こんにちは!毎月第2木曜日にかくれ架BASEで『みんなのにげば』を主催しております、大庭周です!鹿児島生まれ、静岡育ちの現在23歳。会社員として働きながら、『繋がりコーディネーター』として、人と人・人と地域社会が心地よくつながりを持つためにどうすればよいのかを日々模索中。関連プロジェクトとして、東京と静岡での『生き方見本市』・有楽町のソーシャルバー『PORTO』・場所にとらわれずに不定期に開催する『ありのまま実験室』があります。かくれ架BASEでは、5月から『みんなのにげば』を主催しています。今回は、『みんなのにげば』をこのかくれ架BASEにて開催しようと思ったきっかけや僕が場づくりを行う上での想いなどをお話し出来ればと思います。長文なりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。【場づくりをしようと思ったきっかけ】皆さんは、辛い出来事や悩みを吐き出せたり、嬉しかったことを気軽に話せる場所はありますか?僕自身、社会人になってからキャリアについて悩んだり、今まで下してきた決断に後悔をしてきました。その時に一人で抱え込んでしまい、自己否定するなど自分を責めたことも数知れません。だけど、誰かに今の自分の想いや嬉しかった出来事・悩みなどありのままに話すことが出来たら、気持ちが楽になるし、もっと生きやすくなるのではないかと、当たり前かもしれないのですが、ふと思ったんです。自分自身がどんな話題でも安心して話せる場でありつつ、来ていただいた方にも実家や友人の家に帰るような感覚でいてもらえる空間を作りたい。そこが場づくりをしようと思った原点です。【人と人が心地よく繋がった先にあるもの】僕は、人と人の『繋がり』というものを誰よりも大事にしている自信があります。『繋がり』というものを大事にしようと思ったきっかけは、小学校でのいじめですかね。それまでは、誰とも仲良くしたいから、当たり障りのないように人と接していたわけで。だから、少しでも関係が悪くなると、自分が悪いわけではないのに事態を収束したいがためにひたすら泣いて謝っていた。いじめにあっていた頃の経験を振り返ると、涙もろく、なかなか決断ができない(意外にも?)、メンタルが弱い自分でも受け入れてくれる友人が少なかった。だから、自分の悩み・弱みを受け止めてくれ、仲良くしてくれる友人を大事にしようと思いました。近年は、SNSが発達していて、オンラインで人と人が容易に『繋がる』ことが多くなってきているように思います。僕は、オフラインで直接顔と顔を合わせて話すことこそが、人と人が『繋がり』を深めるうえで大切な要素であり、対面で話すことが『ありのままに』話せる空間を作り出すための一歩目だと考えています。僕と咲さん(かくれ架 BASE 運営代表)は、直接話をして2回目で、有楽町にある日替わり店長で運営している『ソーシャルバー PORTO』で僕が日替わり店長をしている日に、コラボさせていただきました。ここでは、2人が鹿児島生まれということで、焼酎をあまり飲んだことのない人にも焼酎を知ってもらう夜を一緒に作りました。今だからお話しできるのですが、この時まで、咲さんが大事にしていること・価値観などをあまり知りませんでした。(笑)だからこそ、この夜にいろんなことを話したことで、彼女自身が大事にしていること・想い・価値観を知ることが出来たんです。人って、何か一緒に時を過ごすことで、その人のことを深く知ることが出来ないではないか。そう強く思います。そこから、咲さんとやり取りをしていく中で、若者の焼酎離れや蔵元さんの焼酎へのこだわり、咲さんがなぜ『かくれ架BASE』を運営しているのかなど、咲さんの『生き方』に触れることが増えてきました。そんなある日、『周くん、かくれ架BASEでも月に1回、場を持たない?』というお言葉をいただくことになりました。これが、『みんなのにげば』誕生の瞬間です。【みんなのにげばに対する思い】僕にとって、かくれ架BASEは、実家のようなものです。玄関のドアを開けて、『ただいま~!』と誰でもどんな気持ちの時でも言える空間を作りたい。来てくれる人がノンストレスで豊かな生活を送ってほしい。だから、『みんなのにげば』では、毎回「にげばゲスト」を迎えて、個人の生き方について問い直す機会を提供しています。5月からスタートし、自分の地元の方言であえて話してみる『方言Night』・『愛について語る夜(ゲスト:川口 ゆりさん)』を開催してきました。ありのままの自分でいられる空間で、だれでも気軽に玄関を開けられるように。そして、自分の生き方を丁寧に問い直す。人と人の繋がりを温め直す。かくれ架BASEは、皆さんが気軽に逃げ込める絶好の逃げ場です。皆様が少しでも生きやすくなる手助けが出来れば、幸せです。
