個人ではなく、組織とも違い、ひとつの共同体として存在しながら、音楽業界の大きな仕組みと世の中の潮流のなかで表現を続けていく。
バンドのあり方はさまざまである。その華やかさゆえ、遠い存在として認識されることもあるだろう。けれど、彼らがつくる曲はすべて、私たちの生活のすぐそばで響いてくれる。
初めて聴くメロディーに突然心を奪われるのは、あるフレーズが耳に残って離れないのは、私たちが求める心の置き場所や、本当は言葉になるはずじゃなかった感情を、私たちの先に立ち、あらわしてくれているからに違いない。
ここに、シャムキャッツというバンドがいる。
リードボーカルの夏目とギターの菅原は幼稚園からの幼馴染、ベースの大塚とドラムの藤村は中学・高校の同級生。結成のきっかけは、高校時代に英会話教室で夏目と藤村が出会ったところから……「誰かが辞めたら終わり」を公言している4人組である。
一見すると垢抜けた、どこか飄々とした雰囲気を持つ彼らだが、実際に話してみると、バンドの在り方や自分たちを取り巻く環境に実に真っ正直に、むしろある意味では不器用に正対する姿が見えてきた。
インタビューを始める前、「オルタナティブロックの筆頭として東京のインディーシーンを牽引してきた」といった文脈で語られることも多い彼らに、「自分たちのことをオルタナティブだと思うか」と、ある種野暮とも取れる質問を投げかけた。
ほんの少し間を空け、バンドのフロントマンでソングライターでもある夏目が、自ら発する言葉をひとつひとつきちんと確かめながら、しかし肩肘は張らずに、こんなふうに答えてくれた。
オルタナティブって「もう一つの道」って意味だと思うんですけど、バンドというスタイルを貫きながら、自分たちで自分たちの選択肢を増やしていかなきゃいけないと思ってる。それはつまり、オルタナティブってことなんじゃないかな。わざと「違う道を歩まなきゃ」と思っているわけではなくて、なるべく自分たちにとってリアルなこと、ちゃんと意味があることをやり続けようと思ったらこうなったっていうか
彼らはすでに「オルタナティブ」という言葉を飲み込み、その茫漠とした意味に囚われすぎず、独自の道を歩む必要性を強く実感していた。
彼らが信じて進む道は一体どういったものなのか。今年デビュー10周年を迎え、精力的な活動を続けるシャムキャッツの4人に話を聞いた。
シャムキャッツ10周年記念ライブを最高映像作品に 内容: シャムキャッツのデビュー10周年を記念し、2019年12月13日『10周年記念公演 Live at Studio Coast』を最高な映像作品として残すためのクラウドファンディングを実施中。 期間: 2019年7月10日まで プロジェクトURL: https://camp-fire.jp/projects/view/144550
「このバンド、長く続いていくんだろうな」結束を強めた黎明期
ー 現在は自主レーベルを立ち上げて、毎年アジアツアーを行うなど活動の幅を広げているシャムキャッツですが、この10年そこに至るまでには、さまざまな困難があったと思います。バンドの性格や姿勢を知る上でも、まずはそのあたりから話を聞かせてください。先日LPとして再発された、1stアルバム『はしけ』をリリースした2009年には初めての関西ツアーも行っていますが、そのころの思い出はありますか?
夏目
初めての地方公演だったし、関東出身だから大阪なんて、それこそアジアツアーで回った台湾や中国以上に、当時はすごく遠い場所のように感じていて。文化も違うし、自分たちが良いと思っていることがどこまで通じるかわからなかった。実力もまだそんなになかったし。
菅原
大阪と京都では自分たちの集客も5人とか散々で、対バンのバンドのほうが盛り上がったりして。かなり悔しい経験をしました。それでもツアー最終日の名古屋では少しだけ手応えがあって。自分たちの音楽と表現がこれからどんなふうに広がっていくのか、ワクワクして東京に戻れました。
ー そのころのバンドのムードについて教えてください。同時期のイベント出演時、夏目くんからほかのメンバーに対して不満を爆発させる事件があった、と過去のインタビューでも答えていますが。
藤村
たぶん夏目は、引っ張っていこうって気持ちが強かったと思うんですけど。どう?
