『ふるさとdeやきもの教室』in 気仙沼

集まった支援総額
¥285,000
パトロン数
44人
募集終了まで残り
終了

現在113%/ 目標金額250,000円

このプロジェクトは、2012/03/06に募集を開始し、44人の支援により285,000円の資金を集め、2012/04/04 23:59に募集を終了しました

大谷中

子供達と(特に被災地の)関わりもつことは
ずっと希望していました。
地元では先生方も子供たちもカリキュラムが押せ押せ...
なかなか開くきっかけがつかめなかったのですが
25年ぶりに会う恩師のおかげで出来た。
kyo-to-になってた。
貫禄は変わってなかった。
まあまあ...それはそれは楽しかったなあ
どこに教頭とため口でべらべらと...
とそれはさておき
子供たち。教頭、校長先生も一緒になって(ここがすごいと思う)
一クラスですが32人夢中で制作しておりました。
なんぼ恐いおもいしたんだか、そして跡形もない町毎日見てて...
楽しく、真剣につくってる子供たち、先生方を
みてそんなことを思ったりしながら接していた。

作品渡しにいった時は春休みで反応は解らなかったが
この時つくったものは特別なもの
いろんな思いが入っているんではないかな?
また会えたらいいな

リターンのメンコと版画の皆様
今制作中でございます
しばしおまちを〜
5月の個展もありまする

話がとんで

えと
先日,気仙沼市面瀬(おもせ)中の仮設でやってきました!
飛び飛びの活動報告、そしておもむくままの文章
ごゆるされませ〜

153世帯のいままでで一番大きい所です。
この出張の教室、一人一人私が会話しながら丁寧にやるのに一度に
10人ぐらい(材料、作品等持ち運び考えると)がめやす。
それを20人〜ぐらいで回ってました。

ちょっと昔、小学生72人一度にやったのが限界ではありましたが
あれは寿命が6ヶ月ほど縮んだと思われる。
まあそれぐらい後の見えない仕事(持って帰って焼き上げるまで、そして
個別に包む作業)がなかなかヘヴイなのだ。
そんな言い訳と憐れみを乞う発言はこれぐらいに
このわたくしであるからこそ出来たのでR。
と盛り上げてみよう。(実際はお母さん方の協力のもと出来ました。その節は大変お世話になりました。)
なにを言いたかったというと一度に100人が作ると思わせてしまった概要文であったので改めて説明させてもらいました。
コツコツとぉ緻密に打ち合わせを重ね、地味に毎回命をかけながら何度も往復して人数を重ねていった次第です。

そしてぇ、この面瀬中でついに合計100人越え。
41人の方が参加して下さいました。
計130人...くらいかな?
まあ...やったッす   オラ、やったッす...少し余韻にひたって...

こうやってたくさん参加して下さったのも仮設の中で声をかけて下さった方
ボランティアの方、自治会長さん等のおかげでもあります。
地元の三陸新報さんにもお世話になりました。

自分が掲げていた『つくることを通し自分で元気になる』
多少...一瞬でもその瞬間を作れたかな
手助けできたかな?
制作している時の顔とつくり終えた時の顔をみて
少しは貢献できたと思えた...というよりその顔見てわたしがすくわれたんだなぁ。
この企画に協力して下さった方にも。

昨年の今頃味わっていた、絶望と孤独...
今は違う。

自分のやっていることはなんなんだ、
ちっぽけだ 作品つくってなんになる と否定ばかり...
今は違う。

つくりつづけていくんだ。
地味〜に熱く?しっかりと自信をもってまえにすすむんだ。
またグズグズ後退することもあると思うけど
前と違う
ちょっと違う。

そして最後に?一番身近な人が喜んでいたことが今回のプロジェクトの成功?を実感できた気がします。
動画で仮設で制作している場面で夢中に作ってる方がアップになるます。
すごく入りこんでますねえ
そのアップの人が未亡人なりたてほやほやのわたしの母です。

『あ〜おんもしがったやあ(おもしろかったわね)』

おらもおもしがった。


今後のMinoru Oikawaの活躍?と三陸の民の底力、末永く見て頂きましたら
幸いです。
みなさまほんとうにありがとうございました!