場づくり の付いた活動報告
こんにちは!添田瑠璃です!毎週火曜日、20s career snackと題して、かくれ架BASEで”キャリア”をテーマにしたワークやイベントを開催しています。静岡県出身。ゆとり世代ど真ん中。優等生タイプで「こうあらねば」と強く意識しながら、人の顔色を気にしながら生きてきた学生時代。大手・ベンチャーからの内定でベンチャーを選択した就活&転職活動、ひよっこマネージャー時代、心身を崩しての休職、第2新卒での転職、20代半ばでの結婚、自分なりにいろんなことに悩みながらも、人事、キャリアアドバイザーとして奮闘する私が、何故、このかくれ架BASEにかかわってきたのか、どんな思いを持って運営しているのか、少しお話させてください。いつも相手の顔色を伺って、相手にとっての正解を言おうとしていた子ども時代3人兄弟の長女として生まれ、銀行員の厳格な父親と専業主婦の母親に育てられました。父親の影響もあり、小学3年生までに5回の引越し。3つの小学校に行きました。昔から自分に自信がなかった私は、転校して新しいコミュニティに入るたび、誰にも嫌われないように、となるべく愛想良くいつでも笑顔でいるように努めていました。だけど、広くいろんな子と仲良くなれるけれど、心を開けないから、人と深く繋がれない、そんなことがずっとコンプレックスでした。唯一無二と言えるような親友もいない。本音を言えず、嫌だということもできず、いじめられたこともあった。人を誘うこと、人に深く踏み込むこと、人を信じることが苦手。いつも相手の顔色を伺って、相手にとっての正解を言おうとする。そんな子どもでした。(もちろん楽しいこともたくさんありました!)”良い学校に入ること、安定した上場企業に入ることが幸福な人生である”?家で、記憶に残っているのは、父親の姿です。不器用ながらに愛情を注いでくれた父親でしたが、仕事は大変なんだ、仕事っていうのはしんどいものなんだ。こんなに苦労して稼いできてるんだから、家では労ってくれ。そんな父親の言葉と「仕事=苦しいもの」というイメージが、ずっと自分の中に残っていました。同時に、銀行員勤め上げ、昭和気質な父の、”良い学校に入ること、安定した上場企業に入ることが幸福な人生である”という価値観がいつもそばにありました。>楽しそうに働く大人との出会い自分を好きになれない、未来に希望を持てない、そんな自分の世界が大きく変わったのが大学時代でした。大学に入り、地元の静岡から、東京の大学に通い始める中で、自分は”地方”の方が肌に合っているかもしれない。そんな感覚から、いつしか色々な地方に行くようになりました。その中で出会ったのが、「まちづくり」という仕事をしている楽しそうな大人たちでした。大きな会社に所属せず、それでも軽やかに楽しそうに自分の好きな人たちと自分の好きなまちのために働いている彼らの姿に、自分も「まちづくり」を仕事にしてみたい!!と思い、地元の隣町熱海にあったまちづくり会社で1年インターンをすることにしました。人生どうとでも生きていける熱海には、家庭や学校では出会ったことのない、いい学校入っていい会社入って、じゃない選択をしている人、こうあらねばならぬに捉われずに、楽しそうに生きる人たちが沢山いました。インターンの中では常に「添田はどう思うのか、どうしたいのか」を問うてくれ、本音で真剣に向き合ってくれる、駄目駄目な部分も受け入れてくれる、そんな人たちに出会い、「働くこと、生きることは楽しいことなのかもしれない」「いろんな生き方働き方があって、自分の物差しで選んで生きていく方が幸せなんだ」そう思うようになりました。大げさかもしれないけれど、熱海で過ごした1年間で、生きること、人生に希望を持てた、人生が変わった、と思っています。