夏目
いや、それはむしろ逆で。俺はせっかくCDリリースできたのに、なんでメンバーみんながもうちょっと盛り上げようとしないのかなって思ってた。俺がなにかを起こさないとなにも起きないし、ライブが良くても悪くてもメンバーのリアクションは一緒だし、そんな状況だからどんな曲書いたら良いかわからないし、「バンドやってる意味あるのかな」って。
ー なるほど。
夏目
それが、2010年のつくばロックフェスのときに爆発したんですよね。「みんなが何したいかわからないからやる気も出ないし、ライブもやりたいんだかやりたくないんだか、このままだと続けてる意味ない!」って。そしたら藤村に「夏目がなにしたいか言ってくれればやるよ、それ」って言われたんですよ。
藤村
いや、明らかに才能があるのは夏目なんだから、もっと「こうしたい」って言ってくれていいのにって。なのに、いつも俺たちと並列に立とうとするから。
夏目
それが自分にとっては寝耳に水というか、晴天の霹靂で。でも確かに「こうやろうよ」って言うやつがいたほうがいいよな、って。
ー 菅原くん、バンビ(大塚)くんはどう感じていたんでしょうか。
菅原
何も考えてなかったですね(笑)。
大塚
そもそも、ぜんぜん記憶にないですね(笑)。
夏目
印象がないらしいんですよ。俺はほんと「これでみんなのリアクションが悪かったら解散だ!」 とすら思ってたのに。
大塚
まったく覚えてない(笑)。でも、その後のことはよく覚えていて。「2ヶ月にいっぺんデモシングルをつくろう」って話になって、それはめちゃくちゃワクワクしました。実際そのあと、ミックス作業なんかをするときも全員で意見を言い合う雰囲気にもなって。俺はそのぐらいから「このバンド、長く続いていくんだろうな」って思うようになった。
見えざる何かに「やれ」と言われてる気がする
ー 1stシングルであり、初期の代表曲「渚」をリリースしたわずか2日後に東日本大震災が起きてしまった、というのもシャムキャッツの歴史の中で大きい事柄かと思います。社会や個人のレベルで混乱があったのはもちろんのこと、バンドとしてもレーベルとの契約の話が流れてしまったり、MVが公開取り止めになったりと、大きなダメージがあったんじゃないですか?夏目
そうなんです。バンドが長く続いてるのは、すんなりうまくいってないからかなって、最近よく思う(笑)。やっぱりこう、がんばるしかない瞬間が多くて。見えざる何かに「やれ」と言われてる気がする。
菅原
なるほどね。
大塚
それに、このあとこういうこといっぱい起きるから、まだぜんぜん序の口っていうか。みんな「ダメだったね、じゃあこうしてみるか」みたいな方向にマインドがいくから、それは自分たちながらいつもすごいよなって(笑)。
夏目
もちろん当時はやっぱり悔しい思いはあって。「いまからやってこう!」っていうタイミングで出鼻をくじかれる気持ちはあったし。でも世の中が変わっていくだろうしチャンスだな、とも。
ー そうですよね。
夏目
「渚」のジャケットを描いてくれた小田島さんからもメールが来て「シャムキャッツはこの曲で世の中に出て行こうとしていたのに、正直悔しいよね。でもきっと、ここからもっとおもしろくできると思うよ」って。そういう言葉を励みにがんばっています。
ー 震災をきっかけになにか変化した部分はありますか?
