2021/05/07 22:29

こんばんは。
引き続きで、奥田数馬(かずま)です。

本日は、プロジェクト本文の最後の章にあたる「想い」の原案をお見せしたいと思います。敢えて当時の勢いで書いた文章そのままで記載いたします。


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私たちの想い、ラボっこねくとの始まり

最後になりますが、ラボっこねくとをしようと思うまでの経緯や想いをお伝えします。

私たちラボっこねくとのメンバーはこれまでの学生生活の中で、全国の小学生~大学生の学生と様々な活動を行ってきました。

みんなで調べて考え取り組んだり、
一つの目標に向かって日々練習し意見をぶつけあったり、
終わった時にはみんなで笑ったりときに涙を流したり…。
出会いと別れ、たくさんの笑顔と成長がそこにはあふれていました。

大学生まで活動をしている人は大抵そんな活動中毒なわけですが、こんな素敵な経験をしているみんなにふと“将来”や”専門””社会”のことを聞くと「あんまり考えたことがない」「知らない」「興味がない」と上に書いたような取り組みと真逆かのような返答が多いのです。

俗にいう、日本の若者の「未来に希望を持っていない」「自己肯定感が低い」「社会への参加意識が低い」の類のもの(参照: 内閣府2018年度「子供・若者白書」 https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01gaiyou/s0_1.html

日本財団2019年度「18歳意識調査」 https://www.nippon-foundation.or.jp/who/news/pr/2019/20191130-38555.html

)で、みんなですらこういった意識と大差ないことにいつも驚きを隠せませんでした。

活動では、それこそ体を削って他には目もことにくれず一心不乱に取り組んで、ホントに凄い仲間ばっかり。みんなと活動できることがとても誇らしかったです。けれど、その活動からひとたび知らないことに移ると、こんなにも人が変わったかのように取り組み方や積極性が変わるのかと…。どうしようもない悔しさだけがありました。

そこで私たちが考えついたのが、

「実感し楽しいことだと経験していることにはその楽しさを求めて果敢に挑めるが、そうでないことには挑むということが考えつかない」

ということでした。

これは一見当たり前のことのように思えますが、実際は”選択肢”がかなり狭められた危うい状態だということを認識すべきだと考えます。なぜなら、実感による経験だけで構成された自分の世界からだけでしか考え判断することができないからです。

実感していないことを経験とすることはできません。ただし、知識によって想像し疑似的に体験することで思考し決断する材料、つまり”選択肢”とすることはできます。

本を読んだり携帯で検索するのは正にその第一歩ですが、ここで大事なのが、それまでの知識や経験量とそこで得た知識とをどう結び付けて想像するかです。それがどれだけできるかでその知識がその人にとっての新たな”選択肢”になるかが決まります。

だから、まずは様々なことに対して「知りたい!」と思えること。そして、想像することが「楽しい!」と思うこと。この二つを日ごろから感じられるようになれば、世の中は変わるに違いないと考えています。

そんなことをラボっこねくとではやっていきます!


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想いは千差万別です。ラボっこねくととしての発信だけではなく、ラボっこねくとに属す一メンバーとしての想いも少しずつ透けるような活動報告をしていきたいと考えています。

ぜひ意見や感想などありましたら教えていただけたらと存じます。

長文になりましたが、
ひと時の心の慰めとなっていれば、幸いでございます。