2022/08/21 18:30

プロジェクト終了まで、あと10日となりました。
強気で掲げたネクストゴール600万円までは、まだまだ遠い道のりです。
それでも、より多くの留学生とその家族の生活を守るために、諦めるわけにはいきません。

本日は、家族を本国に残さざるを得なかった元留学生のストーリーをお届けします。
皆さまの引き続きの応援、どうぞよろしくお願い申し上げます。

『2021年を境に、一変した私の人生』

私は農業を専門に学び、10年ほどその分野で政府関連の仕事をしていた者です。時には現場で、時には管理職として様々なプロジェクトに携わってきました。

日本での学びと母国への還元

10年ほど前に日本側から、農村開発と女性参画について学ぶ短期フェローシップの機会をいただきました。このときから私は日本の文化や教育水準・方法などに強く興味を持つようになりました。私はいつも日本に本格的に渡航して、この国でより深い学びを得たいと思っていました。するとなんとその後その夢が叶い、日本に再び訪れて学位を取得することができたのです。
修了後はアフガニスタンに帰り、「母国の発展のために尽くす」というモチベーションを高めながら元々所属していた組織に戻りました。大学での研究のみならず、日本の社会やそこでの生活そのものから学んだ知識と経験を基に、私は母国の農業従事者の生活と経済状況を良くしていこうと決めました。実際に同僚と働く中で、私たちは国家レベルのプロジェクトの予算を獲得し、実践し、成果を出すことができるようになっていきました。そこには常に皆の明るい意欲が溢れていました。

留学生時代の美しい日々

夢の頓挫、悪化する状況

しかし2021年8月、この皆の夢、この意欲は失われてしまいました。プロジェクトの心配をする生活の代わりにやってきたのは、自分たちの命を心配せねばならない生活でした。2021年8月15日以降、アフガニスタン情勢は世界中でメディアの見出しに躍り出るようになり、多くの人々がかつて働いたり留学した他の国へ逃れざるを得なくなっていったことは記憶に新しいと思います。私たちはつながりのあったJICAや日本政府からの救いの手を探すようになり、私を含めかつての留学生たちはそれぞれの先生に連絡を取り、対応を模索しました。
私の先生は状況を非常に心配してくださりました、というのも最初の頃タリバンは政府関連職員に対して、不当かつ予測できない対応をとる恐れがあったからです。命すら危険にさらされていました。最初は1ヶ月以上外には出られず、家に隠れていました。次第にタリバンは政府職員や軍関係者に「恩赦」を言い渡す、と宣伝するようになりましたが、その通りになったとは言えません。実際にはそういった人々は理由もなく逮捕されたり、殺されることが多かったのです。特にハザラ系の人は迫害を受けやすい傾向にありました。今でも、ハザラ系の人々の住む地域には理由もなく爆撃や攻撃が常態的に行われ、多くの命が失われています。

身に迫る危機と家族の絆

この情勢の中、私の先生は日本に来るための在留資格取得のために尽力してくださいました。数ヶ月かけて、在留資格が出てパスポートも取得できました。
そんなある日、タリバンにコネがある知り合いが電話してきました。「タリバンの逮捕予定者リストに名前が載っている」というのです。初め私は家族にこのことを隠そうとしましたが、それはよくないと思い直しました。私の家族が頼っているのは私以外にはいなかったのです。もしタリバンが私を逮捕したり殺害したら、私を失った家族はどんな目に遭うのでしょうか。この混沌の中で、一体誰が私の子どもたちのためにお金を稼ぎ、世話をしてくれるのでしょうか。家族みんなに事実を伝えると、「アフガニスタンからできる限り早く離れてほしい」と言われました。家族、子どもたちを置いて去るのは辛い決断です。しかし皆で話す内、私と離れて暮らしが変わっても、きっと乗り越えられるのがこの家族だと気づかされました。遂に私は、先生に連絡を取って日本へ渡る決心をしました。

来日後も続く懸念

先生のアドバイスにより、私は第三国で日本のビザを取得することになりました。そこへ飛ぶために空港へ向かう日、見送る子どもたちの方へ振り返った瞬間を鮮明に覚えています。学校や通り、店やモスクでも爆撃や銃撃が繰り返される中で、この子たちにまた会うことはできるのだろうか、そんな思いを抱きながら見た姿でした。

2022年春に第三国でビザを取得し、日本に来ることができました。先生の支えの下、今は大学の臨時研究員として働いています。しかしかつての留学時代ほど美しい日々ではありません。母国では私たちの家族と同じ民族系の人々への迫害が日に日に強まる中、家族の命と状況を心配し、どうにか日本へ連れてくることができないか模索する日々です。もし来られたとしても、今の収入では日本での家族全員分の生活をまかなうのは難しく、頭を悩ませています。様々な制限がある中、私のように家族も助けたいと考えている人々にとって経済的な壁は非常に高いものとなっています。

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自らの命は助かりましたが、家族の身を案ずる生活を続けているアフガニスタン元留学生は少なくありません。
ネクストゴール達成に向けて、皆さまの引き続きのご支援を、よろしくお願い申し上げます。