2021/12/15 15:28
受験中に起きたクーデター

クーデター当日、僕はミャンマーからドイツの大学に出願をする予定でした。ネットが遮断されると聞き、困惑しました。アウンサンスーチーさんが早朝に拘束されたと聞いて、何が起こったのか、最初はよくわかりませんでした。

その日はなんとか出願ができたものの、度重なる通信遮断により授業や試験に支障が出て、米英の先生方の多くが帰国を始め、厳しい時差の中でオンライン授業をすることになりました。一緒にドイツ語を学んでいたミャンマーの友達が「ネットが繋がらず参加できない」「デモに行ってくるから、授業を休みます」と言うことが、次第に増えていきました。

そして3月の末、後ろ髪を引かれる思いと、どんどん深刻になるヤンゴンの状況に不安を感じながら、卒業を待たず、日本に帰国しました。

シャン州の子どもたちとあやとりをする僕とにかく生きるための支援

当時、コロナで疲弊した経済状況の中過ごしてきた人々が、抗議活動によってますます貧困化していきました。ヤンゴンなどの都市部では野菜が高騰し、地方では作物の価格は大暴落しました。それでも彼らは抗議活動をやめようとはしませんでした。それは未来を、希望を、失うことだからです。

日本でもクラウドファンディングによる資金調達があり、貧困世帯への食料支援が始まっていま した。とにかく生きる。そのためには食べなくてはいけない。だから食糧支援はもっとも大切だと思います。

でも、僕には気になることがありました。僕は学習障害があり、公教育、高校受験、さまざまな状況下で、普通の生徒と同じように学び進学することができませんでした。いつ自分の学びが閉ざされてしまうのか、と常に不安を感じていました。だから、ミャンマーの子どもたちの学びが奪われていることに対して、危機感を感じていました。

ミャンマーを発つ前、ミャンマー人の先生に、勉強道具、洋服、日本語の教科書など、さまざまな物資をお渡ししました。子どもたちに少しでも日常に楽しさを感じて欲しくて、ピアニカ、リコーダー、ぬいぐるみなども渡しました。

そして僕は一番気になっていたことを聞いてみました。

「ヤンゴンの子どもたちの学校は始まりましたか?コロナでずっと休校や、オンラインの授業が 続いていて、学びが止まっていますよね」

すると先生は言いました。「軍はもうすぐ学校を再開すると言っていますが、親たちは子どもを学校に通わせないと言っています。軍政下で、親は子どもを学ばせたくない」

子どもたちに学びの継続を

それを聞いてハッとしました。確かに、軍事政権下での学びは、偏向教育の可能性が否めない。子どもを人質に取られる危険性もある。先生はクーデター以前から、過去のミャンマーの教育(極端な暗記教育、自らの考えを育てない教育など)を問題視していました。逆に学校に通うことで、CDM(市民的不服従運動)に参加する人々から非難される場合もあると聞きました。

都市部のヤンゴンでは、進学率も上がってきましたが、まだ児童労働の問題があり、高校を卒業できる子どもの割合も低く、職業の多様性もありません。先進医療や高度な科学を勉強するためには、英語を学ぶ必要もあります。

近年、日本のJICAの協力を得て、教科書が変わり、ネットの普及で世界を知るようになり、ミャンマーの若者の意識は大きく変わりつつありました。

僕たちがヤンゴンに住んでいる間、ショッピングセンターが続々と建設され、スーパーマーケッ トで売られる商品の品質が改善され、お洒落なカフェやレストランがどんどん増えていました。環状線の古い線路は新しく張り替えられ、近い将来、日本の鉄道が走る準備が始まっていました。かるたの写真を撮っていた2019~2020年頃の様子

新型コロナの厳しい自粛政策の下、感染者数が減り、経済活動と学校の再開を心待ちにしていた矢先、クーデターが起きたのです。

僕は日本人です。ミャンマーに住んでいても、病気になれば日本で先進医療を受けることができます。ミャンマーでクーデターが起きれば、日本に帰国して、日本の教育を受けることができます。僕は学習障害があっても、インター卒業後、オランダの大学に進学しました。

僕たちと同世代の若者は、もしかしたら海外進学が決まっていたかもしれない。夢の実現のために、勉強したいことがあったかもしれない。クーデターによって起きた経済的な問題、ビザの取得問題、学校の長い休校や親の考えによる不登校。それらは、子どもたちから未来を奪っているのではないか。そう考えた時、何かしなくてはいけないと思ったのです。

政変によって奪われるのは、目の前の命だけではありません。子どもたちの学びを奪うことは、個人と国の未来を奪うことです。

(野中宏太郎)8/18のFBの記事