2020/03/20 08:10

応援コメント9人目は、サイクリスト今野 庸さんです。
うちの店においでいただく時は、ほとんど自転車。
いつも笑顔の今野さん、会うたびこちらが元気をもらっていました。台風被害に遭った当店、最初の泥出しから終わりの干し柿作りの作業まで、何度も何度も復旧作業のお手伝いをいただきました。
今野さんに感謝です。ありがとうございます。


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やしまやさんは私達サイクリストのオアシスです。

  1952年9月5日 東京日本橋生まれ 現在67歳 男ばかりの6人兄弟の末っ子 兄3人が ハンドメイドサイクルのフレームビルダーです。長男 CHERUBIM号(旧約聖書に出てくる天使の名前ケルビム) 次男 3RENSHO号(三連勝とよむ) 4男 MIYUKI号(三幸:三つの幸福の意味) 現在も活動を続けているのはCHERUBIM号のみ 長男は他界しており、現在は甥っ子の 今野真一が引継ぎ 有名競輪選手にもフレームを提供しています もちろん私の沢山の自転車もほとんど「CHERUBIM号」です。

やしまやさんとのご縁  東京の理科教師から宮城県へ

 私は2011年大震災の時、東京の浅草中学校で理科教師をしていました。東京都は福島・宮城・岩手の3県に、他県に先立ち、ゴールデンウィーク明けの5月9日、100人の教員を救援派遣しました。私はその中の一人で、宮城県山元町の山下中学校に派遣されました。東京都で借り上げた白石駅近くのアパートで宮城県の生活が始まりました。 私は若い頃、国体にも出場したことのある、長距離選手でした。引退後もサイクリングを楽しむ人生でした。当然、引っ越し荷物の中に自転車が3台ありました。 

 白石のアパートから日曜日には、自転車で角田を越えて山下中学校に出勤しました。当時の教頭先生が白石に帰るんだったらいいコースを教えてあげると、地図をコピーし、貼り合わせて紹介されたコースが、丸森から阿武隈川を北上し、やしまやさんの手前で県道24号線に入り、峠を越えて白石蔵王駅に出るものでした。初めて走った阿武隈川沿いの国道349号線。すぐに気に入りました。その後、大河原でお世話になっている、鬼平ラーメンの御主人に会いに行くのに、わざわざ349号線を通り、福島に出て、4号線を北上しました。宮城県の生活が始まって最初に知ったサイクリングコースがやしまやさんの前の道(349号線)だったのです。 

 2012年、一度東京に戻り、定年までの残り1年を浅草中学校で終えました。定年後は自転車を持ってフランスへと思っていたのですが、宮城県から宮城県で働かないか?とお誘いがあり、今に至っております。

 現在は名取在住で岩沼西中学校で常勤講師をしています。 349号線を通る時は必ずやしまやさんによります。哲郎さんだけでなく、奥様やお母様ともすっかり顔なじみなりました。 自転車でやしまやさんに行き、美味しい賄い飯をさかなに、しこたま飲んで、阿武隈駅まで自転車をひいて輪行で帰ったことも何度かあります。現在は名取在住ですが、やしまやさんを遠く感じたことはありません。 

やしまやさんへの応援メッセージ 

 サイクリスト、実は道が好きなんです。自転車に乗れればどんな道でもいいってもんではありません。若い頃自分でもわからなかったのです。選手だった頃は速く走るのが目的でした。でも引退し歳をとっても自転車からおりません。20年近く前、渋谷で自主上映の「ツールドフランス」のドキュメンタリー映画をみました。副題に「道のとりこ」とありました。はっと気がつきました。そうか、私は「道が好きだったんだ」とわかりました。宮城県で最初に出会った国道349号線は私にとって特別な道です。そして、そこにある「いなか道の駅やしまや」は私のかけがえのない居場所なのです。

 去年10月の豪雨のあと、連絡が取れない中、自転車仲間が白石市大鷹沢(おおたかさわ)側から阿武隈川沿いのやしまやさんに下りるルート(唯一)を確認。みんなで駆けつけ泥かきをしました。みんな笑顔で作業をしました。とにかくみんな明るいのです。やしまやさんはそういう場所なんです。何度も水害に遭われている。何度も立ち上がり、今回、最も過酷な水害でしたが、立ち直り、また私たちを笑顔で迎えてくれます。 丸森は数年前からサイクリストを応援してくれる街になりました。阿武急が自転車をそのまま持ち込めるサイクルトレインになった直後に豪雨がありました。これから、またサイクリストの街として復活するには、やしまやさんの元気なくしてはあり得ません。サイクリストはみなあのウッドデッキが大好きです。リニューアルされたウッドデッキに座ることを心待ちしています。一人でも多くの人に応援をしてもらいたいです。

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昨年、4号線と6号線全線走破、
日本橋折り返し時の写真です。

今野さん、今後ともよろしくお願いいたします。 八島哲郎