はじめに  

サイディアフラハとは?

私(荒川勝巳)は子どものための支援団体を作るために1992年にケニアへ渡りました。そして以前私がケニアにいた時に知り合ったピーター・カルリ、デニス・コーデとでその準備をはじめ、翌年に私の私財をもとにこの団体を始めました。日本人の私とケニア人の2名で、共同代表という形の運営にしました。

どうして私は共同代表にしたかったかというと、日本人とケニア人が上下関係ではなく対等で活動を進めたかったからです。  

(左からカルリ氏・荒川・デニス氏)

ほかに仕事をもっていたデニス氏は運営ミーティングだけに携わって、活動の実務はカルリ氏と私とで推し進めてきました。そしてこの団体に"サイディアフラハ"というスワヒリ語で「幸福の手助け」という名前をつけました。それはケニアに根ざした支援団体にしたかったので、現地語であるスワヒリ語をつけるべきだと思ったからです。

スラムの子どもたちにかかわって

最初のサイディアフラハとしての活動はスラムの子どもたちのための無料幼稚園です。


(無料幼稚園児童と支援小学生)

私たちは近所のスラムの中に入りました。そしてわかったことは、スラムの建物は非常に弱く壊れやすく、子どもたち、特に女児たちが男尊女卑の表れとあいまってレイプなど常にハラスメントに脅かされているということです。それで私たちの団体は子どもでも、女児たちの支援により重きを置くようになりました。

今日までの活動状況  

その後も日本の方々のご寄付をえて、支援活動は児童養護施設(最初は男女児だったが、のちに女児だけ)、裁縫教室、溶接板金教室(溶接板金教室は2006年に始め2010年に停止)縫製工房、小学校とこの30年の間に拡充してきました。このかん私たち運営委員の3人は真剣に話し合いを持ったため、何度も口論し合いながらなんとかやってきました。

(    実習中の裁縫教室生徒とデニス氏)

 サイディアフラハ財政最大の危機

2020年にコロナが始まり、それまでに糖尿病だった実務リーダーのカルリ氏はコロナにかかって2020年12月に亡くなってしまいました。

 それで、私がカルリ氏の仕事も引き受けることになりました。2021年、2022年と私は彼の分も働きました。

私は両親がすでに数年前に亡くなっており、ケニア人の妻と4名の子どもたちとでケ二アで暮らしています。そしてこのコロナの時期に私が尊敬し、励まされ応援していただいていた何人かの日本の人が亡くなりました。 

このように親しい人々の死を経験し、私はやるせない思いに駆られました。それで2022年の初めに「もう自分の住む場所はケニアしかない。一生ケニアで人々のために尽くして没しよう」と心に決めました。

それで今まで以上に働きその過労のために、ちょっとしたきっかけで椎間板ヘルニアになってしまいました。「ケニアでこの病気を治すのは難しい」とケニアにいる日本人医師にうながされ、私は急きょ車イスに乗り日本に帰りました。それで発病してから日本に帰り、この病気治療のために病院へ入りケニアに戻るまで、4カ月以上にも及びました。 

コロナによる打撃はまだあります。サイディアフラハの財源の一つである縫製工房製品・ケニア民芸品の売上がほとんどなくなりました。日本国内でのバザーやイベントが開催できなかったのです。

そしてケニアのインフレ・日本円の下落が、財源にさらに追い討ちをかけます。  

私は日本の方たちに助けられ励まされ病気から回復しケニアに戻ってきましたが、このように災難が立て続けに降りかかったため、私たちの団体が財政危機に陥ってしまいました。

(学校児童の絵)

支援していただきたい金額 

サイディアフラハは幼稚園・小学校も併設していますが中学・高校はないので、私たちの施設の子どもたちを外部の学校へ出さないといけなく、それにかかる費用が足りません。

1、施設の中・高校生5名の1年分学校費用18万円

施設の中学1年生ミシェール、高校2年生モリーン、イボンヌ、ジェリダ、レデンプタ。2023年1月より1年間。

2、サイディアフラハの施設運営にかかる例年費用100万円ほどだが、ケニアの物価高、円安により必要になった費用50万円 2023年1月より1年間。

3、インターネット費用 10万円

2023年1月より1年分

4、キャンプファイヤー手数料 70,000円

合計850,000円

(施設の子どもたち、ネクタイを締めているのが高校生で、そうでないのが小学生。左端は運営委員で工房スタッフのダマリスさん、右端はモラア寮母)

