佐佐木源氏発祥の地として知られ、全国より宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご子孫が参拝される県指定文化財「沙沙貴神社」は、平成30年台風21号による被災で、合計8,000万円の復興工事費が必要です。皆さまの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。
沙沙貴神社について
沙沙貴神社は 神代の少彦名神さまの歴史を継承し、大毘古神さま・仁徳天皇さま、そして、宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご先祖である、宇多天皇さま・敦実親王さま四座五柱の神様が鎮座され、永きに渡る歴史を継承しています。
佐佐木源氏 発祥の地と言われる由縁は、古代豪族「佐々貴山君」のご先祖を祀った沙沙貴神社のある近江国 佐々木庄の地に、宇多天皇・敦実親王を先祖とする宇多源氏「佐々木氏」が下向し近江源氏となり、後の源平の争乱にて数々の武力を挙げたことから 近江守護職となったことで、鎌倉~室町時代までの400年間を支配した一族であったということ。その中で、沙沙貴神社にご先祖である宇多天皇・敦実親王をお祀りし、子々孫々の多くが沙沙貴神社に参詣を続けたことにあります。
佐々木氏の由緒
佐々木氏は、宇多天皇の皇子、敦実親王の玄孫である、源成頼が近江國・佐々木庄に下り、成頼の孫の、経方が佐々木姓を名乗ったことに始まります。
佐々木氏が近江に確固たる基盤を得るきっかけとなったのは源平の合戦でした。
経方の孫の秀義は、平治の乱で源義朝に敗れたため近江を追われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れます。 しかし1180年、源頼朝が平氏打倒へ挙兵した時、長男の定綱ら息子たちを引き連れて参戦し、目覚しい功績をあげました。
秀義自身はこの戦いで戦死しますが、定綱は戦功により近江國 惣追捕使(そうついおし ※後の近江守護職)に任ぜられます。 守護職に就いた定綱をはじめ、兄弟たちも多くの恩賞を与えられ、一族全体で述べ十七カ國の守護職を得ていた時期もありました。
定綱の跡を継いだ信綱の息子の代に佐々木氏は四家に分かれ、長男 重綱―大原氏、次男 高信―高嶋氏、四男 氏信―京極氏、そして三男の泰綱に始まる六角氏が惣領家(本家)として近江守護職を継承しています。
佐々木六角氏は その後 観音寺城を築き、この地を治めていきます。
鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、織田信長(安土城は、天正四年〜・1576・僅か六ケ年)によって追われるまでの約400年間、守護として近江國を支配し続けた一族です。特に、六角氏による支配は、戦国大名のように上から強力に統制するのではなく、在地勢力の自立性の上に成立した穏やかなものでした。地域社会の自治の伝統は、佐佐木源氏発祥の地の 近江國、滋賀県には今も根強く生き続けています。
その後も継承されていく主な佐佐木源氏としての姓は
佐佐木 佐々木 六角 京極 黒田 三井 大原 高嶋 篠笥 笹木 佐々城 沙沙貴 尼子 伊庭 椙山 岳 朽木 和泉 山脇 田中 種村 鯰江 乃木 松下 和邇 など220余の姓が継承されています。
現在も、ご先祖に感謝の気持ちを伝え、平和と繁栄を願って、日々全国より 宇多源氏・佐佐木源氏・近江源氏のご子孫がご参拝くださっています。
四つ葉のクローバー御守の由来
沙沙貴神社の御神紋 七ツ割平四ツ目に由来し、幸せを呼ぶ四ツ葉のクローバー御守を奉製いたしました。
沙沙貴神社のまつり
伝統の神事として、「沙沙貴十二座の神事」があります。
この神事は、近江の守護を務めた 佐佐木源氏一族が 武家を中心に 祭祀の集団をつくり、表四座(おもてよんざ)・裏四座(うらよんざ)・若宮四座(わかみやよんざ)の沙沙貴十二座と称され、四月・五月・十月の年三回祭礼を斎行しています。この祭礼は中世の武家の「苗(みょう)」(姓名)を継承した馬乗(うまのり)(各家の後継者)の神事です。特殊な神饌をお供えして饗応の酒席が設けられ子孫の繁栄をお祈りしています。
