2017/03/12 01:59

青森ねぶたウルトラノ會 公開日記 3/12(日)

仕事に追われ、プロジェクトに向き合う時間が分断してしまいました。無念の"皆勤日記ならず!"です。しかし!プロジェクトへの気持ちは益々熱く燃え上がっております!

本日は、私の回想記です。

私は小さい頃、両親は共働きで「鍵っ子」でした。2つ下の弟が通う保育園がちょうど通学路にありましたから、両親が共に忙しく、お迎えの都合が付かない日などは、私が弟を保育園に迎えに行き、二人で帰ることがありました。そんな日は母が夕飯を作り置きしてくれています。そこにはいつも「しゅくだいをやってからたべること」とか「あしたのじゅんびをしてからあそぶこと」といったようなメモが添えられていました。私が記憶にあるのはそのメッセージよりもそこに走り描きでかかれたウルトラマンや仮面ライダー1号です。

当時、私は6歳、弟は4歳。母の描く、手をクロスさせたウルトラマンやライダー1号の風になびくマフラーの描き方が好きで、それをマスターしようとスケッチブックに何度も描いたことを記憶しています。そしてそれが描けるようになった頃、母のメモの挿絵はレベルアップします。補助輪を外して自転車に乗れるようになったことを喜んだ次の日などの母の挿絵は、"自転車に乗ったウルトラマン"です。あまりにも描き方が複雑で、模写できるレベルではありませんでしたが、何とか描いてみようと必死になりました。グニャングニャンの車輪に関節が外れまくったウルトラマンがまたがる、幾つかのパーツが足りない自転車の絵を見た弟は腹を抱えて笑い、その笑いにつられて私も大笑いしたことを覚えています。

そんな日々が過ぎ去り、私が小2になった頃、教室内で自由帳ブームが始まります。みんな思い思いのノートに「じゆうちょう」とタイトルを入れ、イラストや意味不明な英単語、わたしの好きな歌手ランキング、わたしのサインといったものを自己表現し、それを見せ合うというムーブメントです。また、それを先生が見て、優秀なものに「がんばりました」のハンコをくれることになったので、みんな夢中になり、こぞって先生に見せたものです。

多分に漏れず、私も「じゆうちょう」を作りました。正義の味方ばかりを描いてもページは埋まりません。敵、つまり怪獣が必要となりました。そこに、、、!そうです。私が初めて描けるようになったあの愛嬌たっぷりな怪獣が白いノートいっぱいに登場しました! ガンダー。(笑)

この「ガンダー」も今プロジェクトでその偉業を心より讃えたい、青森市ご出身の「成田 亨(とおる)」さんのデザインです。このガンダーを皮切りに、私の怪獣イラストが充実していったことは言うまでもありません。

今もこうしてウルトラマンシリーズに触れると幼い頃の温かい記憶が蘇ります。私の場合、いつの記憶にも「ウルトラ」が付随します。自分を形成していく過程にこれほどの関わりを持ったキャラクターは他にいません。

ウルトラマンシリーズの世界観がいかに先見的な技巧で表現されていたか、それはインターネットを見るだけでも沢山見つかります。また、そのウルトラの世界を創り上げたレジェンドたちについても沢山のエピソードを見つけることが出来ます。

けれどもそれとは別に、「ウルトラマンシリーズ」との思い出を大切にしていらっしゃる方々も多いのではないでしょうか。

自分の心の中にある、自分だけのウルトラマンとの繋がり。

つらい時、ふとその繋がりを思い出してみるのもいいかもしれません。私にはとても効果的な対処法のひとつです☆

 

以上、昭和回想記でした。

皆さまの周囲に当プロジェクトをご紹介いただけますと幸いです。
引続きご支援のほど、よろしくお願いいたします!

青森ねぶたウルトラノ會
kiiro

ジュワッ