2016/05/23 22:31

2013年11月14日~11月20日 神島さん

 

母子避難を初めて2年を過ぎました。
子供を含めた賠償金も底を付き、かき集められるだけのお金は全てかき集め、実家の親にお金を借りて暮らしています。


幸い、主人が福島で仕事を続けているので収入が減ったりはしていませんが
2重生活、子供が父親と会える環境を作るのにはお金がかかります。
毎月の交通費も考えると、今までの生活にプラス8万円が掛かっています。
お父さんに会いたいプロジェクトを知り、利用できる事になって本当に嬉しかったです。

 

これ以上避難生活を続ける事は金銭的にきついため、
来年3月、子供の幼稚園卒園、小学校入学のタイミングで福島に戻ることにしました。
状況は以前と比べれば良くなってるものの、まだまだ安心して子供を外に出せる環境ではありません。
でも、こちらの支援のお陰で一番大変な時期は避難できた事を前向きに考えることにします。
そうでなければ、家族の絆、子供の心、経済維持が出来ないのです。
本当はずっと子供にとって安全なところで、家族揃って暮らしていきたいです。

 

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このご家族は、2011年6月に、福島から北海道へ自主避難されたご家族です。

一緒にフェリーに乗り、札幌の地を目指しました。

そしてその決断を下すまで私は何度もこのお母さんとやり取りをしましたので強く印象に残っています。

当時、リスクを抱えた妊婦さんでした。

札幌でまずは自主避難であっても受け入れてくれる産婦人科を探す事からはじまり、行政支援の内容などを何度もやり取りを重ね、安心できる場所でお子様を生みたいとの希望で、福島から北海道へ避難されました。

そして数か月後、無事に誕生された知らせを受け、つけられた名前に込められた想いに感動し、涙が止まらなかったことを鮮明に覚えています。

みんな地球の子どもじゃんでは、自主避難のアテンドを通じ、その多くは母子避難であることから、子どもたちにパパを届ける活動を5年間行っています。

皆様にご報告するのはそのほんの一部ですが、これから寄せられたメッセージを掲載していきます。

とても小さな声ですが、これが「現実」です。