夏目
あのとき僕が感じたのは「やっぱり音楽は必要だな」っていうことと、「音楽と触れられる場所は、いろんな人が居れる空間として、どんどんオープンにしていかなきゃいけないし、それを意地になって続けていかないといけないな」っていうことですかね。努力しないと自分たちが大事にしている場所は簡単に失われちゃうんだなって意識がかなり強くなりました。
ー そこから、ようやくP-VINE(インディーズ音楽レーベルの最大手)に所属して。2013年〜2016年は、トピック目白押しですよね。2ndアルバム『たからじま』、即完した限定シングル「MODELS」、そして、シャムの評価を決定づけた3rdアルバム『AFTER HOURS』、ミニアルバム『TAKE CARE』をリリース。全国ツアーも行って、海外アーティストとも多数共演を果たします。このころはどういう心境だった? バンドがうまくいってる実感はありましたか?
大塚
売れてきたって感覚はなかったですね。
夏目
まったくないね。
ー まったく、ですか。
夏目
クアトロ(渋谷CLUB QUATTRO・キャパ約800人)とかリキッド(恵比寿LIQUIDROOM・キャパ約1000人)で演れるようになってもバイト辞めれなかったし、状況がよくなってるっていう感覚は一切なかった。
菅原
がむしゃらに生きていましたね。
大塚
いま思えば、盛り上がっていくきっかけになった時期だったとは思うんですけど、当時は「これでようやくスタートラインに立てたな」ってぐらいの気持ちでした。
藤村
いちばん痩せてました、あのとき。
一同 (笑)
夏目
むしろ一番つらかったかもしれない。充実感もないし、次どうしたらいいのかなっていうのはすごく悩んでた気がする。今のスタイルではこれぐらいが限界だなあ、でも次のステップ行きたいなあ、どうするんだろう、って。
メジャーデビュー解消……たどり着いた自主レーベル設立
藤村ちょうどそのころ、2015年にメジャーレーベルから話があり、次の年にCD出そうよって動いてたんですけど、翌年にその話が破綻してしまって……。
ー メジャーデビューの話があった、ということですよね?
夏目
2015年に「TAKE CARE」を出してツアーが終わった段階で、P-VINEとこれからどうしようかって話になってたんですが、このまま続けてても未来がないな、とも感じていて。それこそバイトも辞められてなかったし。新しい受け皿を探してたところで、とあるメジャーレーベルの人が「一緒にやりましょう」と声を掛けてくれて。2016年の年末に録音して、次の年にデビュー……って話だったんですけど、途中で「やっぱり無理になりました」って連絡があり。
ー そんなにあっさりと……。
夏目
まあ、なんとなく感じてはいたんですけど。連絡が来るのが遅かったり、担当の人はレコーディングの現場にもぜんぜん来ないし。そんなときに山口さん(当時のマネージャー)から電話があって、嫌な予感するなあと思いながら出たら「シャムキャッツとはできなくなったらしいんだ……」って。「じゃあもう、自分たちでやるしかないですね」って、それ聞いて2秒で答えてました。
ー 電話口の返答として「もう自分たちでやろう」と決めた、と。
夏目
はい。当時は自分もがんばって話を進めていたものの、メジャーにいったあとの具体的なイメージみたいのは持てずにやってたところもあって。「メジャーでやるぞ!」ってなったころから、ぜんぜん曲が書けなくなったんです。世の中に何を示したらいいかがまったくわからなかった。いま思えば、本当にやりたいことじゃなかったんでしょうね。
ー そもそも、メジャーを志していたのは「バンドとして大きくなりたい」という思いがあったからですよね。
大塚
シャムキャッツはみんな、大きくなりたいという気持ちはあると思います。
藤村
あれ(酉の市の熊手を指して)に表れてますね。
ー メジャーのスケールに合わせたとき、自分たちらしさが失われる不安はなかったのでしょうか?
