初日で目標300万円を達成。ワイルドナイツは、どう「共感」を支援につなげたのか? 杉田秀之インタビュー | Non Filter(ノンフィルター)by CAMPFIRE

初日で目標300万円を達成。ワイルドナイツは、どう「共感」を支援につなげたのか? 杉田秀之インタビュー | Non Filter(ノンフィルター)by CAMPFIRE

CAMPFIREの番組「Non Filter(ノンフィルター)」で、クラウドファンディングに挑戦した埼玉パナソニックワイルドナイツ・杉田秀之さんへのインタビュー記事。「誰もが、誰とでもラグビーを楽しめる場所をつくりたい」という思いを、どう伝え、形にしたのか。3つの資金使途やリターンの設計、CAMPFIREスタッフとの伴走を通じて、初挑戦で共感と支援を集めた工夫に迫る。

誰もが、誰とでも、ラグビーを楽しめる場所へ。杉田秀之さんがつなぐ、ラグビーと福祉

19歳の時、ラグビーの練習中のけがで頸髄を損傷した杉田秀之さん。復学を支えてくれた人たちとの出会い、ゴールドマン・サックスやGoogleでの仕事、NPOの立ち上げを経て、今は埼玉パナソニックワイルドナイツで集客と社会福祉を担当しています。

「誰もが、誰とでも来てほしい」。その思いから始まった観戦環境の改善と、クラウドファンディングへの挑戦。Non Filter by CAMPFIREでは、インタビュアーの中島が、杉田さんの歩みと、熊谷で実現したい未来を伺いました。

※本記事はインタビューの内容をもとに、発言の趣旨を保って編集・再構成しています。所属・取り組み・目標や予定についての発言は収録時点のものです。

全編インタビューの動画はこちら

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杉田秀之さんが取り組むプロジェクト

プロジェクトの募集期間は2026年4月24日〜6月30日です。募集終了後の活動については、上記プロジェクトページをご覧ください。募集概要(リーグワン公式)


ゲストとインタビュアーの紹介

杉田秀之さんのプロフィール写真
ゲスト

埼玉パナソニックワイルドナイツ
集客・社会福祉担当

杉田 秀之

東京都世田谷区出身。慶應義塾大学でラグビーに打ち込む中、19歳で頸髄損傷を経験。ゴールドマン・サックス、Googleでの勤務を経て、福祉をライフワークとして取り組むためにNPO法人を立ち上げる。埼玉パナソニックワイルドナイツでは、自身の当事者としての経験を生かし、多様な人が安心してラグビー観戦を楽しめる環境づくりに取り組んでいる。

埼玉パナソニックワイルドナイツ 公式スタッフ紹介

株式会社CAMPFIRE 代表取締役 中島 真
インタビュアー

株式会社CAMPFIRE 代表取締役
中島 真

アクセンチュア、ディー・エヌ・エー、リブセンス取締役などを経て、2018年3月CAMPFIRE取締役に就任し、2024年11月代表取締役CEO就任。ギフティ社外取締役、Inspire High社外取締役、社会変革推進財団理事等。

XXアカウント(旧Twitter)


中学2年生で出会ったラグビー。自分の居場所があるスポーツだった

中学2年生で出会ったラグビー。自分の居場所があるスポーツだった

中島:まず、自己紹介と現在のお仕事について教えてください。

杉田秀之さん:埼玉パナソニックワイルドナイツで、集客と社会福祉を担当している杉田です。ホストタウンである熊谷で行うホストゲームの集客や、福祉の取り組みに携わっています。私自身も障害を持っているため、例えば車いすの方が安全・快適にスタジアムに来て、ラグビーを楽しんで帰っていただけるような環境づくりをしています。

中島:ご出身や幼少期のことから伺えますか。

杉田秀之さん:東京の世田谷出身で、4人きょうだいの末っ子です。にぎやかな家庭で育って、今もきょうだいはすごく仲がいいですね。年の離れた姉は、親のような存在でもありました。

中島:ラグビーとの最初の出会いは、いつだったのでしょうか。

杉田秀之さん:中学2年生の時です。多摩川の土手で活動していた世田谷ラグビースクールに、知り合いに連れていってもらったのがきっかけでした。小学校からバレーボールをしていて、中学でもバレーボール部に入っていたんです。ネットを挟んでするスポーツとは対照的に、思い切り体をぶつける楽しさに惹かれたのだと思います。

