2019/06/11 16:01

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シューレ大学学生の豊雅俊といます。この度「生き方を創るイベント」をやりたい。という思いは、より多くの僕たちと同じように生き方を創りたいと思っている人達とつながりたいから、という思いからです。

まずは自己紹介として、「生きたいように生きたい!~不登校からフリースクールに出会うまで編~」を書きたいと思います。

 

 僕は中学一年の二学期から不登校になりました。なぜ不登校になったのか? 実は今でもはっきりと言葉にすることが出来ません。 ただ、当時の僕は学校へ通う事がとても苦しく、中学校に上がってからは上下関係や校則がとても厳しくなり、学校の中にいる間とても緊張していたことを覚えています。部活動も運動部に入り、夏休みも休みなく練習が続いていくことにとても疲れていきました。そんな緊張と疲れで考える事が出来なくなったある日、部活の練習開始時間を間違えてしまい。練習中の皆の前で、顧問の先生に叱責されたことを覚えています。その時にとても惨めで、自分は醜く馬鹿でどうしようもない存在なんだ。という思いが、肌に染み込んでいくようでした。

その後、身体が中学校へ行くことを拒むかのように胃腸炎になりました。病気になり学校に行かないことは許されましたが、病気が治るとまた学校へ行くことを親からプレッシャーとして受けます、しかし、僕の気持ちはもう学校へ向かう事は出来ずに、家の中に居場所が無くなった僕は家出をしました。

学校へ行くことが出来なくなった僕は、家出をしました。しかし、行くあては何処にもなく、夜中になって親に見つかり「そんなに学校に行きたくないのなら行かなくてもいい」と言われ、その言葉にとても気が楽なったのを覚えています。その後は昼夜逆転の引きこもりを経験し、中学三年に上がって、高校進学なども進められましたが、どうしても学校の中に戻る気にはなりませんでした。その時は言葉にすることも出来ないくらい淡い希望、夢想のようでしたが、もっと心躍るように生きたいと思っていました。でも、とても実現は出来ないだろうなと一瞬で掻き消える思いでもありました。その当時1997年ごろ、世間では「不登校」というワードが連日のようにテレビで流れていました。自分も不登校なんだな、と思いながら、一体どうやって僕は働き食べていくのだろう、と毎日考えていました。 就職、とても出来そうにない。ああ、今は学校や仕事ではなく、同じような境遇の考えや近しい人と話したい何かした。そんな思が募っていく中、僕は新聞を隅々まで読んで「不登校」「フリースクール」と言う単語に目を光らせていました。テレビ番組のラテ欄に「不登校」「フリースクール」という言葉が入っている番組は何でも見ていました。そんな時、新聞に「不登校新聞創刊される」というとても小さな記事を見つけ、これだ!と思い、親に購読をお願いしたのでした―

次回 「生きたいように生きたい!~シューレ大学:自分から始まる生き方を模索する編~」