富士川町役場の担当課は、都市整備課でした。
ソーラーパネル建設にあたって事業者は必要書類を提出し、不備がなければ町に受理される。ただ、それだけです。
担当課は、書類の不備がないか確認し、出されたものは受理します。
土砂災害警戒区域でも?町の景観計画に入っている地域でも?
受理します。許可とは違います。受理です。
認めたわけではありません。受け取っただけです。
町は、自分の仕事を滞りなく遂行しただけです。
結果、住民の暮らしが変わってしまうとしても、住民にどれだけ不安があっても、ソーラーパネルができることに変わりがないのに。
その言葉の違いがわたしたち町民には理解できません。理解はできますが、納得できませんでした。
「景観に配慮してくださいね」とは言ってくれます。しかし、強制力はありません。
ソーラーパネルを作ってはいけないという規則がないからということを理由に「町に責任はない」そう言っているように聞こえます。
議員さんが、わたしの目の前で役場に電話してくれました。
電話口の職員さんは言いました。
議「平林に予定されているソーラーパネルはどうなのですか?」
町「問題はないです」
議「じゃ、あなたの家の前にできたらどう思う?」
町「それはちょっと....」
平林は、観光三筋と言って「穂積地区」「十谷地区」とともに、自然が残る美しい中山間地域として観光パンフレットも作られています。そこに、景観を壊すものの設置を受理せざるを得ない現状。
責任者不在の社会。
資本主義経済に飲み込まれて行く美しい自然環境。
町は、税金を払っているのは住民なのに、神奈川の事業者の事業側にいると感じずにはいられませんでした。
相談した大学の先生からは「あなたの町の職員は、地元に対する愛がないようですね。」というお返事をいただきました。
区長さんは「町が決めたんだからどうしようもない」という対応でした。
元県の職員さんも同じでした。
「受理されているなら、もうひっくり返らないよ」
「じゃ、平林にソーラーパネルができてもいいんですね?」
「よくはないけど、止めることは無理でしょう」
わたしは、東日本大震災の原発事故の時には茨城県つくば市に住んでいました。事故直後は、空気中のヨウ素が通常の200倍にもなり、テレビでは「健康に問題はありません」のアナウンスが流され続けました。しかし、研究機関がたくさんあるつくば市からは、人が消えました。研究者は、健康に問題ないとは思っていなかったのでしょう。わたしたち家族も、親戚のあった九州へ一時避難しました。
福島では、自分の故郷に住めなくなってしまったたくさんの人たちがいます。
この経験を通じて「国は国民を守ってくれない」ということを知りました。経済のためなら、人の命を簡単に切り捨てるということを見せつけられました。
だれかの利益のために、だれかが犠牲になる社会はもうやめたい。
そういう社会を、未来の子どもたちに手渡したくない。
「国や町はあてにならない、ソーラーパネルは自分たちの手で止めるしかないんだよ。」
わたしたちは、チーム内でお互いにそう強く言い聞かせました。
つづく
もくじ
~プロローグ~はじまりの日
Episode1 二人だけのミーティング
Episode2 神様からの届け物
Episode3 防災に絶対はない
Episode4 地元民がやるしかない
Episode5 そこに愛はあるのか?