遺言の付いた活動報告
飯館村に戻り農業を再開した佐藤忠義さんは言う。「農業なんていうのは、ほんとうはやりたくないのよ。 やりたくないわよ、75歳にもなってんだから。 おわら、後期高齢者、ほんとは賞味期限きたんど、はあ。 なんだって、ほんに。 のんびりして...
長谷川健一さんがトラクターでソバの種を蒔くかたわらで、種や肥料を準備しながら連れ合いの花子さんが言う。 「ここは西地区って言って、お父さんたちが代表で農地管理組合を立ち上げたんだよね。 (山土の)表土を剥いで、畑に作ったの。 その時の...
農機具を保管する倉庫の奥から「地元産・手打ちそば」と書かれた大きな看板を見つけ出した長谷川健一さんは懐かしんだ。「山津見神社のお祭りに合わせて、この看板を立ててて。 それで、あの”ふれあい茶屋” で、蕎麦打ちやってたんだよ。 好評でな...
飯舘村を中心に、豊田と野田は放射能汚染地帯の取材を始めた。しかし、取材場所は飯舘村から福島市に、伊達市に、川俣町に、郡山市に、山形県に、と広範囲に広がった。村人が離散を強いられた結果である。ある者は狭い仮設住宅やアパートに入り、あるい...
なぜ福島を記録しようと決意したのか、制作背景を複数回に渡りご紹介します。--------------------------------------飯舘村に残された人々にカメラを向ける取材が始まった。前代未聞の事態の中で、暮らしは破壊...