2022/08/12 08:00

「インクルーシブ教育がインクルーシブ社会をつくる」頭では分かっているつもりだったが、じゃあ、障害のある私が普通学校に通ったことで、インクルーシブ社会に近づいたのか疑問に思っていた。もちろん、少なくとも中学時代まで、私が受けたのは統合教育で、そもそもインクルーシブ教育ではないのだが。

 そんな私の考え方が変わったのは、今年に入り、高校時代の友人である間々田久渚が代表を務めるLGBTQ支援団体『ハレルワ』のオンラインイベントに参加した時のこと。その時、私の近くに介助者はいなく、ハレルワのイベントにも初めて参加したため、私が話しても誰も聞き取れないと思い、黙ってイベントを聞くだけにしようと思っていた。しかし、フリートークの時間になり、しばらくすると、「かわばっちも何か話してよ」という間々田の声がした。不意に高校時代のあだ名で呼ばれ、びくっとしたが、渋々、「今、介助者がいないから、通訳できないんだよ」と彼に言うと、「分かった」と一言。これで話さなくて済むと安心したのも束の間、次の瞬間、なんと彼は他の参加者に私のことを紹介しだした。

「川端さんは私の高校の同級生で、脳性麻痺という障害があります。言語障害もありますが、何回か聞き直せば、聞き取れるので大丈夫です。」

 私の紹介をし終えると、「…ということで、かわばっちも何か話してよ」と再び間々田の声。

 「これは逃げられないな」と思い、私は渋々、自分の声で話し始めた。間々田は私の話に相づちを打ちながら、時々、他の参加者に私の話を通訳する。高校卒業後、10年以上会っていなかったことが嘘のように、彼は私の話を聞きとった。

 専門知識はないのに、私の障害のことを何の躊躇なく他の人に説明してしまえること。言語障害を気にして話さない私に、余計な気を遣わずに「話してよ」と言ってしまえること。もし私が高校時代、特別支援学校に通い、間々田と同じ教室で過ごしてなかったら、私と彼が友人になることもなく、彼が言語障害のある人と当たり前に話せるようにはならなかったかもしれない。

 海老原さんの言っていた「インクルーシブ教育はインクルーシブ社会をつくる」とは、こういうことだったのか。初めて、その言葉が自分の中でストンと落ちた気がした。そのことを真っ先に伝えたいと思った人は、その時はもうこの世界にはいなかったが。

 海老原さんが伝えてくれたこと、今度は私が誰かに伝えられるかな。頼りなくてヒヤヒヤさせてしまうかもしれないけれど、笑顔で見守っていてくれると嬉しいなあ。