及川みのる






小泉蔵内仮設

『踏ん張ろう東日本プロジェクトで支援物資を
向こうにもっていくんだ〜』
という方と現地ではじめて会った。
偶然友達の友達だった。

たまたま私の帰る日と重なり、その流れで
同行させてもらった。
同級生の安斎くんちの安斎商店あった所の
セブンで物資を渡す方と待ち合わせ。
おもしろいおじさんですよ〜とその日初めて会った気がしない
友達の友達のmifoちゃん(仮名)と友達になった感じでおじさんを待った。

軽トラでかけつけたその人は確かに楽しい方だった。

踏ん張ろう〜の方(3人東京から!)の会話さえぎって

『なぬ、おんちゃん二十一(地名)なの?(二十一浜のご出身ですか?)』
とネイティブ(mifoちゃん曰く)が出た。
『いや、おれこの辺の人間でっさ(この辺りのものです)
このすたず(このりっぱな人達)どはつがくて(とは違って)
親父が小泉で母が二十一で〜云々』
完全に割り込んでいた。

mifoちゃん達を見送ったあと、おんちゃんと私の実家に行った。
母はつねづね『二十一どうなったべ〜どうなったべ』言っていたからだ
おんちゃんに来てもらった。
玄関先で立ち話、1時間以上
『あそこの〜さん家は?あそこは...だれだれは〜
ん?その人 あの人のしゃで(弟)すか はあ〜』
その二十一浜の風景を憶えている人同士で
まったく変わってしまった前のことを
えんえんと喋っているのを見るとうれしいのだけど涙が出たきた。

そんなんでそのおんちゃんのおかげで小泉蔵内仮設でやれることが出来た。

つづく



あの なんといいますか...その

...その
また
その...そして
それならば  そう その調子だ
それゆけえ〜
 
津谷小仮設の報告つづきのままぜんぜん進みもせず
おかしなテンションの及川です。
こんばんは
今夜はまだぁ(また)さみぃねっす(さむいですね!)


目標金額 達成致しました!

ほんとなんというか
なんといったらよいのかわからないのです。

このプロジェクトを掲載して頂いた時点で私はもう十分でした。

いろんな方達と関わりをもたせてもらいながら
社会に対してこういう自分の思うままの形で出せた事、
アップされた時ほんとうに幸せを感じました。

それでもう幸せ度がMAXだったのが
どんどん、どんどんパトロンさんが増える度
不安になっていき
かろうじて心を安定させてくれたのが
自分の作った作品を送る(リターンする)ということでした...

向こうに行ってなにかすることは

まったく自分のため。

自分のどうしようにもなくなった気持ちをぶつけるため。

けっして人のためではない。

それを心に言い聞かせていた為、大切なお金を出して下さる方が増える度
不安になっていった。


初めて開けた津谷小仮設。
大沢地区(海近し)、津谷(川をさかのぼった津波被害)の方が多い。

小さいころからお世話になった方達ばかり。

海のもの『いっぺー(沢山)とれだがら(とれた)これもってげ
あれもってげ(持っていって)』

いくら沢山とれたからって命かけている仕事のたまもの。
だけどおしみもなく分けてくれていた。

そんな人達にほんの少しだけ恩返し
返しにもなってないかもですが...

だけど『おんもしーおもしー(面白い)』言ってくれた。

焼いた作品届けて、『いやあーなんとすたー(わーこうなったのね)』
笑ってくれた。
『お茶会でつかうべ、みんなさ見せっぺ』少し興奮してた。

それをニヤニヤして聞いてる

それだけ

ただ自分のため。

毎回行く労力、焼成する労力、時間、手間暇かかる...

その度(帰る度)お金をくれる母。

『Eーがらっ Eーがら(No thank you)』言いながら頂くわたし。
しかしそれでやれていた。

この年ではずかしい、情けないけど...

『作品の肥やしだ、栄養だ。ぜってー売れる、プロさなんだ(なるんだ)』

ぶつぶつ言う...

だから自分のため

過保護な自分のため。

淡々と実行するだけ。
いままで4カ所、82人
今月末の予定は打ち合わせずみ100人は越える

でも母が向こうにいるかぎりまた打ち合わせしてやるのかな...
淡々と
自分のために


今、達成してみなさんになんといっていいか

正直わからない

なんの文章かよくわからない

眠いのかギンギンなのかよくわからない






なんだいやあ

これは
日記ではないよね
わがってる

テレビじゃいろいろ三陸のことやってて泣き(今までまともには見てない)

個展も喜ばしいこと色々あって...

プロジェクトでは友人、そのまた知人、まったく初めての方ありがたい
申し入れがいっぱいあって...

気持ちが、まぜまぜでカオスになっているが...

一年前のそれとはちょっと
違う

種類が違う

そんな一年目。

日記みたいでソーリー

ありがとうございました。


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