比較的体が大きかったこともあって、15のポジションの中に、自分が存在できる場所がある。その面白さを感じました。

中島:そこから、ラグビーをするために慶應高校を目指したんですね。

杉田秀之さん:当時、大学ラグビーをテレビで見ていて、『ここに行ってみたい』という思いが強くなりました。高校も大学もいい環境でラグビーができると思って、慶應高校を受験したんです。1年半くらい、一生懸命勉強して、ラグビーも練習していました。

高校では入学前の春休みからグラウンドに行っていました。大学1年生でけがをしているので、高校の3年間は、プレーヤーとしてラグビーをやり切った特別な時間です。花園には行けませんでしたが、神奈川県大会の決勝まで進むことができました。その決勝で戦った相手と、大学では一緒にラグビーをする。今も仲間とつながっていることは、スポーツのいいところだと思います。


19歳でのけが。前を向くきっかけは、周りの人と小さな『できた』

19歳でのけが。前を向くきっかけは、周りの人と小さな『できた』

中島:大学でけがをされたのは、入学してどれくらいの時でしたか。

杉田秀之さん:4月に入学して、8月の夏合宿でした。大学でラグビーをプレーできたのは4か月程度です。試合に出させてもらう機会もあって、思い描いていたキャンパスライフが始まり、本当に楽しかったです。その後、首の骨を折って頸髄を損傷し、思い描いていたものとは全く違う生活になりました。

中島:生活が大きく変わる中で、どう気持ちを整理していったのでしょうか。

杉田秀之さん:今振り返ると、時間が解決してくれた部分が大きかったと思います。『自分はこういう障がいを負ったんだ』と頭では分かっていても、気持ちでは理解できない。いい時と悪い時を繰り返していました。

ただ、家族はずっと応援してくれていましたし、ラグビー部の仲間など、自分を本当に大事に思ってくれている人の存在に、けがをしてから気づいたんです。自分が前を向いて生きる姿勢を見せると、みんながすごく喜んでくれる。それならそれでいいんだと思えるようになってから、少しずつ楽になりました。

中島:気持ちを取り戻すうえで、支えになったことはありますか。

杉田秀之さん:当時は指もほとんど動きませんでした。そこから着替えができるようになったり、自分で食事を食べられるようになったり、できることが増えていきました。何かに挑戦して新しいことができるのが自分の楽しさになり、周りも喜んでくれました。1日でも、1週間でも、1か月でも、一つずつできることを増やしていこう。それが前を向くきっかけでした。

リハビリの病院では、生まれながらに障がいのあるお子さんにも出会いました。僕が平行棒で歩く練習をしていると、『お兄ちゃん、歩けていいね』と言われたことを覚えています。ご両親が将来を心配されている話も聞きました。そこには、自分が障がいを負って初めて見えた、福祉の世界があったんです。大学に戻って、自分で生きていく姿を示すことにも意味があるのではないか。その思いも、もう一つのモチベーションになりました。


『どうやったらできるか』を一緒に考えてくれた人たち

『どうやったらできるか』を一緒に考えてくれた人たち

中島:大学に戻るためには、どんな準備をされたんですか。

杉田秀之さん:1年くらい休学しました。退院した時は車いすだったので、もともとの学部の古いキャンパスに通うのは大変そうでした。一方、別の学部には、当時からネットで授業を受けられる環境があったんです。学校と話し、編入試験を受けて学部を移る準備をしました。まずは『この環境ならやっていける』という状態をつくりました。

中島:復学後は、すぐに前向きに通えたのでしょうか。

杉田秀之さん:正直、学校には行きたくなかったです。車いすに乗っている自分、障がいを持った自分を人に見られるのが嫌でした。手動運転装置を使って車でキャンパスに着いても、人に会いたくなくて、車から出ずに帰る日もありました。

それでも、応援してくれる人がたくさんいたんです。指が不自由でノートを取れない時に手伝ってくれる人がいて、先生方も『どうやったらできるか』を一緒に考えてくれました。その気持ちに応えたい。大学も自分のようなケースを前向きに受け止めて取り組んでくれたことが、また頑張ろうと思えるきっかけになりました。

