2020/08/05 15:53

皆様、このプロジェクトにご関心をいただきまして、本当にありがとうございます!

こちらでは、実際の現場からのご報告として、共同プロジェクトオーナーの「くまもと友救の会」代表・松岡より、前日の活動報告を掲載させて頂きますので、ぜひご覧頂ければ幸いです。



2020.8.4 「画竜天睛を欠く」



本日は
「くまもと友救の会」から3名
「熊の恩返し」さん3名
「チーム愛と感謝」さん3名
「有限会社 更生企業」さん2名
「ありえの家」さん1名
「ロハス南阿蘇たすけあい」さん1名
「グリーンコープ災害支援センター」さん4名?
「個人参加者」さん2名
での協働活動です。


九日町の札の辻駐車場では、ロハス南阿蘇たすけあいの方がお1人で搬出作業をされているとのことで、更生企業さんの4トンアームロール深型ダンプを応援に行ってもらいました。


下新町民地では、
0.1クロー
0.1平バケ
0.15クローから平バケ交換
0.2クロー
2トンダンプ3台
4トンダンプ1台
4トンアームロール深型ダンプ→午後から札の辻
にて残りのゴミの搬出をしました。


本日搬出したのは、
可燃ごみ8台
鉄くず3台
家電類2台
木くず4台
ガラス陶磁器1台
畳1台
混載9台
計28台となり、7月合計350台と8月の127台で累計477台分の災害ゴミを搬出しました。
どれくらいかと言うと、例えば25メートルプールに災害ゴミを詰め込んだとして、25メートルプール4つ分くらいです。


本日は最後の仕上段階なので、以前のようにダンプに満載してから走るのではなく、家電なら家電をピックアップして、ある程度集めたら集積場へ走りました。


僕は朝から、泥混じりで分別不可能なミンチを集めて、積込み。
午後からは1番奥から土砂をすきとり、元の地表を出していきました。
堆積した土砂だけでも、相当な量が出てくると思います。
ここは約1500㎡ありますので、10cm積もっていたとしても150立米、2トンダンプ50台分です。


また、僕は16時から災害ボラセンで副代表と共に会議に出るため、一足先に作業を抜けました。
これまで気を抜かずにひたすらゴミを搬出してきたので、終わりが見えてきて、僕だけでなく皆さんの疲れが見て取れました。


ここの泥を撤去するにあたり、3メートルくらいの軽量鉄骨H鋼をご提供くださる方、探しております。
表面の堆積した土砂をすきとるのに、使います。
バケットでやるより、数倍早いです。


災害ボラセンでの会議では、災害ボラセンとして壁や床材を剥ぐ作業を行わない方針で話し合われました。


ボラセンとしては、床をはいで床下の泥を出すところまではやるのですが、住民さんとしては、浸かった壁も剥がさないと家がダメになります。
ボラセンが床をはいだ後に、民間で壁を剥ぐとしたら、床板が無くなって根太を渡って作業しないといけなくなり、非常に危ないです。
また、根太の下にボードや聚楽壁が落ちてしまって、拾い集めるのに非常にやりづらいです。


ボラセンとか民間とか関係なく、家の作業工程としては、家財の持ち出し、畳めくり、壁剥ぎ、床板めくり、床下の泥出し、洗浄、乾燥消毒です。


理想としては、民間団体で壁を剥いで、次にボラセンから床板めくりと泥出しを行い、また民間に戻し洗浄以降の作業を行う、というふうに描いてます。


ボラセンだからできること。
民間だからできること。
業者さんだからできること。
それぞれの役割を分析し、上手く繋がるように手配するのが、行政や社協さんのできることだと思います。


コロナの影響下で、思うようにいかない被災地支援。
そんな中でも、熊本地震を経験し乗り越えてきた我々は、前しか向きません。
前を向き続けないと、乗り越えていけない。
立ち止まっちゃ、進めなくなる。
振り向けば、前を向くのが怖くなる。
極限状態の瞬間、憎らしいほどに沈む太陽が赤い。


子供の頃に、誰も味方がいないと感じた孤独な少年は今、誰もが味方だった。
願わくば、いま関わることができた人達に、味方がいないという孤独感を覚えてほしくない。


ここにいます。そんな想いを込めた、友救という名です。


益城町民として、益城の恩返しを今!


また、必ず会おう。何事も無かったかのように。


やらない善よりやる偽善。