支援が必要な中・高校生たちの境遇

今の私たちの養護施設は両親がいないか、病気かのために働けないシングルマザーの女児を対象としています。ケニア社会では男尊女卑の傾向が根強く、親のない女児はハラスメントにあいやすく優先的に保護する必要性があるのです。

そしてこれら彼女たちの将来を切り開くには、小学校より上の教育が大事です。

*子どもたちの将来の希望* 

ミシェール   

医師になりたいです。いつも貧しい人々は手当を受けられなくて困っています。そこで私が手当をすれば、死ぬことはなく感謝されるでしょう。

モリーン

私は弁護士になりたいです。そしてストリートチルドレンの権利のために戦います。

イボンヌ

私は政治家になりたいです。そして人々の立場に立って、みんながよりよい生活を送れるように助けます。

ジェリダ

私は電気のエンジニアになりたいです。そして支えを必要としている人々を助けます。

レデンプタ

私は弁護士になりたいです。そして他の人たちの公正を守ります。 

*彼女らが施設に入る前の境遇の劣悪さから、このような高邁な夢を叶えることは難しいです。けれど、私たちは、せめて彼女らに高校教育を受けさせたり、技能を身につけさせるなどして自立し、貧困のサイクルから抜け出すことをサポートしたいと考えています。

(学校児童の絵)

ケニア

ケニアの首都ナイロビは海抜が1600mのところにあり、1年中涼しい気候です。

今のケニアは平和なので、ナイロビを中心にして、アフリカの中では近年国力が上がってきています。しかし人口増と急激なインフレのため、金持ちは増えましたが、貧しい人々も増え、前からあった金持ちと貧しい人々の経済格差という構図はそのままです。そしていまコロナを経て世界的な不況によりケニアも同様で、そのシワ寄せはこれら弱い人々に及んでいます。  

    そのナイロビから30km離れた所にサイディアフラハのあるキテンゲラ市があります。この市は30年前には村でしたが、新しくできた工場地帯のベッドタウンとして発展して、ナイロビや田舎で住む場所をなくした貧しい人々が移住し、今では30万人以上住むような市になっています。そしてその中でも貧しい人々が住む地域に、サイディアフラハは位置しています。

(私たちの幼稚園・小学校では絵を描いたり、読み聞かせなど情操教育に力を入れています)

サイディアフラハ30年の成果

サイディアフラハは30年間地域に根差しこつこつと地道に幼稚園や児童養護施設を運営し、ケニアの厳しい生活の子どもたちを助けてきました。地元の人々から共感を得たので、物品を寄付してくれるケニア人もいます。

*低額授業料幼稚園1993年開始当時は無料。卒業生500名

*教育支援1994年開始。卒業生46名

*児童養護施設1996年開始。卒業生60名

*地域コミュニティーへの生活セミナー1996年開始。参加者のべ900名(コロナが始まる前に停止)

*裁縫教室1997年開始。卒業生600名(最近国営で授業料無料の学校ができて生徒が激減)

*溶接・板金教室卒業生2006年開始。2010年生徒が少くなったため停止。卒業生35名

*縫製工房2011年開始。布製品を製作販売。サイディアフラハ裁縫教室卒業生が見習いとして入り、技術を上達させ裁縫の職場を見つけて出ていく。修了生10名  

*低額授業料小学校2013年開始。卒業生15名(今年初めての卒業生を出す)

(地域コミュニティーの生活セミナー)

サイディアフラハにいま在籍する子ども

児童養護施設12名 

教育支援児童8名

幼稚園児70名

小学生120名

裁縫教室生徒3名

サイディアフラハ運営委員

サイディアフラハの運営委員は荒川、カルリ氏、デニス氏で始めました。しかしカルリ氏は亡くなり、今はサイディアフラハを初期に在籍した子どもたちが成人し、運営委員に加わっています。

議長デニス・コーデ

副議長サミュエル・カゲゼ(児童養護施設出身)

