2020/08/03 19:30

 永く相馬野馬追に“元気”を届けてくださった山本寛斎様が、令和2年7月21日に逝去されました。 

 当プロジェクトの公開に合わせて、寛斎様にパワーをいただくべく応援メッセージを依頼させて頂いた中での訃報となり、一同言葉を失っておりました。

相馬野馬追に出場された故山本寛斎氏

 応援メッセージは、株式会社山本寛斎事務所 専務取締役 高谷様より頂戴いたしました。寛斎様の相馬野馬追への熱い想いに触れ、改めて執行委員会一同「伝統の相馬野馬追を未来に繋いでいく」想いを強くしているところであります。


ーー 株式会社山本寛斎事務所 高谷 様からの応援メッセージ ーー

かねてより病気療養中でありました山本寛斎が、急性骨髄性白血病のため、2020 年 7 月21日に永眠いたしました。
長きにわたり、山本寛斎を応援して下さった相馬野馬追執行委員会の皆様に心より御礼申し上げますとともに、寛斎が心底愛した「相馬野馬追」を未来に繋いでいくため、山本寛斎事務所を代表して応援メッセージを寄稿いたします。


1993 年、山本寛斎はロシア モスクワ赤の広場において、外国人として初めて国際文化交流イベントを開催しました。
寛斎にとっての大勝負「HELLO!RUSSIA!」と題したこのイベントにおいて、相馬野馬追をご披露させていただいて以降、相馬野馬追の存在は生涯寛斎のクリエーションにおいて欠かせないものとなりました。

寛斎は生前、相馬野馬追への思いをこのように語っております。
― 1992 年、相馬にて野馬追のお祭りに参加した日のことを昨日のことのように覚えています。庭先で飼育している馬の世話をする人々、客人に飲食を振舞い、取材に来た外国人の応対をするご婦人方...。着なれない袴や甲冑を身に着け、汗だくになりながら、多くの人がごった返す活気の中に私もおりました。500 騎に上る騎馬隊の行列、鉄砲の合図とともにはためくご神旗...。そのエネルギーに圧倒されたことが、1993 年のロシア モスクワ赤の広場での野馬追の披露に繋がりました。

寛斎の病室には、入院前に本人が次回作として構想を温めていた海外イベントのイメージポスターが貼られていました。
そこには、スコットランドの大地を駆ける相馬野馬追が力強く描かれています。
はじめて相馬野馬追を目にしてから四半世紀以上経っても、相馬野馬追の素晴らしさを世界に伝えるべく、日々想像力をかきたてておりました。
これからも山本寛斎の強い遺志を継ぎ、ニッポンをはじめ、相馬野馬追の皆様に元氣とエールをお届けできるよう、私たちも活動を続けてまいります。
末永く、ご一緒に!!

株式会社山本寛斎事務所
専務取締役 高谷 健太



 ロシア公演をはじめ、相馬野馬追に大きなご関心を寄せて頂き、多大なる御支援を賜りましたことに感謝申し上げますとともに、山本寛斎様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 また、高谷様ならびに御関係者の皆様には、大変な時にも関わらず、応援のメッセージをいただきましたこと、深く感謝を申し上げます。

「HELLO!RUSSIA!」赤の広場での一幕

「HELLO!RUSSIA!」に出演する相馬野馬追の騎馬武者