さらに、この沙沙貴まつりでは、琵琶湖岸の葭で「大松明」を作製して水辺の町より沙沙貴神社まで少彦名神さまをお迎えした勇壮な姿を継承しています。
境内のお花
このように、氏子をはじめ多くの佐佐木源氏を継承する多くの皆さまがご参拝くださる沙沙貴神社の境内を近江百華苑(おうみひゃっかえん)と名付け、年間を通じて約100種を超える花や花木で 皆さまをお迎えしています。
特に楽しんでいただいておりますのが、
■5月上旬~中旬に満開を迎える なんじゃもんじゃ。(木の正式名称は ヒトツバタゴ)
木に雪が降り積もったような姿は 人々を楽しませてくれます。
■初詣1月~2月上旬には、芳香を漂わせ咲く蝋梅(ろうばい)
境内に満月蝋梅と素芯蝋梅の2種が約20本点在しています。
どの季節にお参りいただいても、何かしらの花が咲いている境内を目指し、日々整備しています。
台風21号の被害状況
その沙沙貴神社を、今年、平成30年9月4日。台風21号が縦断しました。
皆さんの記憶では、関西国際空港が機能しなくなった、あの台風です。
9月4日午後に滋賀県でも風雨が強くなり、家がまるで地震のように、そして長い時間揺れました。
外に出て様子を見ることもままならず、境内の杉の大木が倒れないか、心配する状況の中見回りをしていた地元の消防団より「本殿の後ろの板塀が傷んでいる。表参道の大鳥居の前のケヤキの大木が倒れている」と連絡が入りました。
16:00を過ぎようやく外に出られるようになった際に目にしたのは、今まで経験のしたことのない光景でした。
滋賀県下一番の被害となった滋賀県指定文化財本殿の屋根
神様の鎮座される、本殿北側の屋根(正面から見て後ろ側)が三分の二、
長さにして12メートルほどが破壊され飛ばされ、なくなっていたのです。
消防団からの連絡で話していた本殿の後ろの板塀はこの屋根が飛んで落ち、そして本殿の西側に位置する杉の木が倒れていて傷んでいたものでした。
▼本殿 壁面 格子
▼本殿 透塀
▼表参道 大鳥居の前のケヤキの大木
▼表参道の狛犬を避けるように倒れた杉の木
▼表参道をふさぎ、石垣を崩して倒れた杉の木
▼駐車場と表参道の間の森の中も多数の倒木
▼現在本殿の屋根は、滋賀県指定文化財であるため、応急処置としてトタンの波板64枚で
仮屋根にて風雨をしのいでいます。
▼本殿 壁面と透塀は、ベニヤ板でふさいでいます。
▼倒木は、専門業者により伐採・撤去を進めています。
表参道大鳥居前のケヤキ ※推定樹齢250年の大木
この復旧までには 氏子を中心に 多くの方々のご協力をいただきました。
復興工事のご支援のお願い
このような状況下でも被災復興に関しては、滋賀県教育委員会文化財保護課にて、
神様の鎮座される御本殿の屋根が破損しているということ、
また、滋賀県下で最大の被害であるということから緊急性を考慮いただき、
滋賀県議会にて平成30年度の補正予算で
まず、滋賀県指定有形文化財「本殿」保存修理(災害復旧)を
最優先していただけることとなりました。
補正予算は、保存修理終了後にいただけるものであり、
保存修理を始めるにあたって、
下記工期の最初に、着工支払金を神社にて準備し支払う必要があります。
工事計画は、
・滋賀県指定有形文化財「本殿」保存修理(災害復旧)
H30年12月~H31年6月 工期(予定) 3,000万円(概算)
・滋賀県指定有形文化財「透塀」保存修理(災害復旧)
新元号元年5月以降 工期(予定) 3,000万円(概算)
となっております。
また他にも境内いたるところで、多くの被害を受けたために
上記 県指定文化財の修理費用に加え、下記の費用が必要となってまいります。
<復興工事費用>
・「本殿」内陣(神様の御鎮座される場所) 1,000万円(概算)
・ 干支の庭 杉板塀の復旧費用 500万円(概算)
・ 境内の危険木を伐採および花木の植樹費用 500万円(概算)
台風21号に伴う復興工事費の合計8,000万円を
2ヶ年の間に準備いたしたく、願っております。
今回のクラウドファンディングにて、
皆さまのご支援・ご協力を、何卒よろしくお願い申し上げます。
お問い合わせ先
沙沙貴神社
〒521-1351
滋賀県近江八幡市安土町常楽寺一番地
TEL:0748-46-3564
ホームページ:http://sasakijinja.or.jp/index.html