書記ロリン・アティエノ(支援小学生出身)

副書記ダマリス・ガチャ(児童養護施設出身)

会計荒川勝巳

副会計サボレ・セネカ(児童養護施設出身)

(初期のころに児童養護施設にいた子どもたちの現在。彼らはいまサイディアフラハの運営委員になっています)


荒川がこのたび病気になり仕事ができなかった4カ月間の運営

私の不在中の4ヶ月もの間、サイディアフラハ活動を担ってくれたのは、運営委員たちでした。なかでも、リーダーとして私の代わりを務めてくれたのが、サイディア縫製工房スタッフ(裁縫教室の先生も兼務)で運営委員のダマリスさん。

(縫製工房で本職のミニタオルを作るダマリスさん、今回のリターンの布製品は彼女が作ります)

そしてそのとき大学の休暇中のイザベラ(施設の子どもでサイディアフラハが授業料を払っている)。この2名を中心として、23年間施設の寮母をしているモラアさんや他のスタッフ、先生が結束して私たちのサイディアフラハを維持させてくれました。


(児童養護施設の子どもたちと)

サイディアフラハの今後

発足当時の運営委員であるカルリ氏は亡くなり、私は大病を患うなど、中心メンバーの高齢化が問題になっています。

もっとも今回の私の大病で、ダマリスさんはじめ運営委員を中心とするサイディアフラハ卒業生たちが手伝ってくれたので、ある程度の世代交代の目途がついたように思われます。

サイディアフラハの今後の財政、サイディアフラハon-line紹介とそのYou tube   

昨年から私たちは一般の日本の方を対象にオンラインによる「サイディアフラハon-line紹介」を1か月に1回のペースで始めました。途中私の病気帰国のため停止しましたが、この10月から再開しています。

この「サイディアフラハon-line紹介」は日本の人むけに、無料で私たちの子ども支援活動のほかアフリカの教育・社会・文化なども紹介して、サイディアフラハを支援する人たちに親しまれ、参加者が増えてきています。今後もこの催しを続ければ、新しく支援していただける人が増えると予想されます。そうすれば財源不足が解消するでしょう。

コロナの影響によるソシアルメディアの飛躍的発達は容易に世界中のことがわかるようになりました。このツールを通してのアフリカに関する情報も得やすくなるとともに、今後交流も盛んになっていくことでしょう。その場合、私はいかにアフリカに関する正しい知識、特に子どもたちやそれを取り巻く社会環境についてを、こちらが継続的に発信していくことが大事だと考えます。

そうすれば、日本の方たちはアフリカの子どもたちの持つ問題点を理解し、その解決方法を私たちととも探っていただけるようになることでしょう。このことは日本の子どもたちのことを考える上でもきっと役に立ちます。  

この催しは今回のリターンにもサイディアフラハon-line紹介参加情報として載せましたので、みなさんにもぜひ参加していただき、アフリカの子どもたちや日本の子どもたちについて考えていただければうれしいです。

そしてこの「サイディアフラハon-line紹介」のダイジェスト版をYou tube サイディアフラハ公式動画で見ることができます。

 https://www.youtube.com/channel/UCAqivc2zgTrEILXfN3sFY8w  

日本での窓口 サイディアフラハを支える会        

1996年に結成され、今にいたるまでサイディアフラハ支援者の人たちをとりまとめる窓口になっています。イベント出店やバザーを開催し工房製品やケニアの民芸品を販売するなどで、財源作りもしています。 「サイディアフラハon-line紹介」はサイディアフラハとサイディアフラハを支える会が共同でしています。

それでみなさんにもこのクラウドファンディングやサイディアフラハon-line紹介を機縁に、つづけてご支援していただけるとさいわいです。  

サイディアフラハ公式サイトhttps://saidiafuraha.sakura.ne.jp/top.html  

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サイデイアフラハを応援する方たち

*獣医神戸俊平氏

ナイロビ在住の獣医、ケニアの子どものプロジェクト活動あり

(子どもたちへリコーダーを吹いて聞かせる神戸先生)

http://www.s-kambevet.org/

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*矢野敏行氏(ウシリカ・インターナショナル代表)

