2020/01/15 16:24

なぜ福島を記録しようと決意したのか、制作背景を複数回に渡りご紹介します。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災の翌日、豊田と野田は福島に入った。

そして翌朝、福島第一原発から約4キロの双葉町で、持参した放射線測定器が測定限界の毎時1000マイクロシーベルトを超えるという現実に直面した。

そのとき「これは、1000年後の歴史の教科書にも記載される事態のまっただ中にいるのだ」と、漠然とではあるが、そう直感し、「ともかく目の前の現実を記録しよう」と思った。

しかし、事態は思わぬ方向に動いていた。

本来なら国によって避難指示が発令されるべき高濃度の放射能に汚染された飯舘村に、村民は何も知らされるずに取り残されていたのだ。


監督:豊田直巳