2019/10/31 03:31

私たちが山谷に出会うきっかけとなった方、山友会の油井さんにお話を聞いてきました!(全2回)

毎年私たちに協力してくださっている油井さんですが、どんな思いでバラエティロードに関わってくださってるのでしょうか?


◆山友会とは?

山谷地域で、社会的に孤立していることなどで生活困窮状態にある人たちの支援活動を行っています。具体的には、無料診療所の運営、生活相談、地域生活の見守り、炊き出し・アウトリーチ(路上生活をされている方への訪問活動)、事務所へ来所した方への昼食の提供、ケア付き宿泊施設の運営を行っています。

また、支援を通して関わりをもった方たちが、地域の中で孤立せずに自分の存在を認められる居場所と、自身の生きがいとなるような社会的な役割を手にすることを目的に、主体的かつ持続的に参加できる居場所づくりや生きがいづくりをサポートする「居場所・生きがいづくりプロジェクト」を行っています。

さらに、活動を通して関わりのあった方の多くは身寄りがなく、いわゆる無縁仏となってしまうことから、亡くなった後もつながりが途絶えないようにと、関わりがあった方のためのお墓を運営しています。


ほかにも、「山谷・アート・プロジェクト」という、山谷や路上で暮らしている方が、自身の身の回りのこと、そして暮らしている街を写真で記録する取り組みを行っています。この取り組みは、アート(写真)という手法で自身を表現し、変わりゆく東京、そして山谷という街を記録して残し、幅広い世代に伝えることを目的にしています。そして、プロジェクトに参加している方たちは、写真というアート活動を通して、社会とのつながりを感じることができます。

このように、路上生活をされている方など社会的に孤立した方たちに幅広い支援活動を通して、つながりとコミュニティをつくっています。


◆山友会からみた「バラエティロード」はどういう場?

谷中のおかっての方からじんじんさんの野点を山谷でやりたいと相談されたことがきっかけで、この企画が始まったんですよね。最初は、「うまくいくのかな…」と心配だったり、僕自身もアートに詳しいわけではないので「これって何か意味があるのかな…」と思っていたりしました。でも、じんじんさんと会ったり、谷中のおかっての皆さんとも会って話を聞いていくうちに「面白そうだな」と感じるようになりました。他人に危害を与えるわけでもないですし(笑)。


はじめて山谷で野点をやったときは、山友会の活動を手伝ってくれるおじさん※に声をかけたら何人かが手伝ってくれました。ほかにも「ちょっと顔出してみようかな」という方もいました。

※おじさん…山友会を訪れる年配の路上生活者の方や元ホームレスの方のことを、山友会では親しみを込めて「おじさん」と呼んでいる。


本番の日にも、じんじんさんが路肩でドラァグクイーンの恰好をして、お茶をたてたり、お茶碗を焼いてたりするのを通りがかりに見かけた知り合いのおじさんも「何やってるの?」と、顔を出してくれました。それに、手伝ってくれたおじさんたちが、お茶碗を洗ったりとか、交通整理をしたりとか、それぞれに役割をもって活躍している姿を見て、普段山友会で見ている姿とはまた別の生き生きした表情があるのに気付きました。

こうして普段とは違った形で活躍できる場や、野点に集まった人たちとつながれる場があるのはいいなと思って、翌年からは「バラエティロード山谷」として、一緒に企画段階から関わるようになりました。


谷中のおかってさんやじんじんさんという、この町の日常にいない人がやってきて、一緒にこのイベントを行うことで、普段は起きないことが起きたり、つながりを持つ機会がない人がつながったりすることがあると思っています。そして、それをこの町の人と一緒にやるおことができたら、きっと面白いだろうなと思ったんです。

山友会の活動に協力してくれているおじさんたちと一緒にやることで、その友達や知り合いのおじさんたちも、バラエティロードに訪れてくれるかもしれないし、ひょっとすると一緒に手伝ってくれるのかもしれない。