ケニアの幼稚園・小学校運営者

https://ushirika.jimdofree.com/

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*都丸つや子さん(ウシリカ・ジャパン代表)

ケニアの幼稚園・小学校運営者

https://www.npoushirika.com/

https://camp-fire.jp/profile/Tsuyako-Tomaru-Kenya

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 *早川千晶さん

マゴソスクール運営者

私はナイロビのキベラスラムでマゴソスクールという孤児や困窮児童のための学校と施設を運営しています。サイディアフラハとは長年のお付き合いで、スタディツアーのお客さんを連れて訪問させていただいたり、キベラスラムの子どもたちをホームや裁縫学校、溶接学校で受け入れてもらってきました。カルリ園長先生と荒川さんはキベラスラムにも何度も足を運んでくれて、子どもたちの生活事情に心を寄せてくださってきました。キベラスラム出身でサイディアフラハで学んだ生徒は、立派に自立して生計を立て家族を支えることができるようになりました。

コロナ禍の影響もあって近年はケニア庶民の生活事情は以前よりも厳しくなり、様々な困難を抱えながらも、ケニアの人たちが教育にかける情熱はとても大きいです。貧困のコミュニティにとって、教育とは真っ暗闇の中の希望の光であり、その先の人生を変えていくためのチャンスです。家庭に問題を抱えた子どもたちが、家族的な愛を受けることができて、安心して生活できる場を得て、未来への夢を持てるように、サイディアフラハは愛情あふれる救いの場になっていると思います。

いま時代が大きな転換期にきていますが、そんな中で直面する様々な困難をどうか皆で手を取り合い乗り越えていき、日本でもケニアでも、そして世界中のどこでも、子どもたちが未来に夢を抱けるあたたかい社会を築いていきたいです。私たちマゴソスクールも、サイディアフラハと手を取り合ってこれからも歩んでいきたいと思います。

この困難な局面を乗り越えることができるように、どうか皆様、サイディアフラハのクラウドファンディングを応援してください。

(マゴソスクールの早川さん、オギラ先生、児童たち)

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*酒谷明子さん

看護師

はじめまして、応援団の酒谷と申します。

サイディアフラハとの出会いは、2014年のアフリカ旅行がきっかけでした。

当時、私は旅好きが高じて、仕事を休職し友人と2人で半年間のアフリカ縦断の旅をしていました。南アフリカから出発し、最貧国と呼ばれるマラウィを通過し、経済破綻したジンバブエなど、テレビでしか見たことがない貧困を目の当たりにしました。

そんな混沌とした雰囲気の中で、出会った荒川さんは、不思議なくらい穏やかで「ポレポレ」な人でした。ポレポレとは、スワヒリ語で、のんびりとか、ゆっくりと言う意味です。

施設を全て案内してもらって、一番楽しかったのは裁縫教室と工房でした。私は現在看護師をしていますが、前職でパタンナーをしていたので、アフリカの生地や製品に興味津々でした。※パタンナーとは、アパレル会社で服の製図を作る職業です。

 アフリカの布は、カラフルでエネルギッシュなデザインが多く、女性は巻きスカートやターバンにしたり、赤ちゃんのおくるみにしたりと、オシャレの布を使いこなします。

現在は、工房のダマリスにリモートで生地の買い付けの代行依頼や、フェアトレードのハンカチを作ってもらい、日本で販売し、売り上げの一部をサイディアフラハに寄付する活動を開始しました。

今後も自分にできる範囲で支援を継続していきたいと思います。

皆様も、どうかご支援頂けると幸いです。    

https://www.instagram.com/atpj2016/

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*新本友氏

私は3年前にサイディアフラハに2週間滞在研修をしていました。

渡航前まで中学校で教員をしていた私は、アフリカでの教育普及に関わりたく、サイディアフラハを紹介して  いただいたのでした。

幼稚園から中学生まで集まる地域の学校。朝早くの朝礼に始まりそれぞれのクラスで学習に取り組みます。先生たちは厳しくもユニークに、黒板いっぱいに書き込み、あれこれ教えています。

