしてみようと思う人が増えるかもしれない

・企業が広告を掲載してもけっして炎上しないメディアになる

・野生動物の保護や医療を提供している人たちが普段の活動をアプリで投稿してこの人たちにも還元する

・保護活動している人たちがレスキューした動物の紹介をアプリを使うすべての人に届ける

・この和を世界に広げる

・もうそろそろ人類も無用の殺生をなくしてもいいと思う

 

という特徴があります。

 

私は、スマートフォンのアプリを開発は得意ですが、以下にご説明する部分は苦手。。。ここを専任で取り組める人材の採用します。唯一、波長の合う形で一緒に仕事をしてきたメンバーがいるので、ファンディングが成功すれば、この費用の一部は彼の給料になります。

 

その1:広告を掲載する企業様の管理画面の作成

 

※この画面はイメージ図です。実際の画面デザインはこれから作成します。

 

その2:アプリ側に広告を表示する

 

広告を掲載した会社さんには、私たちからいろんな特典を提供しようと思っています。具体的に検討しているのが、1dayのペット訪問です。ペットの中には、セラピー犬として役目をもって働いている場合があります。わたしたちからセラピー犬や猫を派遣して1dayだけ触れ合えるサービスです。

会社によってはオフィスで飼育しているケースもありますが、これ、毎日面倒をみるとなると大変。ただ、短い期間でも触れ合えることで、ギスギスしたオフィスに新しい風をおこすこともできます。その両方のニーズをうまく合致させて私たちから派遣することを検討しています。

 

 

その3:広告費用から得たお金の一部をサポート登録をした方に送金する

 

 

わたしたちがやりたい広告サービスの概要

 

 

このアプリは日本に限らず、世界中で使われていくのを想像しています。
そのため9つの言語に翻訳しています。
さらに、得た売上を活かして、次なる取り組みを考えています。
それはペットと暮らす専用のマンションを作ったり、ペットと一緒にいけるレストランの紹介ページの作成などです。
アプリをきっかけに、あらゆる方法でペットとの生活を応援する企業でありたいと思っています。

 

そこで皆様にお願いです! 

みなさんがSNSで拡散していただくことが、わたしたちの応援につながります。ご協力に感謝いたします。

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