大塚
そもそもは、いくつか選択肢がある中で、自分たちらしさが失われないように、いちばんいいかたちでやれそうな人と、話をつけようとしていたところもあって。自分たちらしさが失われるぐらいならその道を選ばない、って思いは全員共通してたと思います。
ー それで、いよいよ自主レーベルを立ち上げることになったわけですが、そのときってそれぞれどんな心持ちだったのでしょう。
大塚
うまくいかなくなったときも、4人で集まってるときに悲観的な話はまったく出なくて、「次どうしよっか」みたいな雰囲気で。震災のときと一緒で、次のことを考えていくムードだった。一人だったら受け止めきれなかったと思うけど、それがこのバンドのすごいところだと思います。
夏目
なにがいちばん自分たちにとって正しいのかは、ほんと、わからないですけどね。トライ&エラーの繰り返しで、やってみたけどうまくいかなかった、だからこうした、でずっとやってきてます。
菅原
僕は世の中の動きを見ていても、このタイミングで自主的にいろいろと好きにできるのは、むしろラッキーだし希望だと思ったな。僕たちのファンや友人たちも、それをおもしろがって見てくれる人たちだし。
区切り線
メジャーデビューの解消について、過ぎ去ったこととして話す彼らだったが、言葉の奥に当時のショックを感じ取れるような気がした。「4人でいるときには悲観的な話は出なかった」ということは、悔しさは一人ひとりで噛み締めたのだろう。
「なにが正解かわからないからやってみるしかない」は、怯むことも驕ることもせず、自分たち自身に正直に向き合おうとするバンドの姿勢を示し、そして「好きにできるのはむしろラッキーだと思う」は、そう思えること自体がすでに彼らにとっての希望である、と伝えているようだった。
二人の回答がそのまま、いまのシャムキャッツの根幹をなしているのだと思えた。
「自分たちは世の中になにを示すことができるか」という問い
ー 自分たちで自分たちの選択肢を増やしていこうとする姿勢は、バンドとしての作品づくりや活動にも表れていると思います。夏目くんはどういった気持ちで曲を作ってきましたか?夏目
僕は最初、すごくオリジナリティを求めていて。バンドが存在するんだったら、何にも回収されないものじゃないと意味がないと強く思ってたんですよ。「○○っぽいよね」って言われたら、もうおしまいというか。異物でありたかったんですよね、社会の中で。
ー「異物」ですか。
夏目
でも、音楽ってそもそも、誰かと何かを共有するときに大事にするものだったりするし、なかなか「ド異物」みたいなものがない。それに、4人っていうコンボスタイル(少人数のバンド編成)でやって、バンド形式で音を鳴らした瞬間に音楽の歴史の中に吸収される部分はあるし。ならそこに自分なりのアンサーを出していくにはどうしたらいいだろうって考えてて。そういう中でめちゃくちゃ真っ直ぐな曲をつくってみたのが「渚」だったんです。
ー それまでは「変わったことをしてやろう」という気持ちがあったということですよね。そういった気持ちって、いまはもうほぐれているのでしょうか?