中島:ラグビー部とも、もう一度関わるようになったんですね。

杉田秀之さん:キャンパスが変わり、みんなは学年も先に進んでいたので、だんだん距離ができていました。でも、同じ学年で入った仲間が4年生になって、『あと1年で卒業してしまう』という時に、週1回くらい顔を出したり、試合分析で手伝えることを話したりするようになりました。

好きなラグビーを、好きな仲間と一緒にやっていた場所に、もう一度戻りたかったんです。自分たちの代は早慶戦に勝てた代でもあります。『僕たちは勝った』と共有できるあの場所に、自分もメンバーの一人としていられたことが、すごくうれしかったです。


ゴールドマン・サックスへ。『自分次第』で挑戦できる場所を選ぶ

ゴールドマン・サックスへ。『自分次第』で挑戦できる場所を選ぶ

中島:最初のキャリアに、ゴールドマン・サックスを選んだ理由を教えてください。

杉田秀之さん:リハビリでアメリカのサンディエゴに行った時、車いすであることにストレスを感じなかったのが衝撃でした。一方、コーヒー1杯を買うにも英語を話せないことのストレスは、ものすごく大きかったです。障がいそのものは簡単に変えられませんが、英語は学べば変えられる。それなら英語を使う環境に身を置こうと思ったのが一つの理由です。

もう一つは、就職活動で『仕事の機会は、本当にあなた次第だよ』と言われたことです。障がいがある中でも決まった仕事をずっと続けられる、と説明してくれる企業もありましたが、僕は自分がチャレンジできる場所に行きたかったんです。

中島:金融そのものへの関心もあったのでしょうか。

杉田秀之さん:理由は後から付けた部分もあります。ただ、お金がすごく大事だということは、入院生活で強く感じていました。本人は病気やけがでつらいのに、ご家族は退院後の生活や経済的なことで悩んでいる。それを見て、もっと大きな視点でお金のことを知ってみたい、という気持ちもありました。

中島:入社してみて、実際の環境はどうでしたか。

杉田秀之さん:本当に『自分次第』だと感じる組織でした。障がいがあることを意識する場面はほとんどなく、上司を尊敬していましたし、同僚にも恵まれました。スピード感が速く、想像どおりのハードさはありましたが、今だから言えますけど、楽しかったです。

英語は本当につらかったですね。社会人1年目は仕事の後に英会話学校へ、週4日くらい通って必死に勉強しました。上司に相談した時、『自分も全部分かっているわけではない。でも今のポジションでやれている』と話してくれて。それを聞いて、自分もできそうだと思えました。努力は続けつつ、気持ちの切り替えができたのだと思います。


Googleを経てNPOへ。自分の時間を、福祉に使いたい

Googleを経てNPOへ。自分の時間を、福祉に使いたい

中島:Googleへ転職したきっかけは、何だったのでしょうか。

杉田秀之さん:Googleに行ったのは2020年です。コロナ禍や、結婚、子どもが生まれたこと、父が亡くなったことなど、いろいろな変化の中で、もう一度福祉に関わりたいという思いがありました。Googleには、働く環境について最先端という印象があって、その環境を見てみたかったんです。YouTubeチームのポジションが空いていて、機会をいただきました。

中島:福祉への思いは、以前から育っていたんですか。

杉田秀之さん:ゴールドマンでも、ボランティアや社会貢献活動をしていました。耳の不自由な同僚と、音のない状態でゲームをするなど、聞こえない方の生活をオフィスで体験する企画をやったこともあります。それがとにかく楽しくて、もっとやりたいと思うようになりました。

Googleも多様性があり、会社としてそうしたテーマに取り組む場所でした。ただ、自分の仕事はYouTubeに関わるもので、『自分の時間を使って福祉に取り組む』という意味では少し違いました。2年くらいたった時に、スモールスタートでいいから自分でやってみようと思い、NPOを立ち上げる方向で動き始めたんです。

中島:自分で立ち上げてみて、生活は変わりましたか。

杉田秀之さん:全然変わりました。時間は本当に自由になったと思います。もちろん生活もありますし、結婚して子どももいるので、『こんなふうにやっていていいのかな』と思うこともあります。でも妻から『よっぽど楽しそうだね』と言われて、これもいいかと思えました。

最近は、NPOも大事ですが、自分がやりたかったのは福祉そのものだから、やる場所はどこでもいいと思っています。今のワイルドナイツも、自分にとってすごくいい場所です。


