2021/08/19 20:44

AMPIANA代表の吉田泰己です!早速ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございます。

これまでの活動を少しずつご紹介したいと思います!


前職でマダガスカルに来て1年が経過した頃、一時帰国中に結婚式を終えて、妻を連れてマダガスカルに戻りました。

妻は、退職して来ていたので毎日一日中フランス語三昧でした(今思えばなかなか酷だったなと思います笑)


まだまだ発展途中のマダガスカルでの生活環境は、日本とはまるで違い、停電なんて毎日必ずあるし、シャワーはチョロチョロだし、道路は未舗装ばかりだし...と大変な生活ですが、現地の人の大らかな人柄と広くのんびりとした雰囲気に段々と心地よさを感じるようになりました。

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そして、住んでいくうちにマダガスカルのおもしろいところが沢山見つかってきました。家で靴を脱ぐ人と脱がない人がいたり、自転車タクシーはどこまで行っても30円だったり、子供でも2合くらいお米を食べるのが普通だったり、日本と数字の書き方が違って読んでもらえなかったりと毎日笑ってしまうような出来事ばかりでした。自然とマダガスカルが好きになり、何となく直感でここに住みたい!マダガスカルで何かしたい!と思うようになりました。


それから、マダガスカルで起業したいと妻に話した時に「前から決めてたんでしょ、ここだったら何でもできそうだね」って言われたのを覚えています。たくましい妻を持ったなぁと感謝です笑

さあ、ここで生きていくことは決まったけど何しようか...って感じでした。日本食レストランするかと閉店する韓国料理屋の調理器具一式を購入したこともありました。


そんな頃に妻が市場で初めてカゴバッグを買ってきました。見て見て〜と嬉しそうに見せてきた妻はとってもワクワクに満ちている感じで私もワクワクしたのを覚えています。

それから妻とこれをしようという話になるまでそう時間はかかりませんでした。マダガスカルが伝わるようなカバンを作れたらきっと楽しいよねって。

しかし、調べれば調べるほど逆境ばかりでした。素材のラフィアは私達が住む東海岸とは真逆の地域で生産されていることに加えて、私たちの住む場所では作り手も少なく、全ては首都に集中しているということでした。

なので作り手探しは難航して、あっという間に数ヶ月経過していました。絶対ここでは無理だから辞めた方がいいと何度も言われていましたが、何故か絶対にできる!といつも根拠のない自信がありました。


ある日、妻のフランス語の先生に作り手を紹介してもらいました。直感でなんかこの人とならできる気がする!と思ったのを覚えています。

まだフランス語も十分に分からない妻でしたが身振り手振りでこういうのが作りたいと説明しました。

しかし、待てども待てども完成したとの連絡がありませんでした。2ヶ月後くらいに連絡があり、受け取るとあまり良いものとは言えませんでした。愕然としましたが、おそらくこれまでに作ったことがないものは、かなり難易度が高いのだと、私たちも編み方や素材の性質を研究していきました。

説明して、完成して、愕然として、、、そうやって何度も繰り返しやっていくうちに納得のいくものができるようになりました。


それから、これをブランドとしてやっていこうということになり、単なるファッションアイテムの一部としてだけではなく、製作の背景やマダガスカルの文化や慣習も知ってもらうことで、誰かの日常の一部にほんの少し、私たちが感じたようなワクワクがプラスされたらいいなと思い、マダガスカル語でプラスを意味する「AMPIANA」をブランドの名前としました。