2014/11/12 21:25
〜①のつづき〜

コンコント 北野さんは将来、地元である滋賀県に帰る予定ということですが、
      地元に帰ってからはどういった形で活動されていく予定ですか?

北野さん  今は地元にほとんど木地師がいないわけですから、
      自分が先陣を切って、若いひとを集めていっしょに
      地元を盛り上げ、木地師の仕事を根付かせていきたいと
      思っています。

コンコント 頼もしいですね!
      工藝の館にはどういった経緯で入ったのですか?

北野さん  僕の場合は辻先生に入らせてくださいと言って
      工藝の館に入りました。

コンコント どうして辻先生のところを選んだのですか?




北野さん  辻先生のやられている仕事のやり方が自分の思い描く
      理想のスタイルだったので、このやり方を学びたいと
      思ったからです。
      旋盤(せんばん)という機械を使えば同じ形のものを
      効率よくつくることができますが、僕は鉋(かんな)
      ひとつでうつわを作り上げる職人技に憧れました。
      原始的なやり方ではありますが、こういったやり方を
      受け継いでいきたいと思っています。

コンコント なるほど、木地師といえどもいろいろなやり方が
      ありますしね。
      辻先生といっしょに山に行ったりしますか?

北野さん  よく連れて行ってもらってます。(笑)
      辻先生は森の名人なので、いろいろなことを
      教えてくれるので面白いです。

コンコント 北野さんが地元で暮らしていたときは山に行ったり
      していましたか?

北野さん  山にはあまり行かなかったですね。
      環境としては菅谷(すがたに)町と似たようなところですが、
      山で山菜を採ってきて食べたりすることもなかったので、
      びっくりしました。(笑)
      でも、そういった面を受け継ぐことも必要だと感じていますし、
      山のことも勉強のひとつだと思っています。

コンコント 辻先生の木地師としての生き様も受け継いでいくわけですね。
      北野さんはどういったつくり手になりたいですか?


北野さん  基本的には職人としてやっていきたいです。
      時間の余裕があれば作家活動もやっていきたいですね。


1000年以上前に、滋賀県蛭谷(ひるたに)で木地師文化が発祥しました。
その後、時代を経て、工藝の館がある菅谷町よりさらに山奥に入ったところに
木地師が移り住み、この地域でも木地挽きの仕事に携わるひとが多く現れ、
全国一の木地挽物産地となりました。
蛭谷で生まれ育った北野さんが菅谷町で木地師の修行をして、木地師発祥の
地である蛭谷で木地師文化を再び広めたいという想いに、大いなるロマンを
感じました。
蛭谷が注目の浴びる地域になるように、北野さんに期待したいです。

北野さん、お話いただきましてありがとうございました!