夏目
少し前までは、自分たちを社会の中で生かしていくなら「最善策はこれだな」って考え方でしばらくやってたんですけど、今はもうちょっと自分のやりたいことをやっちゃっていいかなって。どっちかっていうとまた解放されつつあるかもしれない。
ー なるほど。「メジャーにいったときに世の中に何を示していいかわからない」という葛藤も、社会の中での自分たちの存在に自覚的だからこその悩みだと思いました。
夏目
そうですね。メジャーの話があった頃、ひとつ良かったことがあるとすると、曲が書けない状況を見ていた担当の人が「せっかくメジャーデビューするから、一生歌ってもいいなって思う曲を出した方がいいよ」って言ってくれて。「一生歌える曲かあ」と思って、それで「マイガール」ができたんですよ。「この曲だったら自分たちらしさもあるし、メジャーでやってもいいじゃん! 」って。結局契約の話は流れてしまったんですが、「マイガール」はメジャーにいこうとしたからこそつくれた曲なんです。
意地を通すことで、好きになってくれる人が増えていった
ー 楽曲制作以外での活動に関してはどうでしょうか。例えば自主企画のフェス「EASY」では、ライブのほかに、多数のクリエイターの作品やZINEを扱ったショップを併設させていたのが特徴的でしたが、これはどのような考えから生まれたのでしょう?藤村
いろんないいバンドを呼ぶなかで、音楽以外のカルチャーまで包括されたイベントをつくるのが、自分たちの理想だったんですよね。
夏目
「EASY」をやるちょっと前から、渋谷にある「なぎ食堂」を通じて、「Lilmag」っていうZINEやミニコミを扱うお店をやっている方に出会ったりとか。インデペンデントなやり方で絵を描いてる人、文章を書いてる人、音楽をやってる人は繋がってて、そこからおもしろいものが出てきてる……っていう感覚が、自分には強くあったんですよね。
ー なるほど。
夏目
そっちの世界だと音楽はもっと開放されているもので、みんなの共有物として存在している感じだったけど、広く知られれば知られるほど、音楽は個人の所有物として抱えられる感覚があって。それがちょっと気持ち悪い感じがしてたんです。だから、せめて自分たちがやってるフィールドでは違う表現をしたかった。バンドとそのほかのアートが並列にあって、音楽をやってる人が絵や写真に感動する、絵や写真をやってる人が音楽に感動する、お客さんたちがどっちも好き、っていうすべてがオープンなものとして存在するイベントがつくれれば、世の中が少し変わるんじゃないかと思ってて。
ー「インデペンデントのほうが開いていて、世の中に知られているもののほうが個人的」というのは、おもしろい感覚ですね。
夏目
そのときは音楽シーンそのものが閉じているな、と感じていたんですね。だから、自分たちでイベントのお客さん100人増やすより、いろんな活動をしている人たちが、それぞれのフィールドで「シャムキャッツがおもしろいことやろうとしてるよ!」って言ってくれて、10人が10人を呼んでくれたほうがおもしろいイベントになるし、開かれたものになるんじゃないかと思って。
ー 企画段階からそこまで考えていたんですね。なんの後ろ盾もなく、自力でアイデアをかたちにしてしまうところがすごい。「EASY」は、最近の「THINK OF THINGS」や「PADDLERS COFFEE」でのポップアップショップの活動にもつながっていますよね。当初は夏目くんや菅原くんがメインだったけど、最近はメンバーみんながオリジナルグッズをつくったり。
夏目
ドラマの「踊る大走査線」で、いかりや長介演じる和久さんが、「意地を通して誰かの希望になれ」みたいなことを言うんですけど、まさにその状態だったんだろうな、って気がします。結果がどうであれ、ちょっと意地を通したことで「それ、素敵じゃん!」って言って寄って来てくれる感じはあって。「EASY」以降、編集やってる人だったり、ほかのミュージシャンとか、映画撮ってる人とか、イラスト描いてる人とか、自分たちのスタンスも含めて好きになってくれる人が増えていった実感はあります。
菅原
ほんと周りの人たちがおもしろい人ばっかりで助かってます。ポップアップは今やシャムキャッツの活動の軸の一つになっています。ただ単に小売ごっこがやりたいわけではなく、市井の人々にも目を向けて、風通しの良い「場所」を作るべきだという考えに基づいています。人とのコミュニケーションによって生まれる素敵なことをさまざまな切り口で提案して、社会に対してどんどんアクションを起こしていく、という。バンドって、社会性があってしかるべきだと思うんですよね。
「間に何があるのか」を考えすぎない生きやすさ
夏目日本は「意地を通して」がしづらい環境だと思うんです。結局みんな大きい物語に吸い込まれていってしまうし。そうじゃないとおまんま食べれないって世の中だから。
ー 意地よりも、大多数の思う「正解」、つまりメジャーデビューのような大きい物語のほうを選んでしまいますよね……。
夏目
なかなか難しいことではあるけど、先輩たち曽我部(恵一)さんやトクマル(シューゴ)さんが俺らに伝えてくれたのは、そうやって意地を通しても生きていけるし、多少なりとも世界を変えられるんじゃない? っていうメッセージで。自分たちもそのあとについていける存在でありたいな、とはよく思うんですよね。
ー それをバンドで実践しようとすると、業界の常識に背くようなこともあるのではないかと思うのですが。
夏目
きつくはなると思います。いろんなものを敵に回すし、いまあるシステムを壊すことにはなっちゃうんですよね。ほんとはCDもチケットも自分たちで手売りで売ったほうが明らかに儲かるけど、そうすると今までお世話になってきた会社を蔑ろにすることになるし、関係性も薄れていく。自分たちが愛してたものを自分たちで捨てていかなきゃいけない環境であるっていうか。すごく厳しい世界ですね。
ー 最近シャムキャッツはアジアツアーにもよく出掛けていますが、そのあたりの状況に関して、日本と比べて海外はどうでしょうか?