ラグビーと福祉がつながった、ワイルドナイツとの出会い

ラグビーと福祉がつながった、ワイルドナイツとの出会い

中島:ワイルドナイツとの出会いは、何だったんですか。

杉田秀之さん:人とのつながりです。NPOを立ち上げてから、いろいろな場所で『福祉に関わりたい』『当事者としての自分の経験を生かしたい』と話していました。その中でワイルドナイツの方と出会い、チームとしても障がいのある方の観戦体験をよくしたい、という話を伺ったんです。

最初はスタッフとしてお手伝いする時期もありました。その中で、できることがたくさんあると感じて、ここでやりたいという思いが強くなりました。結果的にまたラグビーに関わり、福祉にも関われているのは、すごく幸せだと思います。

中島:最初に取り組んだのは、どのようなことですか。

杉田秀之さん:まず、車いすユーザーの観戦体験を考えました。車いすユーザー1名に介助者1名というチケットの売り方が多いのですが、僕は4人きょうだいの6人家族です。その形だと、家族で来ても2人しか一緒に見られず、残りの4人は別の席を買わなければならない。できればみんなで見られる環境をつくりたいと思いました。

そこで熊谷ラグビー場では、同伴者の席を複数購入できる形にしました。『家族みんなで見られるようになりました』という反応をいただけたのは、とてもうれしかったです。さらに車いす席のエリアも増やしました。車いすの方にも、どこから見るかという選択肢ができた。予算に大きく左右されずにできることもあって、すごく好評でした。


誰もが、誰とでも。『MORE PASSION, MORE INCLUSION.』に込めた思い

誰もが、誰とでも。『MORE PASSION, MORE INCLUSION.』に込めた思い

中島:クラウドファンディングを立ち上げた背景を教えてください。

杉田秀之さん:チームには『自由にやっていいよ』という空気があります。ただ、障がいのある方などの観戦体験をよくするには、一定の費用がかかることもある。どう実現するかを考えて、選択肢の一つとしてクラウドファンディングに辿り着きました。

車いすユーザーだけでなく、耳の不自由な方や、感覚過敏などで人混みが苦手な方、ベビーカーを使うご家庭など、いろいろな方がいます。それでも会場で試合を見たいという方のために、何ができるのかを考えたんです。

中島:『MORE PASSION, MORE INCLUSION.』という言葉は、どこから生まれたのでしょうか。

杉田秀之さん:CAMPFIREのスタッフの方と話す中で生まれました。情熱がもっと多くの人を巻き込み、誰もが受け入れられる開かれた場所につながっていく。そういうメッセージになるよね、という話からできた言葉です。

『誰もが、誰とでも来てほしい』というのは、もともと自分の中にあった思いでした。今回のクラウドファンディングに限らず、ワイルドナイツとして開かれた場所にしていくコンセプトとして、続けていけたらと思っています。

中島:チームの皆さんからも、協力があったんですね。

杉田秀之さん:GMやヘッドコーチ、選手の皆さんが応援してくれています。本業は競技ですから、プロスポーツチームのクラウドファンディングで選手が前面に出るのは難しい部分もあると思います。でもキャプテンをはじめ選手の皆さんも、SNSの告知にも出てくれました。シーズン後には、体験型のリターンでも協力してもらう予定です。そういうことも含めて、やってよかったと感じています。


初日で目標300万円を達成。金額以上に大切にした『共感』

初日で目標300万円を達成。金額以上に大切にした『共感』

中島:立ち上げは、順調に進んだのでしょうか。

杉田秀之さん:やったことがないものをやる難しさはありました。試合に来てほしいという思いがあるので、クラウドファンディングもシーズン中の盛り上がりの一つにしたかったんです。ただ、一番大事なのはチーム運営です。そこを優先しながら、いつ発表するかを調整するのは大変でした。CAMPFIREのサポート担当の方に、いい意味で背中を押してもらいながら進めました。

中島:公開後の手応えはいかがでしたか。

杉田秀之さん:最初はスモールスタートで300万円を目標にしましたが、初日で達成できました。6月末までに1,000万円という次の目標を目指しています(最終的には10,705,182円で終了)。ただ、金額以上に『共感』が本当に大事だと思っています。誰もが、誰とでも熊谷に来てほしいという思いを、しっかり伝えたいです。

