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  • 在住国:日本
  • 現在地:千葉県
  • 出身国:日本
  • 出身地:千葉県

千葉県木更津市にて 1983/07/05 生 現在、畳職人。 何も考えることなく高校を卒業し 自衛隊へ入隊が決まっていたが 直前になり辞退。 ここから私の道と、今日までの道程の あらすじとなります。 地元、木更津市にて畳の材料を扱う問屋に就職。 ここでは、畳の製作も並行して行っておりました。材料の販売・配達を行ううちに、畳屋の苦労につけ尊敬の念を抱き 自分も畳屋になりたいと一念発起、材料相を退社。未熟な腕前では、お金をいただく仕事はできないのは当たり前のことで 技術は学ぶ事・数をこなして成長することが 何よりのチカラ。悩んでいたところ、千葉県の畳屋さんから、人員募集の連絡があり急遽、畳屋さんに就職・修行をつけていただけることになる。親方の仕事・兄弟子の仕事を観て体験し自分に取り込み実践を繰り返しの日々。 とても多くのことを学び・人の心と技術を親方から学びました。畳技能士としての試験を受け合格したのち木更津に戻る。2015年.愛島畳店を創業。親方からの心を学んだ=仕事への愛情・お客様への愛情、私個人としてのモノへの愛情を含めて「愛島」と命名いたしました。 この時点から、畳工事をさせていただいた方への粗品・小物の製作を始める。ありきたりなのですが、喜ぶ・驚かすのが好きな私は畳製作以上の面白みを感じ製作製品の幅を広げる。 兼ねてから疑問であった日本の物は、外へ出ていかないものや保管して忘れてしまうものなどが多くあり、人が幽閉されると外へ出たくなる、、、、物も同じなのではないだろうか?薄暗い中で閉じ込めたまま、モノの生を閉じているのではないか。 そこで私は、「畳屋なのだから」という軸を立て 畳・藺草をベースにした日常で使う・屋外で使用ができる畳の小物を製作を始めた。 地元でも紹介がされることが多くなり、地域クラウドなる企画に参加することになる。 4名の候補者の一人とし参加したが、結果は散々たるもの。この時の悔しさは、今も忘れてはいない。 同じ参加者のうちの一人と、現在の「株式会社 畳deCo物」を設立。 文字の如く、タタミデコモノを製作。 どういったラインで進むか考えていたところ、やはり日本である以上は日本のベースは崩すことなく他国の文化や異文化を取り入れることに決まる。日本は島であり内包したものは特殊な意味合いと心が込められている。後世に残していけるものが多々ある。壊れていたとしても直して使い続ける。日常に溢れているが隠れているもの、掛け軸・着物帯・刀身のない刀の柄。それ以外でも、取り込む余地は多分にある。畳deCo物へと取り込み、独自の製作を始め現在に至る。世界初であろう製作製品や、他の畳屋では不可能である製作を推し進めている。 人が身につけ世界を歩く・床に張り付いていた畳が新たなステージへ飛び出す、fashion itemとしての扉を作り、解放した。 日本人だけではなく、他国の人物、全ての人が欲しいもの、一人一人の要望に応えることがモノのに寿命につながり持ち主に愛され、受け継がれ形を変えることで需要に対応し生き続ける条件として製作に重みを置いている。

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