2023/05/15 20:44

トップ画像は、3月30日のWCSJ2023会場のようすです。

充分な活動報告や広報をできる状況ではなく、クラウドファンディングとしての成果は全くふるいませんでしたが、商業媒体へのアウトプットの準備は順調に進んでおります。
成果報告会とともに、今週中にはご報告できると思われます。

なんといっても現状の私の課題は、「書くこと」に対する自分自身への勇気づけ。というわけで、極めて些細なことから振り返ってみます。

街の中で、英語はほぼ通じない

コロンビアの公用語はスペイン語です。「英語が通じるのは限られた場面のみであろう」と予想していましたが、英語は予想以上に通じませんでした。国外からの宿泊者も多いホテルのレストランで、「パン」「スープ」程度の英単語も通じなかったりします。スマホとAI翻訳には大変助けられましたが、現地語が全く出来ないのは問題、というより危険です。
たとえば、スマホを出して使うわけにはいかない空港のセキュリティエリアでトラブルに巻き込まれそうな時、そこの言語が全く分からなかったら、トラブルの可能性にも気づかなかったりしますよね?

「学習アプリ1日15分を3ヶ月」が精一杯、幼稚園児以下レベルという現実

外国語は、何がどこまで出来ればよいのでしょうか? スペイン語に限らず、外国語に触れる必要のある方々にとっては悩ましい問題だと思います。「現地で生まれ育ったネイティブ並み」のレベルに達してから行くことが理想かもしれませんが、現実としては無理でしょう。
今回の私は、今年1月中旬に博士学位論文の公聴会、2月初めに同じく最終原稿の提出があり、スペイン語を本格的に学習する時間を確保することは不可能でした。外国語学習アプリ「Duolingo」のスペイン語コースを、1日15分、多い日は30分。それが精一杯でした。到達できたレベルは、初歩も初歩。学校英語でいえば、はじめて英語を学ぶ学年の最初の3ヶ月分程度でしょう。
幼稚園児レベル以下のスペイン語で、いったい何が出来るというのか? かけられる時間が同じだとしても、もっとマシな学び方があったのではないのか? 3月26日、自責に陥りながらコロンビアにたどりつきました。

現地で思い知った学習アプリ「Duolingo」の威力

「Duolingo」という外国語学習アプリは、とにかく「習うより慣れろ」というアプローチです。この方法には賛否両論あるところだと思います。その言語を使いこなすためには、どこかで文法を文法として学習する必要に迫られるはず。「Duolingo」にも文法学習は含まれているのですが、誤りを繰り返していたらチラっと出てくる感じで、文法だけ取り出してガッツリ学ぶことは想定されていません。
スペイン語圏のコロンビアで思い知ったのは、徹底した「習うより慣れろ」アプローチの限界と威力です。自分が話そうとするスペイン語、自分が聞き取ろうとするスペイン語に対して、「これは言えるけど、あれは言えない」「ここまでは聞けてるけど、その他は聞けてない」ということが明確にわかるんですよね。「限界はここだ」という自覚があれば、たとえば「刃物は持っていません」と言いたい時に「刃物」がわからなくても、「Yo no tengo(私は持っていません)」の後に身振り手振りで「刃物」を示せばいいんだと判断できます。また、どこかへの道順を聞かれた時(よくあります。車椅子族は地元民と間違われやすいので)、どこへの道順を聞かれたのかわからなくても、たどたどしくしかなりようのないスペイン語で「Yo no hablo español」(スペイン語、話せません)と答えれば「そっか、地元民じゃないんだ」と納得してもらえます。またホームレス状態の子どもが、より多くのお金をもらおうと期待して私の電動車椅子を無理やり押している時には、きっぱりと「No」(ダメ)と言い、落胆するその子に「Lo siento, no」(ごめんね、でもダメ)と言うこともできました。スペイン語が堪能ならば、会話して事情を聴いて若干のお金とともに支援情報を伝えることも可能かもしれません。しかし私の場合は、とにかく車椅子から手を離してもらい、離れてもらう必要がありました。その子にとって危険だから。
「習うより慣れろ」アプローチだけで言語を学ぶということは、「身についている=使える」「身についていない=使えない」の境界が明確であるということです。分かったふりや知ったかぶりをしない限り、危険性はありません。「Duolingo」は同じパターンを徹底して繰り返すので、特にその傾向が強いと感じました。

掲示や標識を読む場面でも、わずかな、しかし確実に身についたスペイン語はモノを言いました。私の知っている単語はわずかなものですが、その文章が肯定文なのか否定文なのか、何かを「せよ」という命令なのか、それとも「するな」という命令なのか。それが分かれば、分からない単語をスマホで調べれば済むことです。3日目をすぎると、知らない単語をいったんヤマカンで推測してから調べるようになり、ヤマカンの精度は日々少しずつ向上していきました。59歳で外国語が少しずつ上達するのを実感できるなんて。嬉しいことです。

出国時、ゼロではないスペイン語能力に助けられた件

4月5日早朝、コロンビアから出国して米国東部に向かうため、国際空港でセキュリティエリアを通過した時、車椅子の危険物チェック(紙で拭って成分分析し、爆発物等の有無を調べる)のアラームが鳴りました。係員の若い女性は検査を数回繰り返したのですが、同じようにアラームが鳴りました。
私自身は、爆発物や違法薬物に手を触れた覚えは全くありません。しかし背中に目はついていませんから、「私の車椅子にそんなものは絶対に付着していない」とは言い切れません。内心、「どうしよう」と思いながら検査を見守っていました。
係員の女性は、カタコトの英語で「あなたは本当にアブナイものには触れていないんですね?」と聞いてくれました。彼女が「explosive」(爆発物)という英単語を思い出せないので、私が「explosive?」と尋ね、彼女はスペイン語で「Si」(はい)と答えるというやりとりも。
いずれにしても、日本語とは言いません、せめて英語の出来る人がいないと自分の無実を説明できません。その女性係員も「このオバサンは怪しくなさそう」だと思ってくれたようすで、英語のできる上司を呼びに行ってくれました。
アラームが鳴った理由は、分かってしまえば「なーんだ」でした。私の前に、検査対象の危険物を身体につけていた人がいたようなのですが、彼女は使い捨て手袋を交換せずに私を検査してしまったのでした。上司の「手袋、交換した?」の一言で、問題は解決。
彼女の語るスペイン語、彼女と上司の会話するスペイン語を、私は完全に理解できたわけではありません。しかし、完全に理解できなかったわけでもありません。状況や人々の態度や語調という情報もあります。「何が問題になっているのか」「どの程度ヤバい状況なのか」程度は理解できました。その程度の理解もできなかったら、不安と恐怖でいっぱいになっていたでしょう。もしかすると、そういう状況で挙動不審になってしまった人が、運悪く拘束されてしまったりしているのかもしれません。日本でも。

結論:わずかでも、確実に使える外国語は役に立つ

自分の知らない言語が使用されている地域に行く時には、少しでも、その言語を勉強するのが吉です。言葉そのものが大して使えなくても、「その国、その地域、その言語、その文化を理解したい」という姿勢を示すことができます。その姿勢は、コミュニケーションを間違いなく円滑にし、危険を避けやすくします。現地でのロマンスや儲け話に関心がなければ、わずかに言葉が出来るからといって犯罪リスクが増える心配はありません。
デメリットなし! メリットのみ!!