2019/12/21 08:13

昨日、娘 利奈が通っておりました、塩釜第二中央幼稚園様に今回の私共がチャレンジしております

プロジェクトのご協力をお願いしてまいりました沢山の
皆様に知って頂けるようと園長先生にポスターの掲示やチラシの配布などの
ご協力を頂きました!ありがとうございます!

写真は娘と園長先生です。

 

ここからは長文となりますが、今回プロジェクトにチャレンジしようと思った気持ちを

綴ってみました、プロジェクト本文に書いていない部分もございます是非

ご一読いただければ幸いです。

私(貴麿)は福島県にて、1985年より実弟利麿と大橋兄弟として30年以上日本舞踊タレントとしての活動をしておりました

デビュー後は宮城県仙台市にございました、宮城企画にて宮城新市さんと宮城岩手 福島の3県を 宮城新市さんの公演の前座として毎週末一緒に回らせて頂いておりました。
又その後はみちのく一人旅の作曲家三島大輔先生に師事しキングレコードより、

明日は明日の幕が開くを発売し各地で舞踊歌謡ショーの公演を行って参りましたが、
2008年に実弟利麿が癌のため入院治療をする事となり急遽代役として
娘大橋利奈が1週間の稽古の後ステージに立つ事となりました元々私は娘に芸能活動を

させる気持ちはありませんでしたが突然のステージ降板により、2週間後に控えていた公演が出来なくなる、そんな時まだ3歳だった娘に、一緒に踊ってくれるか聞いたのが
娘利奈が芸能活動をする事にになる切っ掛けでした今後、弟との活動が再開できるのかも

解らない不安もあり、先の事を考えたとは言え3歳の娘に舞台に立つ事を決めさせるのは

苦渋の決断でした。
しかし、当時私が公演活動の他に舞踊教室をしており父親のステージで踊る姿もそうですがお弟子さんのお稽古や、日本舞踊を毎日のように教室の手伝いをしていた家内と共に見ていた娘としては踊るという事にあまり抵抗は無かったのかもしれず、出演をすると言ってくれました
公演を重ねるにつれ、皆での話し合いの結果利麿の復帰を機に正式娘もに大橋兄弟の一員となり活動を開始いたしました

2010 年には妻である直美の祖母の介護の為妻直美の実家である塩釜市に家族で移住し、福島県と宮城県を行き来しながらその後も公演活動は続けておりましたが
2011年に私共も東日本大震災で被災しその後2017年に弟と自分たちの公演に関する考えや、家族の在り方将来への考え方の違いなどから私(貴麿)は一時廃業も考えましたが妻と娘に相談した所、二人は今後も活動を続けたい、見に来てくれるお客様を笑顔にし
たい それと震災時にお世話になった方々にも恩返しの気持ちを込めて活動したいと言ってくれました、その時に私も今までのように只踊るだけではなく
今まで以上に親子の絆でお客様に笑顔と感動をお届けする舞台を作りたいと思い、大橋兄弟より独立をし現在チャリティーショーや地域の敬老会などの
出演デイサービスセンターや老人福祉施設での公演などを中心に、オフィスTRを立ち上げ貴麿と大橋利奈二人で活動しております。
今年6月には娘が少年の主張塩竈大会の塩釜第三中学校の代表に選ばれ6月
12 日に作文を発表する事となり、その内容を聞いたところ
「私は私」という題名で自分の仕事と学校生活の中での思いや将来に向けての気持ちを綴り、発表致しましたその中には家族のこと、最初は私(貴麿)がそうだった様に友達に活動を知られることの恥ずかしさから先生以外には活動の事を言っておらず
仕事の為に稀に学校を休まねばならなかった時に友達から理由を聞かれ幼稚園の時には友達に仕事という事を信じてもらえず苦痛だった事など仕事を続けていけるのだろうかなど

色々な思いが書いてありました、只その中で最後にこれからも
学校も部活も仕事も全力で頑張って行きたいと書いてあり今回初めて同級生や友達にも自分の活動を知って貰いたいと言う気持ちになったとの事です。

今回、娘の気持ちに触れ私は震災以前に宮城新市さんと被災3県を公演して回っていたこと
自分たちも福島県と宮城県で被災し、沢山の皆様にお世話になったことから、あらためて復興支援公演として3県を無料公演して被災された皆様の元へ
伺いたいと思いました、その中で舞踊だけではなく歌と舞踊両方のステージを見て聴いて頂きたいと思い、過去に宮城新市さんが歌われていた曲や
三島大輔先生に作って頂いた、オリジナル曲明日は明日の幕が開くのセルフカバー、その歌を持って、復興住宅に住まわれているお年寄り又家族の方々や被災地の皆様に少しでも楽しんで頂ければと思っております。