夏目
現場主義感はあるかなあ。「このやり方のほうが売れる」「このほうが効率がいい」みたいな「事実」のほうが強いから、みんな次から次へと、ある意味愛着なく次の場所に進める人たちが多いと思う。一方で日本人は「間に何があるのか」、隙間にあるものをすごく大切に考えるけど、海外はその意識が薄いと思う。もっと反射で生きてる。海外に行った時に、ちょっと自分が生きやすいなって感じるのはそこかも。
ー 行間を読んだり、気持ちを推し量ったり。それに対して海外はもっと自由で、直感的なイメージがあります。
夏目
シンガー・ソングライターの王舟はそれを「JAZZ」って言ってました。「中国人はみんなJAZZで生きている」って(笑)。アドリブに対して反射でさらにアドリブを付け足して行く感覚。「日本人は楽譜どおりやってるつもりなだけ、できてもいないのに」とも言ってた。わかるなあ、と思いました(笑)。どっちも大事だとは思いますけどね。ただ、相手のことと自分のことの間を考えすぎて探り合うと、どうしてもスピードが遅くなる。ライブ的な場面でもそう。もしかしたら反射的な反応でいないと、大事なものを失うんじゃないかって気もする。最近そういうことを考えてます。
ー「そのほうがかえって生きやすいのではないか」という問いにも感じます。最新アルバム『Virgin Graffiti』では、1曲目「逃亡前夜」からもわかるように「逃避」がひとつのメッセージになっていますよね。これは、まさにたくさんのしがらみや面倒ごとからの逃避で、対立をしたいわけじゃなく、ただ放っておく。この「自由にやらせてもらうよ」というスタンスは、シャムキャッツの活動そのものではないでしょうか。
夏目
まさにそうですね。作品にしようとすると、この感覚をもう少し研ぎ澄まさなきゃいけないのかなとは思っちゃうけど。でも、居心地の悪さを感じながら、わかりやすいカウンターにならないっていうのは、結局自分たちはめちゃくちゃ日本っぽいバンドだなと思ってるところでもあって。わかりやすい音楽性を示すんじゃなくて、そういう気持ちを持ちつつ、生活に近いところから攻めるっていうのは、すごく日本っぽいと思う。
独自の道を歩き続けることの不安
ー 作品づくりはもちろん、イベントやポップアップなどの活動、またバンドの姿勢に関しても、今ある常識や常套手段に頼らず、自分たちに嘘をつかず「独自の道」を突き詰めていこうとした結果が、オルタナティブであることなのかなと思いました。そして、シャムキャッツの持つ魅力の一つだと。でも、そういった自分たちのやり方を続けていくことに不安はないのでしょうか。夏目
俺はねえ、ゼロなんだよね。
大塚
いやいやいや! めっちゃ不安な時あるじゃん(笑)
夏目
あるかなあ。
大塚
まあ、それが「オルタナティブ」というか、自分たちのやり方に起因してるとは俺も思わないですけどね。単純にこの先どうなるのかとか誰でも感じる漠然とした不安があるってだけで。
ー「このあとどう生きていけるか」とは別に、「自分たちのやっていること」に関しては自信が持てているのは、すごいことだと思います。
藤村
自分たちのポテンシャルにはなんの不安もないというか、「絶対すごい」とは思ってるんですけど、それをうまく活用できるかどうかに不安があると言えるかもしれません。うまく波に乗れるか、波をつくれるのか。
大塚
俺は、「AFTER HOURS」「TAKE CARE」で、もうちょっと売れてもよかったんじゃないかと思った。あのポテンシャルの曲を出せてたなら、もっと上手いやりようがあったんじゃないかな、と。
夏目
俺は、やっぱり不安はない。俺たちはなにかを成し遂げるためにやってるわけじゃなくて、つくり続けることが目的なので、そこに関しての不安はないんですよ。そもそも、誰かの期待に応えたいからバンドをやってるわけでもないし。自分のやりたいことがなんとなくぼんやりあって、それを探して、世の中に出したときの反応を糧にして生きていきたい。周りがどう変わっても、たぶんそこは一切ブレない。
ー「誰かの期待に応えたいから」じゃない?
