2014/03/06 19:46
こんにちは。
広報・デザイン担当の竹内です。
本日から3日間に渡って、「マチナカデミアってどうして始まったの?」という部分を、ドラマ仕立てでお話したいと思います!
題して

「大河デミア」!!

それでは早速第一話をどーぞ!
(情熱◯陸のナレーションでお楽しみください!)

——————————————————————————————————


「鈴木さん! すみだのマチの人が先生になって、子供からお年寄りまで色んな人が一緒になって“生きる力”を共に育む学校があったら、面白くないですか? その学校の講師をしてくれませんか?」

そんな、学長・平野豊宏の誘い文句に乗ってしまった、鈴木は、「あのとき、学校はもう既にあるものだと思っていました。実は、平野さんの頭の中だけだったのですが・・・」と遠い目をした-。


2013年3月。
小・中学校への出張授業などを行うNPO法人地域コミュニティ研究所「チコラボ」の代表理事を努める平野豊宏と、同じく出張授業の実施や人材育成プログラムの開発を行っているNPO法人「THOUSAND-PORT」代表の鈴木篤司が出逢った。
共に墨田区に居を構えて、青少年の育成事業に携わるなかで抱いていた共通の“課題”が、2人を引き合わせたのだ。

それは、「今、子供達は“生きる力”を学べているかー」ということ。
いつの間にか「教育=学力を学ぶこと」という図式が一般化されてしまった現代。
しかし、それだけではこの複雑な現代社会を「生きる」ことは難しく、
また、自分自身を「活かす」術も知り得ない。

平野は、「昔、僕たちが子供の頃は、マチの人に色々なことを教わったものです。今は、そういう関係性がどんどん希薄になっていっている気がする。
銭湯に行ってフザケてたら知らない人からも怒られたし、人生のイロハみたいなものを聞いたりもした。そんな、マチの銭湯のようなコトをしたい。一方的に教えて育てるのではなく、共に育む“共育”をしたいんです」
と語る。

そんな平野の情熱にほだされて、一人、また一人と仲間は増えていった。


-つづく-