2022/12/30 15:12

皆様、お世話になっております。プロジェクトオーナーの湧口善之(ユグチヨシユキ)です。今日はご支援くださっている皆様に率直に想いをお伝えすべきという気持ちが強くなり、投稿させていただきました。

今回のクラファンは、不安の中でスタートしたはじめての試みでしたが、自分の取り組みを応援してくださる方々が本当にいるんだ!(言葉だけでなく!)ということに、感謝の気持ちはもちろん、驚きや責任感やもう色々とあって、、、感謝しています!というだけでは到底お伝えできない複雑な気持ちと共に日々を過ごしています。

そして応援してくださっている皆様に、飾った言葉ではなく率直に、個人としてなにを考えているのか、を伝えたい思いが強くなっていきました。というのは、街の木をどうこうしよう、ものづくりがしたい、建築をつくりたい、といったことは私の手前勝手な思いなわけですが、それをどうしたら自分以外の人にとってもメリットのあることにできるだろうか? ひとりよがりの取り組みではなくするためにはどうすべきか? と考えていくなかで、自分個人の想いではなく、こう言えば世間の人にとっても意味のあることになるのではないか、という側面を見つけては、自分の取り組みを説明することが多くなっていたのです。

そうした外向きの説明ももちろん嘘ではないのですが、皆様からの応援をいただく中で、よそ行きの説明ではなく、自分個人の想いも伝えたい、という思いが強くなっていきました。

本クラファンの締切を数日後に控え、終了間際になにを言っているんだ、とお叱りを受けるかもしれませんが、お話しさせていただければと思います。

世界遺産になるような建物や街をつくりたい

建築や街をつくる人なら誰もが抱くであろう想いを、私も持っていました。そしてそれをどうしたら実現できるのかを考えた、というよりも歴史から学んだ結果、自分なりに見出した鉱脈が、「いまここにあるものでつくる」という原則であったのです。

いまここにあるものでつくる

長いあいだ人々は、そこに木があれば木で、草があれば草で、石があれば石で、水と氷しかなければ水と氷を工夫して、住まいをはじめとしたものをつくってきました。いまここにあるもの、目の前にある素材をどう活かせば、便利に機能を果たし、かつ美しいものがつくれるか。身近な素材と親密な対話を繰り返し、各々の個性を活かし、無理を強いることなく、気候風土や自然が求めることに対しても無理をしない。

そのようにしてつくられてきたものは、本当に無駄がなく美しい。なぜその素材を選んだのか、なぜその形になったのか、細部から全体に至るまで説得力に満ちている。デザイナーがエゴを発揮した結果備わった個性じゃない。木の葉がそれぞれに違った形をしていながら、そのどれもが肩肘を張った無理を感じさせず完璧な調和の中にあるような、そんな個性。

木の葉のように個性的な建築や街並みが、今日、世界遺産や文化財などになっている。それらにはその土地ならではの個性が自ずから備わっていて、つくられた当時はもちろん後世にいたるまで、そこで暮らす人々のアイデンティティの一部となって、誇りと勇気を与えてくれている。だからこそ、古くなろうと維持にお金がかかろうと、壊されずに使い続けられている。

「いまここにあるものでつくる」

土地と素材とが切り離され、世界中どこででも同じものや同じ建物がつくられるこの時代、いまや昔となってしまったこの古来の原則を、復権させることができないか? そう考え続けてきた中で、はじめは山の木の活用に取り組み、今では街の木の活用を試みています。

そしてこの古来の原則は、昔において合理的であり無理がないのでそうなっていたわけですから、現代において復権させようとするのであれば、現代においても自然なこと、合理的なこととして成立させられなければなりません。

現代ではそうした方が合理的(安くできる)ので、世界中から素材が集まり、建築(だけでなくあらゆる暮らしの道具)が作られます。今日、身近な素材で暮らしの道具や建物を作ることは、とても珍しいことになっています。街の木といういまここにあるもの、を使って暮らしの道具や建物を作る試みが「成功した!」「成功できている!」と言えるためには、無理があってはならないのです。そうでなければ、「この家具(建物)はこの街の木で作りました」と家具や建物に銘板を貼って表示することはできても、その分高価格になってしまえば、正直「いらない」という人の方が多いでしょうし、到底世界遺産になれるはずもありません。街の木だろうと空き缶だろうとその辺にある石ころだろうと、それで家具を作ったり建物を作ったりすることは、お金さえかければできてしまいます。無理をすればできることなのです。

無理をしないことを目指すというその点において、私の取り組みは、ただ街の木でものをつくるという取り組みとは一線を画します。「都市林業」という言葉も最近は発する人が増えてきましたが、街の木を木材にしたりそれでものをつくることが、「都市林業」ではないのです。少なくとも、「都市林業の成立」ではないのです。

街の木を活かして良かった、自分たちの街にあった木を活かしてなにかをつくったり建物をつくったりして本当に良かったと、口だけのおためごかしではなく心の底から感じていただけることが目指していることです。多少高いお金を払っても、そうしないようにそうした方が絶対に価値があった、合理的であった、お金がかかったけれども十分に投資になった! と多くの人が思える形にすることこそが、「都市林業」に必要なことなのです。

皆様からいただいたご支援を大いに活用し、これからも試行錯誤を続けて参ります。

今回の拠点作りプロジェクトにかかる、クラウドファンディングでの公開もあと数日で締切となりますが、プロジェクトを応援・フォローしてくださって本当にありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。

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動画も制作いたしましたのでぜひご覧いただければと存じます。今回のプロジェクトでつくろうとしている建物の最新のアイデアもお話ししております。