間もなく311から10年、原発事故から10年。
発災当時、その時の気持ちを十分に言葉にする表現力がなかった子供たちは、もうすでに自分の言葉を持つ年齢に達した。彼らはこの10年をどう感じているのだろうか、、。ひょっとしたら彼らの言葉が、原発事故に関して大人の間で交わされる平行線の議論や無関心に一条の光を与えるのではないか、、。
もやい展2021東京では4月4日(日)15時30分より「Next Generations!」と題した、ポスト311同時代を生きた、様々な立場の若者たち5人の発表と意見交換の場を設けることにしています。大人世代が気づかなかった子供の気持ち、育っていく過程で得た彼らなりの感性による知見は、きっと未来世代への一つの道筋になるものだと思っています。
ここでは登壇者のお一人、いわき市から東京へ避難して、今年高校を卒業された鴨下全生(かもしたまつき)さん(18)にメッセージをいただきました。
鴨下さん、どうもありがとうございます。
(タイトル画像は画家・小林憲明さんがもやい展2021東京出展用に製作途中の鴨下さんとローマ教皇との抱擁の絵画です)
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2019年11月25日。
僕は来日したローマ教皇の前で、原発事故被害を訴えました。
『広く東日本に降り注いだ放射性物質は、今も、放射線を放っています。
汚染された大地や森が、元通りになるには、僕の寿命の、何倍もの歳月が必要です。
だから、そこで生きていく僕たちに、大人達は、汚染も被曝も、これから起きる可能性のある被害も、隠さず伝える責任があると思います。
嘘をついたまま、認めないまま、先に死なないで欲しいのです。』
目の前には沢山の聴衆と、世界から集まった100人のメディア。
僕に与えられた時間はわずか2分。
8年分の想いと叫びを、削りに削って700字に詰め込んだ原稿の最後は、祈りで締めくくりました。
『だからどうか 共に祈ってください
僕たちが互いの痛みに気付き、再び隣人を愛せるように
残酷な現実であっても、目を背けない勇気が与えられるように
力を持つ人たちに、悔い改めの勇気が与えられる様に
皆でこの被害を乗り越えていけるように
そして、僕らの未来から、被曝の脅威をなくすため、世界中の人が動き出せる様に
どうか共に祈って下さい』
発言が終わった僕に、フランシスコ教皇は近づき、温かいハグで答えてくれました。
訪問先の国から、常に『言葉』を監視されている教皇は
言えることが限られる中で、無言の抱擁を以って、僕の全てを肯定してくれたのです
4月1日からの『もやい展』では、この日のハグが、ダキシメルオモイのひとつとして、展示されるはずです。
正直なところ、自分が描かれる事は気恥ずかしい。でもきっとその絵は、僕の不器用な舌の代わりに、多くのオモイを語ってくれることでしょう。
8歳で避難してから、家族バラバラとか、いじめとか、不登校とか、散々いろいろあったけど
長い休眠を経て、今、僕はやっと言葉を取り戻し始めたところです。
巷で語られる10年目の節目なんて、僕の周りにはありません。
あるのは僕の寿命より長く続く核被害。
勝手に節目を作りたい人たちに、全てを過去のものにされたくはありません。
4月4日のNext Generations!では、伝えたい言葉があります。
その出会いが叶うよう、どうか クラファンで、もやい展を支えてください。
鴨下全生 いわきから東京に避難(18歳)
鴨下全生(18)さんプロフィール
2011年3月、8歳の時に福島県いわき市から東京へ避難。
自宅は原発から約40km。避難指示区域外からの避難者と して、様々な偏見や差別、いじめを経験しながら東京で育つ。
2013年末に、秘密保護法が成立する時の国会周辺の様子を見て、このままでは自分の被害や理不尽が闇に葬られてしまうと危機感を持ち、徐々に集会などでの発信を始める。
一方で、いじめなど、原発事故の二次的な被害に起因するPTSDや鬱に苦しみ、度々体調を崩す。2018年秋、悪くなるばかりの国政に絶望し、分断や差別の中で、声を上げる力も奪われている原発事故被害者の状況に堪えられなくなり、ローマ教皇へ手紙を送る。翌3月、バチカンで教皇との謁見を果たし、同年11月、来日した教皇に再会。改めて原発被害者の実情を伝えた。福島原発被害東京訴訟原告。