おやつや給食の時間になれば、寮母たちの作るご飯を食べに、ぞろぞろと子どもたちが食堂にやってきます。

地域の人たちが水を汲みにきたり、卒業生が顔を出しに来たり。

サイディアフラハはこの地域の人々にとっての居場所なのです。

養護施設で暮らす子どもたちは、学校が終われば毎晩食堂に集まって遅くまで勉強をしていました。

日本からのサポートへの感謝を忘れず、ひたむきに取り組む姿に、こちらが背筋が伸びる思いで勉強を教えていたこともありました。

そんなみんなのサイディアフラハも、ここ数年のコロナの影響を痛いほどに受けています。

メンバー、資金、やりくりの厳しい中、荒川さんの尽力、支える会の皆さん、応援してくださる皆さんのおかげで、ここまでこの場所が守られ、多くの子どもたちが育っていきました。

私も帰国後日本にいながらケニアの文化交流や子どもたちの学びに関われたらと、長年現地に駐在されている荒川さんにご協力頂き、アフリカと日本の子どもたちとのオンライン交流会を実施し、サイディアフラハの小学校の子どもたちの描いた絵や、縫製工房で作られたグッズの紹介などを行なっています。

このクラウドファンディングが、ひとりでも多くの方の目に届き、サイディアフラハの魅力が伝わって、これからの子どもたちの夢に向けた架け橋となれば幸いです。

移動文化基地 terra.co.ya

新本友

https://instagram.com/terra.co.ya?igshid=YmMyMTA2M2Y=

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荒川勝巳プロフィール 

1954年新潟県東蒲原郡津川町(現在:阿賀町)で生まれました。

1976年法政大学卒業。

1978年会社を退社。

1984年アルバイトをしながら美術専修学校を修了。しかしこの美術学校時代に、「自分はアフリカでボランティア活動したい」という気持ちが募りました。日本のアフリカ支援団体をいくつも探してそこのスタッフとしてアフリカに行こうとしたが、英語が不得手だったためにどこからも断られました。しかしアフリカでボランティアをしたいという気持ちは強く、お金を貯めて自力で行くことにしました。

1985年初めての海外行きがアフリカで、そこには誰も知った人はいませんでした。しかし1人でケニア、タンザニア、ウガンダを半年で周り、ボランティアのできる場所を探しました。そのかんナイロビで強盗にあって航空券や現金を奪われたり、内戦時のウガンダを旅しました。そしてケニアに戻り、ナイロビのスラムにある児童養護施設で絵の先生ボランティアとして、3ヶ月ほど働き帰国しました。

1986年末から4年近く、ケニアのナイロビ近郊にある児童養護施設でボランティアとして働く。その後帰国。

1992年日本で特別養護老人ホームの寮父を1年ちょっと勤め退社。

1992年、子どものための支援団体を作るためにケニアにもどりました。

    募集方式について

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

 終わりに

ケニアで子どもの支援団体を起こして30年。 児童養護施設の初期の子どもたちも、成人して運営に関わるまでになってきました。 この「現地の新世代の力」を、どうあっても、支えていきたいのです。

サイディアフラハ共同代表  荒川勝巳

    



  • 2023/12/07 04:57

    こちらは12月に入ってから、まったく雨が降らなくなりました。ケニア各地に甚大な被害をもたらしたエルニーニョは終わったのでしょうか?12月のオンライン紹介は1回休むことにしました。サイディアフラハでは1ヶ月に1回を標榜してオンライン紹介をここ1年以上続けてきました。でもケニアはこのところクリスマ...

  • 2023/11/13 04:47

    みなさま日本はだいぶ寒くなってきたなってきたことでしょうか。こちらは10月25日で幼稚園・小学校の3学期が終了しまし、クリスマス休暇に入りました。新学年の始まりは来年始めになります。11月に入ってから毎日雨が降っています。施設の子どもたちは自分たちの畑へスクマ(ケール)の苗を移植したり、豆(マ...

  • 2023/10/30 19:31

    みなさま 日本はだいぶ秋も深まり、紅葉がきれいな頃でしょうか。 こちらはエルニーニョが来るとテレビニュースで言ったましたが、今のところ来ず、大地は乾いています。 2022年度の決算報告書(2022年7月〜2023年6月)が出来ましたので、お知らせします。 サイディアフラ...

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