夏目
誰かの期待に応え続けるスタンスを貫ける人は偉いと思う。だから、自分は強情だなとは思いますけどね。いま言ってることって、「俺のやることなんでも愛してくれよ」って言ってるのと同じだから。
ー 強情さは、自分自身に正直であることでもありますよね。逆に言えば、誰かの期待に応えるときは正直さを犠牲にする部分もあるし。やっぱり、そのあたりにシャムキャッツの芯があるのかなと。
夏目
うん、うん。
近いところでの共感を持ち、その数を増やしていきたい
ー シャムキャッツは今年の12月に行われる10周年ライブを映像化する試みをクラウドファンディングとしてリリースしました。「支援」ではなく「みんなに参加してもらう『祭り』をやりたい」というメッセージがありましたが、今回クラウドファンディングにいたった経緯を教えてください。プロジェクトは100%を超え、あと1週間を残して、600万円のストレッチゴールを目指す。「シャムキャッツ10周年記念ライブを最高映像作品に」
夏目
10周年になにしようか、ってときにクラウドファンディングをする案はありました。ただ、正直いうとクラウドファンディングっていうものに関して懐疑的な見方をしているところはずっとあって。特にバンドでやるときは、「なんかかっこ悪いなあ」と思ってたんですよ。
大塚
音楽って、作品を出してそれが評価されるっていう形態だから、まだないものに関して「出す予定です」ってお金集めるのはどうなんだろうって気持ちがどうしてもある。今回は別に、作品をつくるための目的でやってるわけじゃないんですけど。
ー だからこそ、それこそ仲のいい作家さんやアーティストさんと協力したグッズをつくったり、メンバー参加のリターンもつくりながら、「みんなでつくるお祭り」にしたかった、と?
夏目
クラウドファンディングをやろう! となって最後まで引っかかってた部分って、「そもそも世の中に存在している仕組みを使う」ってことだったんです。ほんとに自分たちがやりたいことって、新しいゲームをつくって「こっちのゲームおもしろいよ」って籏を掲げて誰かに気づいてもらうことだから。今回のプロジェクトはそうではなくて、既存のゲームに自分たちが参加して、今応援してくれている人には「それも、おもしろいじゃん」って思ってもらうことだし、新しい人にも「お、おもしろそうなことしてるな」って気づいてもらうイメージで始めたんです。
大塚
選択の自由性をなるべく担保したいっていうか。クラウドファンディングを利用するというだけで、若干選択を狭めているという気持ちに自分たちがなっちゃう。
ー「応援してもらう」ことが前提になると、ルールなり形式になってしまいますもんね。
菅原
でも「みんな自由でいようぜ」って自分たちのスタイルを発信するのは難しいので、これでいいのかなとも思っています。いまのシャムキャッツのクラウドファンディングを応援してくれている人って、僕らのことや「お祭りにしたい」という思いに関しては、もう理解してくれてるんじゃないかなとも思ってて。そういう人たちを、少しずつ増やしていきたいなって。
ー プロジェクト発表の時「クラウドファンディングとは、シャムキャッツやるなあ!」といった発言を見かけました。それを見て、シャムキャッツがなにかやること自体をおもしろがる人たちがもうすでに周りにたくさんいるんだな、と。そこにはバンドが普段とるだろう選択とは少し外れていても、「きっとあいつらなら、おもしろいことやってくれるだろう」という期待も込められている気がして、関係はむしろ強固になってきているのかなと思いました。
藤村
……ちょっと、うるっときてしまいました。結局、俺らは近い関係で共感を持ちたいし、その数を広げていきたいんだなと思って。
ー 最後に。今回インタビュー中に「世界を変える」「世の中が変わる」という言葉が何度か出てきたと思うんですが、シャムキャッツとしてはどんなふうに世界が変わっていったらいいと思ってるんでしょうか?
