2019/06/24 12:29

【番外報告】ベネズエラより:ご支援に感謝します!あと6日、69,000円、もう一息です!

「明子さんのピアノ」プロジェクトの準備の傍ら、寄港地プログラム下見のため、南米ベネズエラに来ています。担当スタッフとしてベネズエラの訪れるのは15年目となります。

プロフィールのとおり、私はチームの仲間と一緒に、ベネズエラの港で船を受け入れ、現地方々と参加者との交流プログラムを作っています。そのなかで、2005年から続けているのが、ベネズエラの「エル・システマ」(青少年オーケストラ・コーラス教育システム)との交流です。ベネズエラの子どもたちは、1975年に始まったユニークなこの音楽教育システムのおかげで、誰でも無料でクラシック音楽を習うことができ、オーケストラの一員になることができます。そのため、町のあらゆるところで毎週のようにコンサートが行われています。ピースボートでは、音楽練習所の子どもたちに楽器や楽譜を届けたり、若い音楽家によるコンサートを企画したり、船に彼らを招いて音楽レッスンやワークショップを催したりしてきました。船がベネズエラに近づくと、とにかく船内は音楽漬けの毎日です。

地球の反対側で気づかされた、被爆証言の尊さ
ピースボートは2008年に、「ヒバクシャ地球一周~証言の航海」(通称:おりづるプロジェクト)を立ち上げ、ほぼ毎年、広島・長崎の被爆者の方々にご乗船いただき、世界のいろいろな場所でご自身の体験を話していただきました。第1回目には100名以上が参加し、私たちが待つベネズエラにも到着しました。その100名のうちの4名が、約2週間はやく船を離脱し、空路でベネズエラに到着し、教育省、外務省、科学省、市役所など、さまざまな場所で証言会を行いました。
被爆者の証言を聞くエルシステマメンバー        千羽鶴の贈り物によろこぶ子どもたち被爆証言を聞く人々がそれを涙とともに受け止め、証言後には被爆者の方々をあたたかく抱きしめる場面に何度も立ち会いました。人、地球を悲しませる核兵器は絶対悪である、と、彼らはストレートに考えているのです。


音楽で伝える平和、核兵器廃絶をねがう音楽家たち
「エル・システマ」の創始者で一昨年前にこの世を去ったマエストロ・アントニオ・アブレウは、広島・長崎の原爆の投下について、子どもたち、若者たちによく語っていました。2008年12月、2012年10月のユースオーケストラ日本ツアーの折には、広島を訪問地に選び、記念公園で献花をし、コンサートを行いました。広島を訪れたオーケストラ所属の友人は、「息がつまる思いだった。平和のために音楽を奏でようと思った、それが僕らにできること」と語っています。広島講演の際、献花するマエストロ・アブレウ(右から2番目)以来、ベネズエラの若者たちは音楽を通じて、広島での経験を伝え続けています。最近では、ペルーへ渡ったエル・システマ出身のバイオリニストたちが、ピースボートのペルー寄港に合わせ、自身が教えているリマの中学校で、証言会と平和コンサートを実施してくれました。ベネズエラ人の音楽の先生のおかげでペルーの子どもたちは原爆投下の意味を知り、二度と起こらないようにと願って演奏し、被爆者の方々は心穏やかにその音色を楽しんだと聞きます。


ベネズエラのいま
ニュースを追っている方はご存じだと思いますが、いま「ベネズエラ」と調べると「移民」「難民」「暴動」「経済危機」などばかりが取り上げられ、その状況で生活し続ける人たちについてなかなか知ることができません。たしかに、私たちが今回訪ねたモンタルバン練習所でも、もともと2,000人近くいた子どもたちが600人ほどになってしまって、国外に出て行く友だちを見送りながら、やりきれない気持ちもあらわにする子もいるそうです。それでも、複雑な気持ちを音楽に変えて、訪問者に音楽を喜んでもらい、一生懸命に交流する姿はいまも変わっていませんでした。

マエストロの言葉に、「Inclusión Social」(社会に巻き込んでいくこと)があります。ひとりだけが上手でも、オーケストラは響かない。演奏者、指導、バックステージ、運営、家族、コミュニティーまでが協力してこそ響くもの。エル・システマ本部の建物には、「音楽のための社会活動センター(Centro Nacional de Acción Social por la Música)」という名前がついています。ベネズエラでは、音楽活動はもはや社会活動なのです。

「Tocar y Luchar(奏でよ、そして闘え)」 
エル・システマのスローガンを胸に、子どもたちは今日も奏で続けています。いつか、エル・システマと「明子さんのピアノ」「パルチコフさんのバイオリン」の共演があったらいいな、と遠い夢を抱いています。
モンタルバン音楽練習所の子どもたちと