中島:共感を得るために、工夫したことはありますか。

杉田秀之さん:集めた資金を何に使うかは大事だと思い、使い道を三つに分けました。『熊谷で暮らす人』『熊谷でラグビーを見に来てくれる人』『熊谷でラグビーをする人』のためです。そこを分けて伝えられたことが、共感を生んだ理由の一つかもしれません。

コアファンの方からも、『こういう取り組みなら応援したい』というコメントをたくさんいただきました。試合会場で『ワイルドナイツの杉ちゃん』と声をかけてもらうことも増えて、ありがたいです。いただいた支援を来シーズンにどう生かしたか、活動報告で伝えていきたいと思っています。


指文字のグッズから、キッチンカーの指差しメニューへ

指文字のグッズから、キッチンカーの指差しメニューへ

中島:リターンには、どのようなものを用意したんですか。

杉田秀之さん:指文字で『ワイルドナイツ』を表したデザインのTシャツや、今治産のハンドタオル、ピンバッジなどをつくりました。デフラグビーの選手と話した時に、まだ振興が足りない、もっと存在を知ってほしいし、試合にも来てほしいと聞いたんです。

熊谷はラグビータウンですから、ワイルドナイツとしてデフラグビーの振興にも関わろうと、リターンに指文字のデザインを使わせてもらいました。クラウドファンディングだからこそ、こういうものを入口に知ってもらえる。すごく喜んでもらえました。

中島:そこから、観戦環境の改善にもつながったそうですね。

杉田秀之さん:デフの方に、ラグビー観戦で何が大変か聞いたところ、『お店で注文するのがとても大変』という話がありました。キッチンカーではメニューが車の外に貼ってあって、店員さんは車の中にいる。指差しても、何を指しているのか分からないことがあるんです。

指差し用のメニュー表があるとうれしいと聞いて、僕たちの試合会場でも最後の2試合から用意しました。英語表記も入れ、海外の方も注文しやすくしたところ好評でした。キッチンカーのスタッフの方からも、『別のイベントでも使っていいですか』と言ってもらえました。クラウドファンディングをきっかけに、いろいろな動きができているのはよかったと思います。

中島:体験型のリターンもあるのでしょうか。

杉田秀之さん:バリアフリーマップをつくる街歩きや、デフラグビーの体験などがあります。シーズン後には、選手も一緒に参加するものがあります。どの選手と一緒に体験できるかを知ることで、ファンの方や応援してくださる方が、さらに増えたらうれしいですね。


支援の、その先へ。自分に合う楽しみ方を選べるスタジアムを

支援の、その先へ。自分に合う楽しみ方を選べるスタジアムを

中島:クラウドファンディングは、その後に何を積み上げるかも大切ですね。

杉田秀之さん:僕もそこがすごく大事だと思っています。『この後、何をするか』です。熊谷ラグビー場は僕たちの所有物ではなく、行政の施設なので、まずは簡易的なところからのスタートになると思います。

でも来年、再来年と続ける中で、例えば屋内で視覚・聴覚の情報も得られて、冬でも暖かい場所から観戦できるような選択肢をつくる。どんな方でも、自分に合う見方を選べる環境にできたらと思っています。

中島:杉田さん自身は、この先どんなことを実現したいと考えていますか。

杉田秀之さん:あまり先のことは考えていません。今がすごく楽しいんです。けがをした自分が、またラグビーに戻ってこられて、福祉にも関われている。会場で当事者の方やご家族が喜んでくれる姿を見るのが、すごくうれしい。もちろん、それをもっと広げていきたいです。

ワイルドナイツは、選手も指導陣も裏方のメンバーも、『チームのために』『選手のために』という思いで動いています。そんな人たちと一緒にやれるのは、すごくいい場所に来れたなと思います。必要とされる限りは、ここでやっていきたいですね。

中島:最後に、これから何かにチャレンジする方へ、伝えたいことはありますか。

杉田秀之さん:本当に一回聞いてみて、始めてみることだと思います。僕たちにとってクラウドファンディングは選択肢の一つで、何でもできるわけではありません。リターンの選択や設計も大変です。でも、伴走してくれるスタッフの方のおかげでできている部分がたくさんあって、背中を押してもらえました。

やってみたいことを応援してもらえるプラットフォームがあり、伴走してくれる人がいる。その心強さは、実際にやってみて初めて気づきました。まずトライしてみたら、プロジェクトをきちんと形にしていけるのだと思います。


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