それに、バラエティロードは山友会と関係のある人たちだけが集まるわけじゃないですよね。僕らが中心になってやってしまうと、山友会と関係のあるおじさんたち、つまりホームレス状態にある方やそれを経験してきた方、そして山友会の活動に協力してくれるボランティアさんや、ホームレス問題の最中におかれた方やそれに関心のある方の密度が高い集まりになると思うんですよね。それはそれで、意味があることかもしれないけれど、山友会の日常の連続でしかないし、語弊があるかもしれないけれど、何だか閉ざされてしまって、多様なつながりが生まれない気がして。


じんじんさん、谷中のおかっての人たちという非日常の存在が中心となってくれることで、その関係の人たちも集まる、そして、バラエティロードに何気なく立ち寄った地域の方たちも集まることで、新しい交流が生まれる。そうなったらいいなって思って。

それで、実際に野点やバラエティロードをやってみたら、子供連れの人が来てくれて、その子供をおじさんがあやしてたり、文化出見世に人形づくりや自作の射的を出展したおじさんが子供と一緒に遊んでたり。子供でなくとも、おじさん達が自分たちで考えて準備して出展したものに対して「これ何?」「どうやって作ったの?」というように関心を持ってくれた人と会話がはじまるですよね。こうして、おじさんたちの人間関係に彩りが加えられることが起きているのかなと思います。


◆油井さんから見た「バラエディロード」の魅力は?

多くの人たちにとっては、家族という「血縁」のほかに、同じ地域に住んでいることをきっかけにしたつながりである「地縁」、同じ仕事をしている、同じ職場であることをきっかけにしたつながりである「社縁」というのが、日常の暮らしのあるつながりやコミュニティなのだと思いますが、バラエディロードをきっかけに生まれるつながりは、そのどれにも拠らないつながり方ですよね。

血縁も、地縁も、社縁も自分の存在が証明されるような強力な帰属意識を与えてくれたり、ときにその縁をきっかけにしたつながりの中で支え合う力を発動させてくれたりしますが、その反面、何かの事情で誰かを傷つけてしまったり、排除してしまったりする力が働いてしまうことや、時には、人によっては窮屈に、憂鬱に感じてしまうようなしがらみが存在することもあります。


だからこそ、日常に密接に存在する血縁や地縁、社縁に捉われない多様なつながりの形があることが大切だと思っています。とくに、地域で孤立しがちな方は、血縁、地縁、社縁からさまざまな事情で遠ざかってしまった方が多いわけじゃないですか。そうした方にとっては、人とのつながりを感じられるきっかけになるのかもしれないし、それをきっかけに何かのコミュニティに参加できて、困ったときに誰かに助けを求めることができるようになるのかもしれない。

そう考えると、社会から孤立した方々のことを考える私たちにとっても、バラエディロードの生み出す多様なつながりの形は、本当に魅力的だし、可能性を感じますよね。


私たちも、血縁、地縁、社縁という代表的なつながりの形やコミュニティにとらわれないつながりやコミュニティをつくろうと取り組んでいますが、活動上、「困ったときに支援をする」ことがそのきっかけになることが多いことから逃れるのは難しくなってしまいます。

それはそれで、社会から孤立した方々にとってのつながりやコミュニティのあり方の一つではあるんでしょうし、誰かとの関係において「支援する/支援される」関係が瞬間的に訪れるのは悪いことではないとは思うんですけどね。

でも、どうしても同じような苦労を経験した方々が多いという、同質性が強いコミュニティになりがちだったり、それがその人の日常の中でのウェイトが大きかったりするのは、「誰かに助けてもらっている」という負い目のようなものを日常的に意識させてしまって、あまり健全ではないと思うんですよね。

その意味で、孤立した状況から支援につながった方にとっても、この負い目から少しでも自由になるきっかけになるのかもしれないなと思っています。