2019/08/18 09:33

しあわせなみだ理事の千谷です。
私たちしあわせなみだは現在障害児者に対する性暴力をもっと認識してもらうため活動しています。

はじめに、私たちしあわせなみだが目指しているのは「性暴力を無くすこと」であり、「障害者に対する性暴力を認識してもらうこと」はあくまで通過点だと考えています。
世の中から性暴力をなくす上で、「障害者に対する性暴力」この道は必ず通らないといけないものです。

私の考えるその理由は2つあります。
1つ目 
性暴力はただ単に「女性」がターゲットになるものではなく、社会的弱者が被害者となりやすいものであることを認識することで性暴力の恐ろしさがわかるから。
性暴力は長く女性が受けるものだと認識されてきました。そして被害を受けた側にも非があるという風潮があります。
しかし、性暴力の被害者は女性だけでなく、男性もいます。どのような人が被害に遭っているかを紐解くために性別だけでなく他の属性でも考えてみましょう。
そうすると親から子どもに対する性暴力、教師から生徒、上司から部下、そして施設職員から障害者など、社会的に弱者となる構造的な力関係の中で性暴力に遭っていることが分かります。
性暴力は社会的弱者に対して振りかざされる暴力のひとつとして、相手を征服するための武器として、用いられていることは戦争や虐殺など歴史が教えてくれるところです。
性暴力は深くその人を傷つけ、社会との関係を断絶される人もいます。そうなると人間らしい生活をおくることが困難になることだってあります。

障害者は多くの場面で社会的弱者となりやすい存在です。

つまり障害者は性暴力にも遭いやすい存在です。これは国際的に調査でも広く知られており、しあわせなみだの調査でも明らかになりました。
これまでそれを「しょうがない」と考える人が多かったのか、障害者に対する性暴力は社会に認知されてないように感じます。
しかしほんとにそれでいいのでしょうか。上記の言葉をよく考えてみてください。
仮にそれを「しょうがない」と考える人がいるのであれば、周りの人は「そんなことない」と共に生きる姿勢を示すべきであり、困っている人のために福祉や制度が1番に寄り添ってくれるような社会で生きたいと思いませんか。

2つ目は
私は「性暴力のない社会」これは、「障害のない社会」ということができると思います。
私はこれまでの経験上、性暴力について考えてもらうことに抵抗がある人でも障害については考えることができると思っています。
性暴力について考えることに抵抗を感じる理由は大きくこの2つといえると思います。
性暴力は自分の身に起きて欲しくないことで考えたくないということ。
これまで身近に感じたことがないこと。

それに比べて障害については公共の施設を利用していれば、障害者を見かけたことがある人も多いと思います。また、自分とはまったく関係のないことと思っているため考えるとができるという人もいると思います。
そのため、なにを感じたかは別にして障害について考えることができると感じました。

話は変わりますが、
障害者は障害の特性上ハンディキャップを背負っているから性暴力に遭いやすいことがしあわせなみだの調査で分かりました。
ぼんやりとそのことは想像できると思います。
では、そのハンディキャップはどの段階で背負ったものなのでしょうか?

それは社会で生きていくなかで段々と積み重なったものです。
「生まれた時」と考える人もいるかもしれません。
それは大きな勘違いです。
医学的に障害と言われるものが定義されている場合、身体機能や発達段階での遅れなどがいわれることが多いですが、それは社会がつくりだした「普通」との違いであり、
「普通」の基準が違う世界に生まれていればその人はハンディキャップを背負うことはありません。
生まれた時ではなく、生まれてから出会う人や環境によって段々とハンディキャップを背負わされていくものだと思います。
つまり障害をつくりだすのは社会であり、「普通」との違いにより障害者がうまれるのです。
性暴力の被害に遭うと今後の生活に大きなハンディキャップを背負うことになります。
また、しあわせなみだの調査で、障害の特性により褒められた経験のない人が言葉巧みに拐かされ、傷つけられることで更に自尊心が低下してしまうというような連鎖が生まれることがわかりました。
皆さん誰かに怒られて委縮してしまい、その後もたじたじだった経験はありませんか?
程度の差はあれ、これは障害をつくられたといえます。
人によっては「そういう性格だから」と自分の欠点と認める人もいるかもしれませんが、その性格を足かせとしたのは紛れもなく「怒られた」という経験です。
「障害」とはなにかを考えた時、誰でも障害をつくる側にも障害をうける側にもなる存在であることが分かると思います。

話を戻します。
障害は自分とはまったく関係ないと思っていても実はとても関係の深いものだったりすると思うんです。
「障害」は他人事ではなく、誰にとっても我が事であるといえます。
障害をつくりだしている社会の一員であるということはこれからそれに「おかしい」と言うことのできる存在であるということでもあります。
同じように性暴力も他人事ではありません。できることなら自分や周囲の人が被害に遭うことは考えたくありません。
しかし、障害と同じように下手すると知らないうちにする側、される側になっている可能性があるかもしれないのが性暴力です。
先に述べた社会的弱者に対して性暴力は振りかざされるということを今一度考えて頂ければそのことが分かると思います。知らず知らずのうちに「性」が凶器となっていることがあるのです。
私は「障害」と「性暴力」は類似するところもあるし密接な関係性であると思っています。

性が障壁と感じない社会。

「性暴力のない社会」これはつまりある意味「障害のない社会」ということができると思います。

じつは私もこの活動を始めるまでは「障害者が性暴力に遭いやすいこと」「性暴力に遭いやすい環境におかれている障害者が多い」ことを知りませんでした。
もちろん、「障害者だから」性暴力に苦しめられている人がいるなんて思いもしませんでした。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
テレビなどで報道されることもほとんどないこのような問題、しあわせなみだの活動に少しでも興味をもって頂き本当にありがとうございます。
できれば知りたくなかったという人もいると思います。
その気持ちの裏で苦しんでいる人がいることを忘れないでいてくれれば、これからこのようなことに関わらないで済む社会を実現できるかもしれません。
そのために私たちの活動にお力をお貸し頂ければ幸いです。

日本には身体障害児者は436万人、知的障害児者は108万人、精神障害児者は392万4千人いると言われています。合計936万4千人。(参考資料 障害者の状況 平成30年版障害者白書 内閣府)
複数の障害を併せ持つ人もいるため単純な合計にはなりませんが、日本国民のおよそ7.4%がなんらかの障害を有していることになります。
国民の7.4%ときくと少なく感じるかもしれませんが、日本で2番目に人口の多い神奈川県の人口917万9835人とほとんど同じと考えるとその数を無視してはいけないことがわかると思います。

私たちは「障害者だから性暴力をはたらいてもいい」と考えている人を絶対にゆるしません。
そして、性暴力のない社会の実現を目指します!