2017/12/03 21:26

こんにちは、事務局長の小島です。
「わたしが活動する理由」、これまで、10代での原体験と、ウガンダでエイズ孤児に出会った20代のできごとをお伝えしました。

>>10代の頃の2つの原点
>>片道チケットで飛び込んだアフリカでの出会いと無力感

今日は、ウガンダから帰国した私が、外資系証券会社に入社し、プラスにキャリアチェンジするまでのストーリーをお話します。

1クリック5億円のプレッシャー

「何もできなかった・・」と無力感を感じながらウガンダから帰ってきた私は、内定をいただいていた外資系証券会社に入社しました。

配属されたのは、日本国債の決済チーム。
海外のファンドや銀行との取り引きで、自分の1クリックが数億円の決済につながるプレッシャーに、パソコンのキーをたたく手が震えました。

けれども、それを乗り越えると、ロンドンやニューヨークのカウンターパートと英語で交渉したり、時差や言語の壁を越え、複数の国の社員と協働プロジェクトを動かしたりと、充実した日々でした。
すてきな同期や先輩、上司のみなさんにも出会えました。

十分すぎるくらいのお給料もいただき、「ずっとここで働けたら、私の将来は安心かもしれない」と思うようになりました。

そんなとき、聞こえてきたのは、「このままでいいの?」という自分の声。
「自分ができること」「すべきこと」「やりたいこと」、この3つが重なるところはどこだろう?と。それは、

「どんなかたちでもいいから、デリックのような子どもたちの未来を支えたい。」
帰りの飛行機のなか、窓のむこうに広がる赤土の道を眺めながら、心に誓ったことでした。
でも、思うだけじゃ何も変わらない。

小さくてもいい。踏み出した一歩から変わっていく何かがある

それから、日中は会社で働いて、仕事帰りの夜や週末は、プラスのボランティアとして、運営ミーティングだったり、イベント企画に参加するようになりました。

2008年。
金融危機(リーマンショック)が起こり、終電で帰る夜がつづきました。
睡眠時間は3~4時間。

それでも、プラスの活動がしんどいと感じなかったのは、「自分一人の力が微力であっても、同じ想いの仲間や、日本から応援くださる人たちの力をあわせることで、子どもたちが学び続けられる未来につながるんだ」と信じていたからです。

年の変わらないプラスのメンバーが、単身アフリカに飛びたち、駐在員として奮闘する姿。
国内では、学生ボランティアが中心となって、当時は珍しかったチャリティパーティーを企画したり、ウェブメディアを活用したキャンペーンを展開したり・・
仲間と新しいことにチャレンジし、共感した人たちが支援者として、アフリカのエイズ孤児を支えるための、新たな仲間になるー。

そんな循環が生まれていたある日、会社帰りに電話がかかってきました。
プラスの代表、門田でした。

「ケニアに事業を拡大するために、日本から、プラスを支える人が必要なの。職員として、プラスで一緒に働かない?」

一瞬、迷いました。
当時のプラスは、有給職員が2人。
事務所代わりだった大学の学食から、やっと、ちいさな事務所を持てた頃でした。
今のめぐまれた待遇を手放すことになるー。

それでも、「私でよかったらやらせてほしい」と答えていました。

「限られた自分の命を何のために使いたいか」と問われるなら、私は「誰かの人生が、より良い方向に向かうための力になりたい」と答えます。
あのときの私にとって、その「誰か」は、ウガンダで出会ったデリックたちエイズ孤児でした。

外資系証券会社から、プラス事務局長の道をえらんで

それからプラスは、ウガンダとケニアで、3つの小学校を支援し、1,370名の子どもたちに支援を届けてきました。
また、エイズの正しい知識を広め、エイズ孤児への差別や偏見をなくすために、69名のボランティアリーダーを現地で育成し、約3万人の地域住民にエイズ教育を届けてきました。

プラスが活動をはじめて、もうすぐ12年。
ウガンダとケニアには、今も100万人を超える子どもたちがエイズで親を失っています。

いま、私は7歳と2歳の男の子を育てながら、プラスの活動を応援くださるたくさんの「仲間」とともに、子どもたちの未来を支えるために活動を続けています。

人と話すことが怖くなり、「自分は何をしても無理だ」と思い込み、夜に一人ナイフを取り出したこともあった10代の私。
いま、プラスの活動を続けながら、困難な状況に出会うたびにこう思います。
大丈夫、一人じゃないから、と。
共に活動する仲間たちがいるから、きっと乗り越えていける、と。
いま、これを読んでくださっているみなさんも、そのひとりです。

11月21日からスタートしたプラスのクラウドファンディング、目標の100万円に対して、【あと58万円】のご支援が必要です。

エイズで夫を亡くし、HIVとともに生きるウガンダのお母さんたち。
お母さんたちは、デリックのような子どもたちを、必死で育てています。

けれども、あなたの支援がなければ、お母さんたちは明日を生き抜くことができず、
子どもたちは、学校を卒業することができないかもしれないのです。

未来を切り拓いていくためには、その可能性を信じて、支えていく、誰かの存在が必要です。
どうか、あなたに、その「誰か」になっていただけませんか?

最後にー。
プラスの活動をつづけるなかで、もうひとつ、私が信じるようになったことがあります。それは、いま、私たち一人ひとりができることを持ち寄ることで、未来を変えていくことができるということです。

私ひとりでは、お母さんたち、子どもたちの未来を変えていくことはできません。
どんなに小さな一歩でもいい。それぞれの立場で、「いまできること」を持ち寄ることで、変えていけるのです。

いま、これを読んでくださっているあなたも、そんな大きな可能性を持った存在なのだと、私は思っています。

どうか、あなたのご支援を、お願いいたします。