2017/02/16 14:51

今回は学校建設や運営など、途上国での教育支援に対する私の想いについて書きます。

私が国際協力に初めて目を向けたのは、小学生の時でした。
ノーベル平和賞を受賞したドイツの医者シュバイツァー。彼の伝記を読んで「お医者さんになって僕もアフリカに病院を建てる」という夢を持ちました。

母1人、息子2人という裕福ではない家庭だったので、奨学金をもらいながらも医者になるべく勉強を頑張った訳ですが、敢え無く受験で失敗し、新聞奨学生(新聞配達や集金などしながら学校に通って奨学金をもらう制度)をして浪人するも、さらに医学部合格の道は遠く、文転しました。

その後、大学在学中に1年休学し、オーストラリアにワーキングホリデーで7ヶ月程滞在しました。その時に原住民(アボリジニー)と移民(白人)の生活水準の大きな差を目の当たりにして、教育の重要性を感じ取りました。
そして、「人の命を救う事も大事なことだけど、その国の将来を考えると、教育を普及させて医師が育ち、自分達で命を救うようにならなくては」と感じて、自らの夢を病院→学校へと変更しました。

卒業後にパチンコ屋さんに就職して、12年の間に奨学金を返済すると共に、学校建設の資金を貯めて、退職後に青年海外協力隊を受けて、3度目の正直で合格し、ガーナに派遣されました。
そして、ガーナ派遣中に幼稚園を建設し、現在運営3年目に突入しているところです。

一方、学校建設だけしても教育は普及しない(ある程度家庭にお金がないと、子供を学校に通わせる余裕がない)という現実にも直面し、農業技術支援(カンジャガ村民の約8割は農家なので)による収入向上と学校建設による教育普及をセットにした支援が必要だと感じ、帰国後に自ら野菜農家となり、日本の農業技術を学びながら、野菜を売って学校建設をするという生活を始めました。
今回のカンジャガ村での取り組みはその第一歩です(農業支援に関してはまた後日掲載します)。

こうした活動をしていて、よく「何故そんな事をしているの?」と質問される事があります。自分が仕事をして稼いだお金で見ず知らずの、しかも外国の他人を支援する為に学校を建設したり運営したり。その行動に「素晴らしい」と賞賛頂く事もあれば、「理解できないと」言われる事もあり、場合によっては偽善者と揶揄される事もあります。

支援する方の中には色んな考えを持ってやられている方がいると思いますが、私がこうした活動を続ける理由は、簡単に言ってしまえば「やりたいからやっている」です。
自分が日本の恵まれた環境(家族)で育ち、世界には恵まれない環境で育つ子供達がいる。
その差を少しでも埋めたいという、自分勝手な正義感が活動の根本的な要因です。
でも、それは同時にやり甲斐にもなり、自分の存在意義にもなっています。自分や日本の将来にとってもプラスになる事だとも思っています。

簡単にお伝えすると、そうした想いで私は離島で野菜を育て販売し、日本とガーナを繋げながら、人生を賭けて途上国に住む子供達の学習環境を支援をしています。

こうした活動をお伝えする事によって、少しでも共感して頂いたり、途上国の現状を知るきっかけになれば幸いです。