と同時に・父親や、かつての自分・人生何が楽しいのかわからない、何がやりたいのかわからない、という弟・就活でとりあえず人気企業ランキングの上位から受けていく友人たち・就活で出会った「安定しているから入ったんだよね」「そこそこ課長になれればいいかな」という学生たち彼らに、おこがましくも、「人生は思っているより面白い、仕事って思っているより楽しい」「いろんな生き方働き方があって、自分の物差しで生きていく方が幸せだ」ということを届けたい。自分の近くの大好きな人たちに、もっと幸福な人生を歩んでほしい、自分の人生を生きて欲しい、と思うようになりました。新卒で働く中で感じたこといろんな生き方働き方に触れられる場を作りたい、と言って入社したのはホステルやカフェなどの場づくりをしているベンチャーでした。ここでは本当にいろんなチャレンジをさせてもらいました。素敵な仲間、尊敬できる先輩に囲まれて本当に楽しかった。でも、コワーキングスペースの企画運営を中心に2年半働く中で、他の会社で働く同世代の友達が仕事を通して心身を壊してしまったり、会社でも、チームのメンバーが辞めていく、新しく入っても続けられない、そんな姿を近くで目にするようになり、自分自身、心のバランスと体を崩してしまったこともきっかけとなり、改めて、自分がやりたいことを考えるようになりました。もちろん会社も仕事も好きだったけれど、大きな場をつくること、運営すること、広く沢山のお客さんにサービスを届けることよりも、やっぱり、もっと個人個人の人生に向き合いたい、一人一人が自分の物差しを持って幸せな人生を歩むための力になりたい、そう思い、個人と徹底的に向き合い、自分の足で幸福な人生を歩める人を増やす、という思いを持った、FoundingBaseという会社に転職しました。FoundingBaseで考えた「幸福な人生」の定義「自分にとっての大切なものとそれを大事にできる選択肢を知っていることそして、その選択肢に踏み出せること、やり遂げられること」が幸福な人生につながるのではないか。FoundingBaseで採用という仕事を通して、日々多くの学生や社会人の人生に触れる中で見つけた私の仮説です。じゃあ、そのために必要な要素は何か。もう少し自分なりに紐解いてみました。「自分にとっての大切なものとそれを大事にできる選択肢を知っていること」→そのために必要なのは・自分にとって大切なものに気づける「感性・感情」・自分にとって大切なことを整理するための「自己理解」・多様な生き方働き方の「選択肢」「その選択肢に踏み出せること、やり遂げられること」→そのために必要なのは・自分ならできると信じて踏み出せる「自信」・何があっても誰になんと言われても前に進み続けられる「自分への愛」感性・感情、自己理解、選択肢、自信、自分への愛・・・そんな要素を満たしていくことが多くの人の幸せに繋がるのではないか、そう思うようになりました。私がかくれ架に関わる理由”人生は素晴らしい、生きるに値する”私の好きな劇団四季が掲げるメッセージです。青臭いかもしれないけれど、私がかくれ架BASEに関わるのは、幸せに生きる人、人生は素晴らしいと信じられる人を増やしたいからです。だから、より多くの人が・「感性・感情」が生まれる、心動かされるような経験・「自己理解」が深まる、問いが生まれる対話・「選択肢」を知ることができる、いろんな価値観との出会い・「自信」につながる、小さな成功体験・「自分への愛」が育つ、自分がありのままで受け入れられる場所・そしてそれを後押しする仲間に出会える場所をつくりたい。この場所が、かつての自分にとっての熱海のような場所になってほしい。そんな思いで、毎週火曜日、様々な年齢やバックグラウンドを持った人たちが対話を通して、いろんな価値観に触れながら自分の生き方を考えることができて、そして、自分のやってみたいことをシェアして素直に応援しあえるようなイベントを開催し、これまでに述べ50人以上の人に来てもらいました。一緒に場をつくる仲間や度々遊びに来てくれる人も増えてきて、この場所から、少しずつ少しずつ、小さな変化や新しい挑戦が生まれているような気がします。これからさらにパワーアップするかくれ架BASEで、より多くの人の変化や挑戦に出会えることがとても楽しみです。