夏目
「世界を変える」とか言うと、大それた言葉に聞こえちゃうかもしれないけど、自分としてはそんな感じでもなくて、表現をすることでいろんな人に語りかけることができて、それによって誰かがなにか強く思うことがあれば、ゆっくりと見ている景色は変わっていくと思っていて。そういうものを求めているんです。バンドって、そういう仕事だとも思うし。だから、革命を起こしたいわけじゃないんです。僕らもふつうに社会で生きている市民であり、芸術家というか。もし「人生が灰色だ」と思っている人がいるとしたら、その人の人生をすこしでもカラフルに変えてみたい。生きていることをよりリアルに感じられるように、「生きるに値する世界にいる」って実感が持てるように。でも、必ずしも僕たちに共感しなくてもいいんです。もちろんバンドを続けるためにはファンには信じていてほしいけど、もっと楽しいことを見つけられればぜんぜんそっちでもいい。…ジョン・レノンがね、「みんな早く泳ぎ方を覚えたほうがいいよ。そして泳ぎ方を覚えたなら、あとは君の好きに泳ぎなよ」って言ってて。僕らもそういう存在でいれたらいいな、って。
区切り線
改めてシャムキャッツの曲をあれこれと聞くと、曲に登場する主人公たちは、態度こそそれぞれではあるものの、自由な場所を見つけようと思案していたり、葛藤していたりすることに気づく。
<ああ渚、これから何をしようが勝手だよ>ーー「渚」(2011)
<なんとなくいけそう やらせてよ もっともっともっと>ーー「なんだかやれそう」(2012)
<ここじゃないところへ引っ越すのもいいねと話をする>ーー「MODELS」(2014)
<どうしてここにいたいのか たまにわからなくなるのさ>ーー「PM 5:00」(2016)
<明日風が吹いたら西でも東でもなんとなく行きたい方へ>ーー「Travel Agency」(2017)
<いまはただ昨日と違う道を探していくのさ>ーー「完熟宣言」(2018)
自由の対極にあるのは、窮屈さだ。そして彼らは「窮屈さ」の側から声を出している。
つまり「自由に生きるのは楽しいよ」と言ってるわけじゃなくて「もう少し好き勝手にやれないものかなあ 俺たちはこうしてみるよ」と言っているのだ。
それぞれの歌詞を追えば、不安や窮屈さを呪うことなく、必ずなんとか前を向いていることもわかる。
そしてそれは、シャムキャッツが歩んできた道そのものではないか。
私たちは、たくさんの「こうしなきゃいけない」に囲まれている。
それはなにも仕事や学校の中だけでなく、普段の生活の中でも、仲のいい友人関係の中でだって起こりうる。
もし自分が誰かのやり方に押しつぶされそうになったり、窮屈さを感じていたりするとしたら、その時は彼らの音楽を思い出し、少し頑なに、そして自分に正直に、居心地のいいところを探して生きてみるのもいいかもしれない。