2019/08/13 12:19

福島第一原子力発電所
「ここから爆発したのを当時見たんだよ。双眼鏡で見たんだけど、しっかり見えた。」と吉沢さんは、蒸し暑い納屋の窓から外を指差しました。指をさした方向のはるか先に小さく原発の建物がちょこんと見えました。その建物の小ささをみると、本当にあんなところから放射線物質がここまで飛んで来たのかと、疑いたくなるくらい遠い距離でした。しかし、紛れも無くここは帰還困難区域になった「放射線物質に汚染された土地」で、そのど真ん中に僕らはいました。窓から見る牛や牧場の草、森の木々、空を飛ぶ鳥たちまで、見た目ではなんらへんてつの無い牧場の風景であり、美しい大自然でした。しかし、その景色すべてか放射線物質で汚染され、目に見えなくてもどこか重々しい空気を含んでいた気がしました。
吉沢さんは原発を見ながら「あの原発に全て持って行かれた。東京の電力は全てと言っていいほど福島の原発や火力発電なんかでまかなっていたんだよ。福島は東京の電力の奴隷だよ。でも、それが事故を起こすと放射能差別で、国は福島や地元のこいつら(牛たち)は切り捨てだよ。復興オリンピックなんて盛り上がっているけど、現状から目をそらしたいだけなんじゃ無いかな。」と仰っていました。



失われた絆。残された希望。
震災後復興に向けて福島で叫ばれ続けて来たキーワードが2つあるそうです。それは「希望」と「絆」という言葉だそうです。東京に住んでいる僕らでもテレビで何度か聞いた言葉です。でも、ここ浪江町は帰還困難区域になり人々がいなくなった場所になった。人がいなくなったからここには絆の力も保てなくなったと吉沢さんは説明してくださいました。
絆が切り離され、残されたのは希望なんだと仰っていました。その希望について日本全土で考えて行かなければならないものであるという想いで「希望の牧場」という名前にしたそうです。なので吉沢さんは「日本中の人たちに、ここに来て考えて欲しい。そのためにここを残していく必要がある」と仰っていました。



僕らの問題
福島第一原発の事故がおき、当時こそ日本中が重たい空気に包まれていたが、今はどうだろうかと考えました。どこか福島を少し危険な地域、震災トラウマのように隔離したイメージ、遠いものとして捉えてはいないだろうか? と思うのです。しかし、福島の原発事故を中心とした問題は、現在進行形でまだ解決されていない問題なのです。現在進行形で被爆し続ける動物(牛)達がいます。帰れない場所があります。除染ができなく、手つかずのまま放置されている森があります。それなのに、国は9基もの原発を再稼働しています。この事実は希望と言えるのでしょうか? もしまた大きな災害がおきこのような事故が起きたら僕らは東日本大震災の痛みから、何かを学べたと言えるのでしょうか? 災害などは予想できる範囲に限りがあります。日本全土で災害がおきる可能性は0ではありません。つまり、今回のこの福島第一原発の事故は単なる福島や東電の事故では無いと思うのです。もちろん原発ができたことで、その土地に増える雇用があります。その土地に入る財源があります。原発によって豊かになるものもあると思います。しかし、そう言ったメリット、デメリットも全て日本全国の事故として他人事ではなく自分のこととして、みんなで考えなければいけないと思います。吉沢さんもそんな覚悟があり、希望の牧場を守り続けているような気がします。
また吉沢さんは『シン・ゴジラ』のように次は東京で震災があるという警鐘もならしつづけています。


希望の牧場に行ってお話を聞くことで、福島におきた事故を自分ごととして捉えることの大切さを感じました。僕らも原発については何も知識がなくほぼ素人です。しかし、被災地を訪れ、いろんな人の話を聞いたり資料館に行ったりして、少しずつ知識や当時の事故の時系列や福島第一原発というものの置かれていた状況をつかめるようになってきました。まだまだ、勉強不足な面もありますが、「難しいし分からない」と投げ出すのではなく書籍などをあたり勉強していかなければいけないと思っています。

最近ではお笑い芸人の中田敦彦さんもyoutubeなどで、わかりやすく動画をアップされています。知識は少し自分が行動すれば手に入る時代になっていると思います。知る努力、話し合う努力を諦めてはいけないのです。


中田敦彦のYouTube大学
https://www.youtube.com/watch?v=GRPM1vs
https://www.youtube.com/watch?v=GFcDZSoKW8U


東京電力廃炉資料館
所在地  福島県双葉郡富岡町大字小浜字中央378
連絡先  0120-502-957
開館時間 9時30分〜16時30分
休館日  毎月第3日曜日 および年末年始
入館料  無料(駐車場無料)