はじめに・ご挨拶

私たち日本ふうせんバレーボール協会は、ふうせんバレーボールの普及、振興を通じて、障がいのある方々の社会参加や、障がいに対する社会の理解を深めるとともにすべての人々が支えあいの中で暮らしていくことができる社会の実現を目指しています。


このプロジェクトで挑戦したいこと

障がいのある人とない人がチームを組む全員参加のふうせんバレーボールが、九州、日本で誕生し、ついに30年目を迎えます。その間、日本各地に、そしてドイツやブラジル、韓国など海外でも高く評価され、普及が進んできました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックが翌年に開催されますが、それに先立ち、障がいの有無の垣根を越えたふうせんバレーボールをさらに多くの方々に知っていただき、楽しんでいただくことで、人と人、地域と地域、国と国をつなぐ架け橋となるとともに、これまでスポーツとは縁遠かった方々までも含め、スポーツを通じた共生社会の実現に貢献したいと願っています。


私がこのスポーツを始めたきっかけ

2009~2017年度 北九州市障害者芸術祭 実行委員長 岩井 菜穂美

 「私は誕生当時から身体に障害があり手足が自由に動かず、スポーツをしたことはありませんでした。 成人して障害者運動やボランティア活動を始めて、障害のある仲間は皆む同じようなものでした。
 障害者スポーツはありましたが、車いすバスケットボールや車いすテニスは、重度障害者には到底無理です。

 『私たちもスポーツがしたい!』そういう思いが高まり、生まれたスポーツが“ふうせんバレーボール”
 「これなら出来るかも」と、私も障害のない仲間とやりはじめました。
 ふうせんバレーボールは他の障害者スポーツと違い、障害者と健常者が一緒に出来るということです。
 障害者と健常者は子供の頃から分けられて育ち、そこから偏見や差別が生まれるのです。
 それが、障害があってもなくても一緒にやるのと、コート内の全員が触らないといけないというのがルールな訳ですから、こんな画期的な事はありません。
 私は生まれてはじめて、スポーツの楽しさを知りました。
 もっと多くの人に、私と同じ気持ちを味わってほしいと願っています。」


おだ社会福祉士事務所 社会福祉士 小田一惠

 全介助を必要とする車いすの友人は、五感のすべてをふうせんに集中させヒットさせる。一瞬緊張が走る。AP(障がいのない人)と息をあわせながら、なかなか超えないネットに向かいサーブもアタックも果敢に挑戦し続けます。そうなんです。重度障がい者が一緒にスポーツを楽しめるというのが最高なのです。 だからと言って「障がい者のためのスポーツ」ではないのです。歳を重ねて思うように動かない「障害のない」私も頭と体はアンバランスで試合中に舌がぺロリと出る失敗も多々あります。言語障害がある仲間が「ドンマイドンマイ」と力づけてくれる。誰もが主役、この一体感を味わったら止められません。

 初めてスタッフとして関わったのは、今から15年前。同じ職場で働くふうせんバレーボール振興委員会の白田副会長から声をかけられたのがきっかけでした。これがなければ、よくあるレクレーションの一つとして認識するだけで、ここまで楽しむ事はなかったでしょう。ふうせんとは思えない力強さと速さの試合運びだったり、仲間によっては声をかけながら優しくスローなボールを渡すこともふわふわな「ふうせん」だから自由自在なのです。チーム仲間を互いに理解する事で、車いすの運びも声かけも試合の流れも変化していく。障害のあるもの、ないものが共に助けあっていく醍醐味はやってみなくちゃわからんわからんのです。どうぞたくさんの方にこのスポーツ(スポーツですぞ!)に触れて頂き幸せを分かち合いたいものです。

北九州市障害者スポーツセンター 所長 有延 忠剛

 今から23年前、知的障害児の入所施設勤務から障害者スポーツセンターに転勤となり、そこで初めてふうせんバレーボールを知りました。当時多くの若者と、重度の障がいのある人たちが、ふうせんを使って何やらバレーボールらしきスポーツを楽しんでいる。しかも、その盛り上がり方が、半端じゃなかった!そのあまりに異様な盛り上がり方に、「なんなんだ?!このスポーツは!!」と思ったのが最初の正直な感想でした。

 その後、ふうせんバレーボールのプレーを楽しむようになり、その中で、考案者の中心人物の荒川孝一さんのことや、ふうせんバレーボールが誕生した経緯について知るにつけ、このスポーツの意義深さ、奥深さを思い知らされるとともに、計り知れない可能性を感じ、わずかでも普及活動のお手伝いができればと活動に携わらせていただいてます。

 ふうせんバレーボールは、

 「重度の障がいのある方の社会参加」「リハビリテーション」「レクリエーション」「生きがいづくり」「介護予防」「高齢者を孤独から守る」「健康づくり」「仲間づくり」「まちづくり」「共に生きる社会の実現」「人権教育」「思いやりの心を育む」「多文化共生」「世代間交流」「国際交流」・・・etc

 様々な可能性を秘めているのです。


これまでの歩み・軌跡

1989年 障がいのある人とない人がチームを組み、チーム全員が必ず一度はボールに触れ返球することをルール化したふうせんバレーボールが北九州市で誕生

1990年 競技団体(ふうせんバレーボール振興委員会)が発足。第1回全国大会を開催

1998年 日本ふうせんバレーボール協会を設立

2008年 第8回全国障害者スポーツ大会でオープン競技として紹介(以後、2014年の同大会でも紹介)

2010年 ドイツでふうせんバレーボールの普及活動が行われる。以後、病院や特別支援学校などで広がる。

2015年 ドイツからブラジルへふうせんバレーボールが紹介される。

2016年 韓国でふうせんバレーボールの普及活動が行われる。

2017年 全国大会に海外から初めて韓国チームが参加

2019年 ふうせんバレーボールの誕生から30周年を迎える。また、同年、中学校道徳の教科書でふうせんバレーボールが紹介される。

2020年 第20回全国障害者スポーツ大会(鹿児島県)でオープン競技として実施予定


資金の使い道・実施スケジュール

第30回記念の全国大会に一人でも多くの方々に観戦に来ていただき、また、体験イベントに参加していただくための広報宣伝費やイベント運営の経費として使わさせていただきます。


リターンのご紹介

(個人様向け)

<3000円>

①お礼のメッセージ(メールとなります)

②日本ふうせんバレーボール協会ホームページにてお名前をご紹介

③記念トートバッグ

<5000円>

①、②、③に加え、

④30周年の記念大会のプログラム

(企業・団体様向け)

<10000円>

①、②、③、④に加え、

⑤審判講習会(5月)または実技講習会(随時)への無料参加

<50000円>※企業・団体向け

①お礼のメッセージ(遠方でなければ直接ごあいさつに伺います。)

②、③(10個)、④(10冊)に加え、

⑤ふうせんバレーボールを通じての交流プログラム(1~2時間程度)の実施及びふうせんバレーボールの理念・意義に関する講義(30分~1時間程度)を通じた職員研修会への講師派遣(※遠方の場合は別途交通費が必要となる場合がありますので何卒ご了承くださいますようお願いいたします。)

※支援時、必ず備考欄にご希望のお名前をご記入ください。


最後に

ふうせんバレーボールは、今から30年前、人と人を繋ぐために生まれたスポーツです。

30年が経過し、東京オリンピック・パラリンピックを目前に控えた今、大きな一歩を踏み出したいと願っています!

皆様のご理解とご協力をお願いいたします!!


<All-in方式の場合>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください