2021/11/10 17:12

鎌倉教場の「今」をお伝えします。今回は「安全と稽古」についてです。

流鏑馬とは、神様に「騎射」を奉納することをいいます。

大日本弓馬会の稽古場「流鏑馬鎌倉教場」では、毎週日曜日に「騎射」の稽古をしています。

騎射は、全速力で走る馬の上で両手を手綱から放して矢を射る行為のことです。

馬にもよりますが、時速60キロメートルに達する馬もいるので、「安全な行為」とは口が裂けても言えません。

とはいえ、いきなり最速の馬に乗って騎射をすれば、危険極まりないですが、各人の技量に応じ、「何を」「どこまで」行うかを厳格に線引きすることにより、安全性を確保しております。

ようは、騎射は、技量が高ければ決して危険な行為ではなく、技量が満たない者が不相応な行為をしようとすることで、危険が生じるのです。

まず、稽古に参加してから数か月間は、弓術の稽古は行うことができますが、馬に乗ることはできません。

馬や道具の手入れ、馬装(馬に馬具を装着すること)の補助など稽古全般の手伝いをしながら、馬や馬具に慣れる必要があります。

3か月間、原則として休まず稽古に参加し、一人で馬装ができるようになって初めて馬に乗ることができるようになります。

馬装ができなければ、いつまでたっても馬に乗ることはできません。

この段階でも、弓術の稽古と馬術の稽古は別々に行われます。

馬術の稽古は、角馬場といわれる方形の馬場で、基本操作や和式馬術の基礎、立ち透かしと呼ばれる技術の習得に努めます。

そして、昇級審査を経て、壱級に合格すると、鉄砲馬場といわれる直線の馬場で稽古を行うことができます。

段々と流鏑馬らしくなってきますが、ここまで早くても2年くらい、通常は3~4年かかります。

鉄砲馬場での稽古では、最初はゆっくり走る馬に乗ります。

ゆっくりといっても大日本弓馬会が稽古で使う馬は、それなりの速さなので、「比較的ゆっくり」という表現が正しいかもしれません。

また、しばらくは馬の手綱を持って走ります。

200メートルの直線馬場で馬が襲歩(全速力)で走るのに慣れなければいけません。

最初は圧倒的な速さに面食らうことも多いようですが、これを乗り越えなければ次へ進むことはできないのです。

200メートルの襲歩に慣れてきたら、馬上で弓を持つことが許されます。

いよいよ流鏑馬らしくなってきます。

しかし、ここから馬上でキチンとした射形で矢を射れるようになるまで、更に長い年月が必要となります。

単に的に当てるだけではなく、美しい「射形」が何よりも大切です。

後々になって、この「射形」が固まっていると、更なる上達が見込めるようになります。

そして、安全に襲歩で走る馬を乗りこなせるようになり、ある程度の「射形」とある程度の「的中」が見込めるようになったところで、射手として「初陣」することが認められ、ついに流鏑馬に出場することができるようになります。

ここまで早くても3~4年、通常は5~6年かかります。

しかしながら、射手の認可を得てからの修業の方が大変です。

射手になったからといって、そこがゴールと思ってはいけません。

射手の認可は、あくまで人前で騎射を披露することができる最低限の技量が認められたにすぎません。

そこから技量を上げていくための修練が欠かせず、ここから伸び悩む者も多くいます。

速い馬に挑戦するのもここからです。

むしろ、馬術の技量が上がらず、速い馬に乗ることを認められないまま何年も経過することもしばしばありますし、安全性を考慮して、引退するまで速い馬に乗せてもらえないこともあります。

一人前の射手になるには、初陣してから5年かかるとも10年かかるともいわれます。

射手になってからも修業を続け、5年、10年たって、ようやく少しずつ上達することも多いのです。


そのために、稽古環境が何よりも大切です。

流鏑馬という日本の伝統文化を後世に維持継承するためには、射手になるまでの数年だけでなく、射手になってからも数十年も稽古を続けるわけですから、技量向上に資するだけの稽古環境を整えることも、大日本弓馬会の大切な活動です。

その中でも、このたびの更衣室、水道、日除けは最低限必要な付帯設備です。

皆様の力強い御支援をよろしくお願いいたします。