2016/10/19 19:53

 前回は、モデルとなったイギリスのプレイデーについてお伝えしました。


 今回はとうきょうプレイデーのオリジナルマスコットキャラクターである「プレイデーマン」について、書こうと思います。

 トップの写真にも登場していて、リターンも含めて、ちょこちょこと見かけていただいているかと思いますが、あの青い服でダンボールの個性的なやつ。実は単なるマスコットキャラクターではなく、大きな役割を担っています。

それは「繋ぐ」こと。

 2013年、渋谷区のこどもの城をメイン会場に、都内23箇所のサテライト会場とともに産声をあげたとうきょうプレイデー。およそ3,000人が東京の各会場で「遊ぶ」を祝いました。初回から児童館、子育て支援施設、冒険遊び場、ゲストハウスなどの多様な会場で、NPO、市民団体、社団・財団、企業などの多様な組織が25も参加したことは、「遊び」の価値を共有できる仲間がこれだけ多くいることを確認できた大きな成果でした。

1年目のメイン会場だったこどもの城

 一方で初回の課題として見えてきたのはプレイデー全体としての一体感でした。メイン会場(言い換えると実行委員会や事務局)と各々のサテライト会場とは、想いの経糸(たていと)で繋がっていたのですが、それは中央から放射状に糸がのびている、あるいはぶら下がっている状態で、面としての一体感は薄かったのです。

 

少しでも一体感を出そうと、サテライト会場では
「布ラッグ(ふらっぐ)」を掲げてもらいました。

 その各々のサテライト会場とを繋ぎ、一体感を生み出す緯糸(よこいと)としての役割をもって生まれたのがプレイデーマンなのです。

 

 2年目の2014年10月1日。
 3体のプレイデーマンが、都内に散らばるサテライト会場を巡りました。

 

 各会場ではプレイデーマンの到着を今か今かと待ち望んでくださり、会場に到着すると色々な意味で(笑)熱い歓迎を受けました。
 特に、日常的に遊び場を開催している会場にあっては、プレイデーマンが訪れることが「とうきょうプレイデー」という「遊びを祝う日」をより意識するきっかけとなったことは間違いありません。プレイデーマンの存在により「とうきょうプレイデー」としての一体感は確実に高まりました。

 

しかし、3体のプレイデーマンでは、1年目よりさらに増えた、都内35箇所のサテライト会場全てを回ることは叶いませんでした。「ギリギリまで待っていたのに」というサテライト会場の方の声が、今でも記憶に残っています。

これからこどもの城に戻るところですが、すでに18時は回っていました。

 

 そして、3年目の2015年・・・・・・後半に続きます。